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プレステの成功は音楽業界の手法とバーチャファイター--SCE創業メンバーが語る

佐藤和也 (編集部)2012年09月10日 11時14分
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 8月31日、サイバーエージェント・ベンチャーズにて「エンタテインメントの未来を考える会 黒川塾(弐)」と題したトークセッションが行われた。

 エンタメ系コラム執筆などの活動を行っている黒川文雄氏(NHN Japan所属)が主催・コメンテーターとして、エンタテインメントの原点を見つめなおし、未来についてポジティブに考える会となっている。

 6月に行われた第1回では、日本科学未来館にて常設展示が行われている「アナグラのうた 消えた博士と残された装置~」をテーマにして行われた。そして今回は、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)創業メンバーをゲストに、プレイステーションの誕生秘話やゲーム市場で起こしたイノベーションについて語られた。

 登壇したのは、247Music取締役会長の丸山茂雄氏、ラルクス代表取締役の赤川良二氏、T.C.FACTORY取締役の藤澤孝史氏の3人。丸山氏はCBSソニー設立と同時に入社、エピック・ソニー(現EPICレコードジャパン)の創始者であり、SCE取締役会長、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)代表取締役社長などを歴任した。赤川氏はCBSソニーやEPICソニーを経て、SCE発足時にプレイステーション事業に携わり、後に制作子会社であるアークエンタテインメントを発足。RPG「アークザラッド」などを手がけた。藤澤氏はEPICソニーの仕事をきっかけとして、SCEの立ち上げに参画。制作部門の全般的なサウンドプロデュースを行ったほか、制作プロデューサーも兼任し「DEPTH」、「パラッパ・ラッパー」シリーズ、「SIREN」シリーズなどを手がけた。

幻のスーパーファミコン用CD-ROMアダプターと単独路線

 1990年代におけるコンシューマゲーム機市場を振り返ると、ファミコンの登場以降は任天堂の天下で、ほかにもゲーム機はいくつか登場したものの、ファミコンやスーパーファミコンを脅かすようなゲーム機はなく、勢力図を塗り替えるような次の世代のものが登場するとは考えられない状態だった。

丸山茂雄氏
丸山茂雄氏

 実は1991年に、ソニーはスーパーファミコンのCD-ROMアダプターを開発していた。これがプレイステーションの前史にあたる。当時任天堂との交渉にあたっていたのは、後のSCE、プレイステーションビジネスを代表する人物である久夛良木健氏だった。「スーパーファミコンの音源チップは、久夛良木さんが開発したものです。それを通じて任天堂さんと話ができる窓口を持っていたんです」(丸山氏)。ちなみにCD-ROMアダプター開発のOKが出たのは「久夛良木さんがしつこく攻め込んだからで、相手側がめんどくさくなったからだと思う。それは双方に聞いても、きっとその通りと答えるよ(笑)」(丸山氏)。

 しかしここで問題が出てくる。ハードを出すのであれば、当然遊ぶためのソフトが必要で、ソフトを作らないといけない状態だった。ソニーはハードメーカーでソフトを作る部隊がなかったため、久夛良木氏はCD-ROM用のソフトを制作する部隊を探していた。そこで、当時ソフトハウスとしてゲームも制作していたエピック・ソニーの丸山氏を訪ねたことが、プレイステーションの始まりとなった。

 赤川氏は、このとき「フォルテッツァ」というソフトが開発されていたことを明かした。「例えばレーザーアクティブのような、基本的にCD-ROMにある映像を読み出して、スーパーファミコンのCPUで展開して画像を表示するといったソフトでした」(赤川氏)。だが、このソフトとCD-ROMアダプターのプロジェクトは、1993年にご破算になってしまう。E3の前身であるイベント「CES(Computer Entertainment Show)」にて、任天堂がスーパーファミコン用CD-ROMをフィリップスと開発することを発表したからだ。あくまでソニーからソフトを作ってと頼まれた立場であった丸山氏は「俺たち、被害者だよね」と当時は怒り心頭で、任天堂と交渉にあたっていた当時の取締役である出井伸之氏に怒鳴りつけたという。ただ「でもそのあと(ソニーの)社長になったでしょ? 青ざめたよね(笑)」(丸山氏)と付け加え、会場を沸かせていた。

 このプロジェクトはこれで終わりかと思われたが、久夛良木氏によってソニー単独のゲーム機発売へ向かうこととなる。ここで黒川氏が「任天堂に断られた怒りのパワーが久夛良木氏を強く動かしたのでは?」との問いに、丸山氏は「それは分かりやすい解釈だと思うけど、どうかな…」とどっちともつかない反応を示す。そして「怒りというのもストーリーとしてはいいんだけど、何より(ゲーム機を)やりたいという気持ちが強かったと思う」と述べた。その理由には、以前の場合だと任天堂の軒下に入って商いをする形になるが、単独であれば自由にやりたいことができるからだと丸山氏は推測。赤川氏も、ソニーの技術者が粛々と歩を進めて開発していたことや、プレイステーションのサウンドチップはスーパーファミコンと基本構造は一緒だったことを明かし「そのときに培ったものをきちっと落とし込んでプレイステーションができたんです。だから単に怒りや夢物語ではなく、ちゃんとした計算が裏にあったと思います」。

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