Eben Moglen氏は長年に渡ってFree Software Foundationの法律顧問を務めてきた人物だが、彼は12才のときコンピュータに興味を持ち、14才の頃には、プログラムを書いて収入を得ていたという。
「大学では歴史学の博士号と法学の学位を取ったが、そのための学費はプログラマとして得た収入で賄った」と同氏は言う。
IBMで数年間プログラマとして働いたMoglen氏は、その後IT業界に見切りを付け弁護士となる。同氏はニューヨーク州の地方裁判所と米連邦最高裁判所で弁護士秘書を務めたあと、1980年にコロンビア大学法律大学院(Columbia Law School)に移り、現在でも同校で法律と法歴史学の教授を務めている。
同氏は、コロンビア大学に勤めているとき、ソフトウェアの自由に関する最初の大きな訴訟事件に取り組むことになる。1990年代の前半にある掲示板を何気なく眺めていたところ、「Pretty Good Privacy(PGP)」というプログラムに偶然出会ったのだという。PGPはPhil Zimmermanという人物が開発した電子メール用暗号化プログラムだ。Moglen氏はPGPに大きな感銘を受けたが、米国の法律では暗号化プログラムの輸出が規制されていたため、Zimmerman氏が法的に訴えられる危機に瀕していることを知る。
「私はZimmermanに、『おめでとう。PGPは世界を変えるソフトウェアになるだろう。と同時に、あなたはさまざまな法的な問題に悩まされることにもなると思う。そのときは、私に連絡するように』というメールを送った。警察の手が彼に及ぶわずか2週間前のことだった」とMoglen氏は語る。
連邦政府は、PGPをインターネット上に公開したことが米国の輸出規制法に違反するとしてZimmerman氏を起訴した。Moglen氏は無報酬でZimmerman氏の弁護を引き受け、政府は最終的には告訴を取り下げた。
Moglen氏がFree Software Foundationの創設者であるRichard Stallman氏から連絡を受けたのは、Zimmerman氏の訴訟に取り組んでいるときだった。Stallman氏もまた法律の専門家の助けを必要としていた。Moglen氏は、Stallman氏からの依頼も無報酬で引き受ける。
「私は彼に、『Emacs(Stallman作のテキストエディタ)を毎日使わせてもらっているので、その使用料を考えれば既に充分な報酬を受け取っている。だから当分先まで無報酬でかまわない』と言ったのだった」とMoglen氏は言う。
当初、Moglen氏は自分の時間の約5分の1をFSFの法律面の仕事に割いていた。しかし、同氏は、自分がFSFのために割いてきた時間は、フリーソフトウェアの開発に携わる多くの人々がプログラムの改良に割いてきた時間と基本的に変わらないと指摘する。
「私が自分の時間を割いてFSFのために働いてきたのは、そうする必要があったからだ。FSFには、弁護士しかできない仕事、Richardにしかできない仕事、プログラマにしかできない仕事がある。無償での作業をいとわない弁護士の数は、無償での作業をいとわないプログラマほど多くはなかった」(Moglen氏)
Moglen氏は、FSFでの法律面の仕事に加えて、Software Freedom Law Center経由で多くのフリーソフトウェアプロジェクトに取り組んでいる。同センターは2005年2月に設立されたが、そのときにはMoglen氏も手を貸した。同氏は、米国における特許制度の濫用を制限するために設立されたPublic Patent Foundationの理事も務めている。
ZDNet UKは先ごろMoglen氏にインタビューを行い、Software Freedom Law Centerでの仕事、今後の計画、ソフトウェアの自由に対する考え方などについて話を聞いた。
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