製造業と異なり、範囲の経済のメリットを享受するために東京への情報発信源を集約したメディア産業は、東京ローカル情報の全国化を生じさせると同時に、メディアに関連する富の集中をも招くことになった。すべての生活者を対象とした製品の認知促進は、テレビや新聞といった全国散布型のメディアが最も効率がよかった。より正確に言えば、それ以外の手段が存在しないのだ。
必ずしも情報の東京集中のみを示すわけではないものの、各地方自治体の1人当たり県民所得を比較すると、その東京への一極集中の状態がよくわかる。ここではよりわかりやすくするために、全国平均との差分を示している(「日本の富が東京に一極集中していることは明白」参照)。
これは国勢調査を基にしているため、平成17年度の調査結果であり、製造業の強い自治体などが平均以上の値を示している場合がある。しかし、いずれにしても全国47都道府県のうち、平均以上は9自治体しかなく、そのほとんどが平均値から大きくずれていないことを見ると、東京の特異性がよくわかる。
これが仮にすべての企業のマーケティング費による配布と考えても同様の分布になっているだろう。すなわち、東京がそのメディアなどの社会装置を経由して他地域への情報伝播を担うことで、全国に散らばる顧客が間接的に負担しているマーケティング費用の多くが東京に集約される結果になる。それらは、本来、生活者=顧客自身に製品やサービスとして還元されるべきものなのだ。
しかし、すでに論じたように、中央集権型の既存メディアは失速し、特に紙などの媒体の落ち込みは激しく、中央にマーケティング費用が集約する根拠は薄れつつある。むしろ、セールス・プロモーションという形で、地域ごとにきめ細かいマーケティング費用の活用が望まれているものの、それを担う仕組みの不在が、機能を失いつつあるものの代替手段が存在しないメディアへの金の流入を正当化しているに過ぎない。
これまでも日本の消費者向け製品は、複雑な流通経路を通じて販売されてきた。複数の卸を介し、それごとにリベートが支払われ、あるいはディスカウントがなされ、ようやく小売業者に到達するとき、最終価格と仕入れ価格の差はきわめて小さいものとなっているため、積極的なプロモーション予算を各小売レベルで投入することは困難だった。しかし、すでに示したように流通プロセスそのものの簡易化=全国・広域型小売の増加によって、最終販売価格そのものの低下だけではなく、小売店舗周辺でのマーケティング費用投下が可能になってきている。東京ではなく、各地域の販売量にあった広告宣伝も可能になりつつあるのだ。
当然、それは各地域の消費市場規模に応じたものになる(「人口分布に応じた市場規模が各地域にはあるはず」参照)ため、人口の少ない地域は当然のことながら市場規模は小さくはなる。しかしながら、従来のようにメディアという社会装置は設備産業型から、プラットフォームとしてのブロードバンド・インフラとその上でのコンテンツ開発・流通などと分離されることで、少なくとも後者の事業としての性格は比較的先行投資が必要ないサービス産業型へと変化してきている。
また、コンテンツの制作スキルも、デジタル・テクノロジーの発展に伴い導入や運用の敷居は低下し、かつそこでの経験値も蓄積が可能になるなど、決して特殊な産業ではなくなりつつある。
多くの国では依然として存在する「ローカル広告市場」の創造(「フリービジネスの原資を確保せよ」参照)こそ、この壊れ行く国の中で不死鳥の再生の如く羽ばたく大きな転機になるに違いない。
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