「日本の市場や産業においても、ここまで熱く盛り上がった競り合いというのはなかった」(丸山氏)と振り返られたプレイステーションとセガサターンとの、抜きつ抜かれつの戦い。セガサターンはプレイステーションよりも2週間前に発売され、価格も5000円高かったが、バーチャファイターのクオリティもあっていいスタートダッシュを切った。このとき赤川氏は、セガサターンが好調なのを見てプレイステーションもいけると感じたという。ちなみに「次世代機戦争」というフレーズで、ユーザーもプレイステーション対セガサターンという図式で盛り上がっていたのだが、これは当時SCEの宣伝部長だった佐伯雅司氏の発案で仕掛けられたとのこと。
さらにプレイステーションの成功の理由として挙げられたのは、ゲームソフトの値段をはじめとした流通面。当時はROMカートリッジによるカセット方式で、容量も増大するに比例して価格も上がり、1万円前後となっていた。さらにヒット作が売り切れとなると、再販には3~4カ月待たなければいけない状態だった。プレイステーションはCD-ROMを採用することによって、主流の価格は5800円という、当時は破格というべき値段に据えられた。さらにプリントメディアであるため、早ければそれこそ翌日、だいたい1週間後の再販が可能だ。「値段が下がるわ、すみやかに入荷はできるわと、いいこと尽くめだったんです」(赤川氏)、「CD-ROM自体はすでにあったんですけど、迅速に対応できる流通網の整備など、やりきったことが大きかった」(藤澤氏)と、メリットをしっかりと活かした戦略が功を奏したことを明かした。
そして、今では当然のようになっているクリエイターの名前を出してプロモーションを行うということも、当時からすれば画期的なことだった。丸山氏は当時、ゲームのスタッフロールを見ても匿名で誰が作っているのかがわからず、会社が作っているという形になっていることに対して「いかがなものか」と感じていたという。丸山氏は「クリエイターが作ったんだから、彼らの名前を出すのが当然」と主張。クリエイターの地位が向上していた時期でもあり、名前を出していく頃合いだったと振り返った。ちなみに当時のエピソードとして「ミュージシャンが六本木に来て名前を言ったら、女の子が寄って『キャー』って言われるよ。そう言われたいでしょ?」という、ある意味ではストレートな口説き方もしていたことを明かし、場内から笑いが起きていた。
プレイステーション初期の名作タイトルとして知られる音楽ゲーム「パラッパラッパー」についても、プレイステーションならではのゲームの作り方をしたタイトルとなっている。これを担当した藤澤氏が当時を振り返った。音楽業界ではきちんとした役割分担があって物作りや技術展開がなされていたが、ゲーム業界ではあやふやだった。パラッパラッパーにおいては、松浦雅也氏が作り手、そして藤澤氏がその環境を用意することを意識しながら進行したという。
またパラッパラッパーにおけるインターフェースも、音楽業界で使われている編集ソフトなど、左から右に時間軸を流したインターフェースが普通に使われており、それをポップに仕上げたらあの形になったこと、そしてこれが音楽リズムゲームにおけるインターフェースの原点になったことを例に挙げ「ゲーム業界にとってはイノベイティブなことなんだと思います。0から1にすることではないかもしれないが、音楽業界では1だったことが、ゲーム業界では10や100の価値を持った例かもしれないですね」(藤澤氏)。さらに藤澤氏は「イノベイティブ(なの)は人でしかない。いかにその人が手足を伸ばしてできる環境を作れるか、それがビジネスとしてのキモでしょうし、面白いことを起こすというのはそういうことだと思います」と付け加えた。
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