絵文字が開いてしまった「パンドラの箱」第7回--そして舞台はダブリンから東京へ - (page 6)

気づいているのは自分ひとり

 ではそうなった場合、どんなトラブルが起こるのか? ぼくは、まずそれを明確にしたいと思いました。たとえダブリン会議の結果がキャリア原規格と違うものであっても、実害さえなければ別に良いわけです。しかし考えれば考えるほど、これはマズイことになりそうです。

 仮に図10にあるアイルランド・ドイツ案の文字が、そのままISO/IEC 10646に収録されたとしましょう。例えば日本の携帯電話から「困り」の絵文字をパソコンへメールしたらどうなるか? 「困り」だった絵文字は、日本人には泣いた顔にしか見えないものに変わってしまうのです。「困り」の意味が分かる人間にとって、文字化けとしか思えません。だからといってユーザーがクレームをつけても、メーカーは困るだけです。ISO/IEC 10646を忠実に実装しただけなのですから。メーカーは規格そのものに対して不信感をいだくでしょう。そうした問題は図9で分かるとおり「困り」1字だけでなく全体の半分近くあります。どうも大変なことになってきました。

 もちろんアイルランド・ドイツ案のデザインが規格に採用されても、これがそのまま携帯電話等のフォントになるわけではありません。規格と実装は別物です。メーカーが実装する際は規格にあるデザインや、文字の名前を参考にして、自分なりのデザインを決めていきます。

 日本のメーカーだったら、キャリア原規格をよく知っているでしょうから、たとえ規格のデザインが変でも苦笑いするだけです。しかし日本の絵文字を見たこともない外国メーカーの場合、規格にあるデザインは重要な指標となるはずです。第5回で書いたように、Googleで「emoji iPhone」を検索すると、英語はもちろんポルトガル語、イタリア語、スペイン語でも大量にヒットします。規格が間違っていたら、間違った実装が世界に広がり、日本の携帯電話との間で文字化けを起こす可能性が高いのです。

 さらに困ったことがあります。この問題に気づいている日本人は、恐らくぼくだけです。不遜な言い方かもしれませんが、絵文字提案をこれほど知っている日本人は、ぼくを除けばダブリン会議の出席者だけでしょう。その彼等が見過ごしたということは……。そこまで思い至ったとき、店内のざわめきが急に遠ざかり、自分のまわりが真空になったように感じました。いったい、どうすればいいんだ。

 筋からいえば、日本でこの問題を解決できるのは日本NB(情報処理学会 情報規格調査会)です。ぼくは取材を通してメンバーの何人かを知っています。彼等に問題を訴えるというのはどうでしょう。しかし仮に彼等が動いてくれたとしても、正しいデザインの対案まで作ってくれるでしょうか。

 標準化では、問題を指摘するだけでは相手にしてくれません。具体的な対案を作ることが重要で、その点でアイルランド・ドイツは偉いのです。そこまでやれば真剣に検討せざるを得ない。しかし、会議まであと1カ月少々という時間を考えれば、たとえ訴えが正しくとも、日本NBに対案作りまで期待するのは無理と考えるべきです。彼等はコンピュータのエンジニアであっても、絵文字のデザイナーではないのですから。

 一番確実なのは、自分で提案してしまうことです。しかし、そんなことが可能なのでしょうか? ここでぼくは、もう一度自分の作った顔文字の表(図9)を見直しました。顔文字においてアイルランド・ドイツがおこなった最大のポイントは、Google・Apple提案ではイラスト風だったデザインを、ピクトグラム風に変更したことです。これは要するに単純化ということです。皮肉なことに彼等がおこなった単純化により、ぼくに一筋の光明がもたらされました。

 アイルランド・ドイツ提案の顔文字をよくみると、あらかじめ数パターンの部品をストックし、これを組み合わせて作っていることが分かります。輪郭が同じなのは当然として、目、口、眉、そして水滴、すべて数種類を組み合わせただけ。ということは、そうしたパーツさえ作ってしまえば、それを組み合わせることで何文字も増やしていけるわけです。

 それにしても、どこかでこれに似たシステムを見たことがあります。なんだっけ? グリフウィキ(GlyphWiki)! これはとても面白いものです。一言でいうとウェブブラウザから操作するフォント制作システム(※3)。漢字がいくつかの基本パーツから成り立っていることに注目し、あらかじめ登録してあるパーツを組み合わせることで、新たな漢字を作ることができるのです。それだけでなく、作った漢字をフォントに書き出せます。もちろん既成のパーツを編集したり、自分で新しいパーツを作ることも可能。さらには、複数が共同で編集作業をすすめることができます。

 もしかしたら、漢字の部品を顔文字の部品に置き換えれば、そのままグリフウィキで顔文字が作れるのではないか。幸いなことに、主宰者である上地宏一さんとは旧知の間柄です。文字コード規格に提案しようとする以上、自分でフォントを作らなければなりません。もちろんライターであるぼくにそんな技術はありません。しかし、上地さんが協力してくれれば、なんとかなるのではないでしょうか。

 しかし、まだ足りないものがあります。まず何といっても英語力。この連載を読んで、ぼくがたくさんの英文資料を読みこなしていると思っている人もいるかもしれませんが、単に翻訳ソフトを使っているだけの話です。提案書を書くような英作文までできるわけがない。

 もう一つ、ぼくは国際標準化の現場を知りません。もちろん普通の人よりは詳しく知っています。しかしそれは観察者の知識にすぎません。前回、審議過程を説明したところで、特殊な用語が多いのに驚いた人も多いと思います。標準化の世界はそれだけ独特な用語やルールが交差する世界です。何の経験もない者が飛び込んで、簡単にうまくいくとは思えません。

 しかし、これを同時に解決してくれそうな人を知っていました。川幡太一さん。彼は日本NBのメンバーですが、そうなる前からの友人です。英語はもちろんのこと標準化の現場を知っていますから、実際的なアドバイスが期待できます。加えてこの連載で何回も提案書の英訳を使わせてもらった師茂樹さん、それから絵文字の分析記事を引用させてもらった直井靖さん。両人とも古くからの友人ですが、それらの引用から明らかなように、文字コードに対する理解はぼくなどより深いものがあります。もしも助力してもらえれば強力なチームが組めるはずです。

※3)お詫びと訂正

以下のように訂正します。ご指摘くださった師茂樹さんに感謝します。

訂正前

一言でいうとウェブブラウザから操作する外字制作システム。

訂正後

一言でいうとウェブブラウザから操作するフォント制作システム。

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