大詰めWinny公判が突きつけたソフトウェアの明日

歴史的な47番目の書き込み

 ファイル交換ソフト「Winny」を開発した金子勇被告が著作権違反の幇助に問われていた裁判で、検察側の論告求刑公判が去る7月3日に京都地裁で行われた。求刑は懲役1年。弁護側の最終弁論は9月4日に行われる予定で、おそらく年内には判決が出るとみられている。2004年9月1日に始まり、2年間にわたってこれまで合計24回開かれた公判は、いよいよ大詰めとなった。

 事件の経緯を、いま一度振り返っておこう。

 Winnyの開発が始まったのは、2002年4月のことだった。それまで日本国内で隆盛を誇っていたP2Pファイル共有ソフトは「WinMX」だったが、2001年秋にWinMXのユーザー2人が京都府警に逮捕されたことから、WinMXよりも匿名性が高く、警察に摘発されないようなソフトを待望する声が高まった。具体的にいえば、2ちゃんねるのdownload板に「MXの次は何なんだ」というスレッドが立てられ、多くの書き込みが寄せられたのである。

 そんな中で、金子被告がいまも歴史に残る47番目の書き込みを行う。

 「暇なんでfreenetみたいだけど2ちゃんねらー向きのファイル共有ソフトつーのを作ってみるわ。もちろんWindowsネイティブな。少しまちなー」

 この宣言によってWinnyの開発がスタートし、翌月には早くもベータ版が公開された。公開場所は、金子被告が開設したウェブサイトである。

 Winnyは暗号化されたキャッシュを中継していくことで、送信者を特定できないようにするという、独自の匿名化技術を備えていた。つまりは警察に摘発される可能性が低いわけで、Winnyは多くのユーザーを集めることになる。そしてWinnyは順調にバージョンアップされ、翌年秋までの間、BBS機能を備えたWinny2も含めてバージョンアップ回数は238回に達した。

WinnyBBSであっさり逮捕された2人

 ところが2003年秋に、事態が急展開する。匿名技術によって送信者が特定されないはずだったのにも関わらず、Winnyを使って映画やゲームのコンテンツをアップロードしていた男性2人が、WinMXの時と同じ京都府警ハイテク犯罪対策室に、著作権侵害容疑で逮捕されてしまったのである。

 どのようにして匿名技術が破られたのか――。

 その手法は後に、金子被告の公判で検察官によって明らかにされた。当初、府警はWinny本体に対して暗号解読を試みたが、歯が立たない。そこでWinnyBBSに目をつけ、WinnyBBS上で「これから放流します」と時間を決めて違法ファイルをアップロードすることを宣言していた人物の居場所を特定してしまったのである。

 WinnyBBSというのはWinnyに付属した機能で、2ちゃんねるのようなマルチスレッド型掲示板をWinnyネットワーク上に作り上げてしまうものだ。WinnyネットワークはピュアP2Pのため中央サーバが存在せず、掲示板はWinnyユーザーなら誰でも立ち上げることができる。Winny本体の場合は送信者のIPアドレスを特定するのが困難であるのに対し、WinnyBBSであれば、比較的容易にスレッドを立てた人のIPアドレスを探し当てることができた。

 そうして京都府警は放流告知していた男性2人に目をつけ、IPアドレスを特定。2人の告知していたノードに府警本部内のパソコンを接続させ、Winnyの使用するポートには容疑者のパソコンのIPアドレスだけが通り、他のWinnyユーザーからのデータはブロックするように設定。これによって容疑者のパソコンと府警のパソコンを1対1で接続させ、容疑者が放流したデータをすべて府警側で受け止めることに成功したのである。

 容疑者2人はあっさりと逮捕され、罪を認めた。この2人はすでに執行猶予付きの有罪判決が確定している。

捜査官が慌てた参考人の言葉

 この2人が逮捕された当時、府警は金子被告の自宅などを家宅捜索している。しかしこの段階では、あくまでも参考人扱いだった。後に公判で検察側証人に立った府警の捜査官は、こう証言している。

 「この時は、彼を被疑者にしようという考えはわれわれには毛頭なかった。プログラム開発者と被疑者はまったく別で、プログラマーは悪くない、使った者が悪いと(私は)思っていた」

 ところがこの捜査官によれば、金子被告は家宅捜索後の事情聴取で、府警側が想定していなかったようなことを言い始めたという。

 「著作権を侵害する行為を蔓延させて、著作権を変えるのが目的だったんです」

 捜査官は驚いて上司に電話し、「金子がこんなことを言い出したんですよ。どうしたらええんでしょうかねえ」と相談した。だがその場では結論が出るはずもなく、捜査官は「こんな前例のない事件を、現場で判断するのは無理だ」として京都への帰路についたという。

 府警の方針が変わったのはその後、2003年の年の暮れになってからだ。この段階でどのような方針転換があったのかは明らかになっていない。金子被告のこのときの供述が、何らかの影響を与えた可能性も否定はできないだろう。いずれにせよ京都府警は年末になって被疑者として金子被告を聴取。そして年が明けた2004年5月10日に、先に逮捕した正犯者2人に対する著作権侵害の幇助容疑で、金子被告を逮捕したのである。

 この逮捕に対しては、コンピュータ業界から大きな批判が起きた。ソフト開発者が逮捕されるというのは、前代未聞の事態だったからだ。過去には大阪FLMASK裁判があるだけである。金子被告に対する支援グループも結成された。この当時、支援グループのメンバーは筆者の取材に次のように話している。

 「親しい友人、昔の知人から見知らぬ人まで、驚くほど多くの反響がありました。みな京都府警の暴走とみて、危機感を抱いているようです。とくに技術者の間での危機感はとても強い」

 集められた支援金は1000万円以上に達し、総勢約10人の弁護団も結成された。そして同年9月には、公判が始まった。

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