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少ない音数の美学から作家性の時代へ--ゲームミュージック作家が語る過去と未来 - (page 2)

佐藤和也 (編集部)2014年12月25日 09時30分
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コンポーザーが苦慮する”音楽ができるならどんな曲も書ける”と思われること

 ゲームミュージックは、単独で曲を作るものではなくゲームとあわせて初めて成立するもの。では実際にゲームの企画にあわせて作ることを意識するのか、あくまで自分がいいと感じている曲を出すかのバランスについて質問が投げかけられた。

  • 土屋昇平氏

 川口氏は、ゲームを遊んだときのプレイヤーの感情を考えるという。シューティングゲームであれば激しい感情、フライトゲームであれば空を飛んでいるときの感情を盛り上げるためのBGMであることを意識するという。これは崎元氏も土屋氏も同意した。崎元氏は、この前提であっても多様なアプローチができ、オリジナリティも十分に出せるとコメント。土屋氏は音楽制作にあたり、あらゆる例えを用いながらゲーム開発側とのコンセンサスを取りつつ、その上で音楽が自分のミュージックビデオになるぐらいエゴイストにやることも考えているという。

 加えて川口氏は、実際に制作した楽曲をゲームにのせて確認することも大事だと説明。音楽だけを聴かせると開発側の持っているイメージと違うと言われることもあるが、ゲームにのせて聴かせ続けるとマッチしてくるものだという。

 ゲームミュージックをオーダーされるにあたり、音楽ができるからどんなジャンルの曲も書けると思われることに苦心することは、3人とも共通した意見として挙がっていた。また最近の傾向として、動画サイトのURLとともに「このような曲で」というオーダーがされることも多いという。土屋氏は、今のゲームプロデューサーやディレクターがおおむね30代後半から40代前半の人が多く、その人が好きだった90年代中盤から後半のゲームミュージック、あるいは最近はやりのアニメ音楽の2パターンの提示が特に多いとのことだ。

  • ローリング内沢氏

 これについて土屋氏は、それでゲームが面白くなるのであればいいが、単純にオーダーする側の個人の趣味や好みだけであれば意味が無く、その楽曲を作った作家に直接頼んだほうがいいのではという苦言を呈していた。もっとも言葉だけではつかみにくいイメージを共有できるため参考曲の提示そのものを否定しているのではなく、例えばジャンルや楽器、メロディやテンションなど、オーダーする側はどこを参考にするかを具体的に明示してほしいと付け加えた。

 それぞれが影響を受けた音楽などについても語られた。川口氏はフォークギターから始まり、その後フュージョンやラテンを好んでいたという。また小学生のころにラジオから流れる洋楽の音楽を録音して集めていたこともあり、このあたりが今の自分に根付いている気がすると語った。崎元氏は当時YMOを好んでいたことを振り返りつつ、早い段階からゲームミュージックも好んでゲームセンターに通っていたという。そしてスピーカーの横に録音できる「ウォークマン」で録音していたと語った。より音楽を楽しむために「戦場の狼」というゲームで弾を撃たずにプレイしていたとも語っていた。

  • Hallyこと田中治久氏

 土屋氏は中学時代にベースを始めたことから、ジャンルというよりもベースがカッコイイ曲を中心に聴いていたという。その当時は土屋氏いわく「邦楽を聴くのはダサい、洋楽を聴くのがカッコイイという謎のステータスがあった」とし、さらに周りにインストを聴いている人が全くと言っていいほどいないため、かたくなにインストばかり聴いていたと振り返った。内沢氏も洋楽ばかりを聴いているなかで、YMOの細野晴臣氏が手掛けた「ビデオ・ゲーム・ミュージック」に衝撃を受け、その後電子音楽やテクノサウンド、ハウスミュージックなどを好んでいったという。自らDJも行うが、これについても夜な夜なクラブに通い独学で学んだと語った。

 田中氏はハッキリとゲームミュージックそのものがルーツと語り、電子音楽好きを自覚したという。その後ゲームミュージックがリアルサウンド志向に移り行くなか、自分の好きな音楽を求めて一時はクラブミュージックやテクノに傾倒したものの、メロディやコード構成は全く違うものであったと振り返った。そんな折りに、インターネットで海外の状況を調べたところ、PSG(Programmable Sound Generatorという音源チップ)からFM音源時代の音楽を愛好し制作し続けているユーザーがいることを知り、自分の好きな音楽を再認識したと語った。

制約ある中の表現から、作家性の時代へ

 田中氏が自作した、ゲームミュージックのルーツをジャンル別に分類した図を披露しつつ、1980年代のゲームミュージックに関して解説した。当時はそれこそゲームに音楽を付いていなくてもいい時代があり、付き始めてたころはかなり自由に作られていたという。また1983年頃まではカバー曲を使う流れがあるなか、ナムコ(現在のバンダイナムコゲームス)は、「マッピー」や「ニューラリーX」などオリジナル曲を導入しポピュラリティを追求したという。またこのころからゲーム業界に音楽の勉強をしたアカデミックなキャリアを持つ人が入ってくるようになり、音楽もアカデミックな方向に進んでいき、ゲームミュージックにも色が付き始めてきたころだと解説した。ちなみに川口氏は、ニューラリーXを聴いてゲームミュージックをやりたいと思ったという。

1980年代ゲーム音楽のルーツを調べた表。詳細はこちら
1980年代ゲーム音楽のルーツを調べた表。詳細はこちら

 1984年にはゲームミュージックのアルバムが発売されるようになり、商品になると気付いたターニングポイントであり、ゲームミュージックを単体で楽しむスタイルができた年でもあると振り返った。またファミコンの普及によりゲームミュージックというのが家庭内に入り込み、ゲームミュージックを耳にする人たちが増えていったことも大きかった年であるとした。後にFM音源の登場により、ゲームミュージックがよりリッチな方向に向かっていったとも語った。

 その後、ゲームミュージックのアルバムが多数リリースされるようになったことや、前述したすぎやまこういち氏のような一般に知られる作曲家がゲームミュージックを手がけるようになったこと、ゲーム雑誌と協力してのゲームミュージックのカタログ制作なども行われゲームミュージックの市場が形成。1987年以降からは多様化が一層進み、作家の個性が出やすくなったという。そしてハードの進化にあわせて、日進月歩ぐらいのスピードで音楽が変わっていったという。

 この先のゲームミュージックについて、土屋氏はかつて音源や音数の制限に引っ張られてできたゲームミュージックが回帰することはなく、この先は劇伴という大きなくくりとして一緒になるとの見解を示し、この先は作家性の勝負になることを強調。ゲームやアニメという枠ではなく、どの作曲家が面白い曲を書くかにスポットがあたる世界になるとした。川口氏も現在においてはゲームミュージックジャンルはない状態と語り、なんとなく同じ方向を向きがちな状況でもあるという。そのなかでは個人のカラーを出していくことが重要だとした。

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