メタバースに学校を作ってみて感じた新しい学校の在り方と教育の形

 近年では、メタバースを学校に活用する取り組みも増えてきたように思える。全国の国公私立小中学校で2021年度に30日以上欠席した不登校の児童生徒は24万を超え、過去最多となったようだ。それに伴いオンラインでの授業やオンデマンド授業の導入も増え、学校での授業の形も多様化してきた。

 例えば埼玉県戸田市では、メタバースで不登校児を支援することを目的に、「メタバース登校」という取り組みも行っている。そのほかにも、高卒資格も目指せるメタバースの学校「MEキャンパス」という取り組みもあるようだ。

 筆者の齊藤は、友人のタロタナカさんと「私立VRC学園」という学校コミュニティを2020年にVRChat上に創設し、参加したユーザーたちと共に運営を行ってきた。私立VRC学園は公式の学校ではなく、我々がVRやメタバースを日頃嗜んでいるなかで、「VR空間に学校を作ったら面白いのでは?」というところから始まった活動である。

【過去記事:なぜメタバースに学校を作ったのか--VRChatのコミュニティ「私立VRC学園」を振り返る

 そこで今回は、筆者自身が実際にメタバースに学校コミュニティを作ってみた経験から感じたメタバースの学校ならではの学校の在り方、そしてそこから得られたこれからの教育への新たな示唆について取り上げる。

既存の学校をメタバースに置き換えただけでは、意味がない

画像提供:卒業生ChikuwaFoxさん。こちらの卒業式時の写真はNPO法人バーチャルライツ様のVR写真大賞で受賞
画像提供:卒業生ChikuwaFoxさん
こちらの卒業式時の写真はNPO法人バーチャルライツ様のVR写真大賞で受賞
https://www.npovr.org/VRPA2022

 筆者らが取り組んだ私立VRC学園は、「多種多様のバックグラウンドをもった人たちが集まり、交流し、生み出す、インフラ的存在の空間をVR上に作る」という目的のもとスタートした。私立VRC学園では、メタバース空間に建築された校舎で、教室では通常の学校のように授業が行われる。1コマ30分から1時間ほどの授業で、開催期間中(一学期二週間程度)の平日は毎晩授業が行われる。

 授業内容もユニークかつメタバースならではのものが多く、これまでにも、

  • VRダンス講座
  • VRで使える英会話
  • VRで使えるコミュニケーション講座
  • VRChatのイベントに関する講座
  • ボイスチェンジャー講座
  • VR DJ講座

などを開催してきた。

 先生と生徒も、定期的に新学期を開き、そのたびに募集をしている。VRChat初心者が基本的には対象だが、長くVRChatをプレイしている人たちも、参加可能である。

【過去記事:世界で最も“カオス”なVR空間「VRChat」とはなにか--その魅力から始め方までを解説

 趣味でメタバースに学校コミュニティを作ってみて、筆者が気がついたメタバースを教育に活用するためのポイントは、「多種多様のバックグラウンドをもった人たちが集まり、交流し、生み出す」という点だ。

 メタバースブームに便乗し、あらゆるものをメタバースで置き換えるような取り組みが見られるが、ただ単にリアルをバーチャルに置き換えるだけでは、メタバースの良さを活かしきれない。例えば、メタバースの活用を既存の学校の内側のみで行なってしまうと、コミュニティの範囲が既存の学校からはみ出ることがなくなってしまう。そのため、その学校に馴染めない学生にとっては、リアルだろうがメタバースだろうが、あまり関係がない。

 不登校の学生によくあることとして、話す機会がないということだ。親やスクールカウンセラーくらいしか話す相手がいない、あるいはインターネットに頼るしかない。学校には行きたくないけど誰かと話したい。メタバースでは、相手の素性を知る必要もなければ、自分の素性を明かす必要もない「居場所」の実現ができる。しかし、メタバースの活用が学校の内側のみであれば、その特性を活かすことができない。

 私立VRC学園の例のように、メタバースの学校が「外にひらけた空間・コミュニティ」であれば、多種多様のバックグラウンドをもった人たちが集まる。そして、そこに集まった人たちは基本的にアバターを使って参加するため、見た目や年齢、性別、国籍、ハンデキャップなど、物理的制限をある程度無視することが可能である。また、アバターは身長なども変えられるので、子供も大人相手に積極的に会話を進めることがしやすくなる。

 例えば、大人が子どもに対して、大人のように振る舞うことを期待していると、子どもは期待に沿うべく育つ。反対に、大人が子どもを赤ちゃん扱いすると、相手もその期待を満たす行動を取るようになる。これは「ピグマリオン効果」と呼ばれるが、メタバースでアバターを介したコミュニケーションは、その効能を生みやすいと感じている。

【過去記事:アバターが作り出すメタバースの世界--アバター主義で多様化する生き方

メタバースならではの学校の形を

 筆者自身が現在も定期的にメタバースで行っている英語のPulic Speakingイベントや、それこそ私立VRC学園に参加しているユーザーの中には、学生時代に不登校気味だった過去を持っていたり、現在も不登校である方も少なくない。

 彼らとの会話の中で、「いまの学校にメタバースでの授業が導入されたら、学校に行きたいと思うか?」と質問してみたことがあるが、「オンラインで授業が受けられるのは便利だが、学校へ行きたい理由にはならない」と答えていたのが印象深かった。

 不登校学生の増加もあり、メタバースで学校活動を行う例もあるが、授業の場がリアルの教室からメタバースに移行しても、結局同じクラスメイトや同級生、先生しかいないのであれば、学校には行きたくない彼らにとっては、学校に行ってることと大して変わらないだろう。授業を家からただ受けるのであれば、オンライン配信やオンデマンドで十分である。また、メタバースの活用がユーザーに寄り添ったデザインよりも、自治体や組織の注目を集めることが優先されていることもある。実際にイベントを開いてみても、参加者が0人ということも珍しくない。

【過去記事:メタバースにもUXを--仮想空間へ豊かに接続するためのデザインの重要性を考える

 実社会において学校とは、個人と他者、社会と非社会、コミュニティ形成、そしてチュートリアル的な役割を果たしている機関だと筆者は思う。メタバースを学校教育に活用するのであれば、「現実で行われていることをメタバースでもやる」ではなく、「メタバースでやることで、現実以上の体験をする」というのが基盤になっていくべきと考えている。

【過去記事:メタバース×ビジネス--企業が新規サービスや取り組みを行うときに考えるべきこと

メタバースの良さを学校に活かすためには

 私立VRC学園の卒業生の中に、「学校は苦手で不登校だけど、私立VRC学園は楽しかったし、人生が変わりました」と言ってくださった方がいて、筆者の心に残っている。もともと不登校の学生のために始めた企画ではないので、思いもよらぬ成果だった。もちろん、逆にメタバースの学校コミュニティになじめない人もいるが、自分の創ったものが、少しでも誰かの役に立っているのは嬉しい。

 学校コミュニティというのは、地域でまとめられた同年代だけの集団になりがちだが、メタバースでひらけた学校であれば、10代と50代が一緒に同じ授業を受ける、高齢者が中学生から授業を受ける、離れた地域に住んでいる人間と友達になって一緒に学校活動を楽しむといったことが実現できる。筆者も私立VRC学園で講義をする側と受ける側を両方した経験があるが、参加している他の人の年齢、性別、国籍は知らないことがほとんどだ。しかし、素性を知らないからこそ、同じ目線でコミュニケーションを取ることができる良さが、メタバースにはある。

 以前、小さな女の子のアバターの方が、専門的な話を落ち着いて話していて、「知識と経験が豊富で、私より年上の人なんだろうな」と思っていたが、後ほどまだ中学生だったということが判明する、みたいなことも少なくなかった。逆に、学生がアバターを介しているからこそ、年上相手に臆することなくコミュニケーションが取れることもメリットとして挙げられる。もし、実際の姿を会う前から相手の素性を知っていた場合、多くの学生は目上の人や外国の方に遠慮してしまうだろう。メタバースの良さの一つは多様性だ。多種多様な人がアバターを通じて、コミュニケーションをとることができる。メタバースを学校として上手に活用するためには、既存の学校の内側で閉じたとりあえずの多様性では意味がなく、もっと外に向かってひらけた、いろんな人が先入観や偏見無しに出入りできる場所にするべきではないだろうか。

【過去記事:リアルとVRが交わり化学反応を起こす--初心者がVRChatでイベントを主催した理由と狙い

 メタバースには『無言勢』と呼ばれ、参加しても声をミュートして、全く話さず、身振り手振りや絵文字のみでコミュニケーションを取る方も少なくない。話すのが苦手なら話さなくてもいいのがメタバースだ。メタバースで知り合った筆者の友人にも、出会ってから一度も声を聞いたことがない方もいるが、イベントを開くとよく参加してくれる。声を使った会話をしていないが、コミュニケーションは問題なく取れている。無理になにかしようとしなくてもいい。なにもしていなくても、他の人と同じ空間を共有しているということが大切なのであり、それを可能にしているのがメタバースなのである。

外にひらけたメタバース学校のイメージ
外にひらけたメタバース学校のイメージ

今後の学校はエンタメ性が大事になってくる?

 教材はネットからダウンロードでき、いまやAIが個人指導してくれる時代へと変わりつつあり、抜本的に教育が変わるであろう。筆者自身も、UdemyやCoursera、Kahn Academy、YouTubeといったインターネットの教材で学習することのほうが圧倒的に多い。

 無料あるいは格安で世界トップの専門家や教師、学校の講義を家やスマートフォンのアプリを通して受けることができる。特にコロナ禍を契機に、オンラインでの教育研究活動が急拡大した。勉強はインターネットを通じて行い、そのほかの時間は好きなことをしたり、それこそメタバースやゲームを通じて、普段の生活ではなかなか出会わないような人と遊んだり、一緒に勉強したり、なにか体験したりすることのほうが、楽しいし居心地が良いだろう。

 メタバースで年齢や性別などを超越しコミュニケーションを取ったり、一緒にゲームをすることは楽しい。世代や国を超えて、なにか一つの目標に向かって一緒に取り組むということはリアルではなかなかない体験であり、メタバースあるいはオンラインゲームならではの体験だと筆者は思う。

 メタバースとは似て少し異なるが、以前筆者が「APEX」(チームバトル形式バトルロイヤルシューティングゲーム)をしているとき、自分が当たり前のように10歳以上も離れた人たちと一緒にチームを組んでプレイをしていることに気がついた。今となっては当たり前の光景かもしれないが、年齢や性別が大きく異なる人たちと、「チームで連携を取って敵を倒す」というひとつの目標に向かう。これは、リアルではなかなかできない体験であり、素晴らしいことだと改めて感じた。小学生に自分が指示されたり、逆に自分が見知らぬ相手に指示を出したり、こういったことはオンラインゲームやバーチャル空間だからこそ可能にしていることだ。

 VRやメタバースでは「没入感」という言葉がよく使われるが、バーチャル空間に慣れ親しんだ人々にとっては、リアルの方が没入感が低いと感じるかもしれない。家から出なくとも簡単に世界に接続でき、自分にとって居心地良い過ごし方を自由に選択できるメタバースやオンラインゲームが発展すればするほど、不登校を選択したいと考える生徒が増え続ける可能性は否定できない。

 実際、現代の学生は、レベルやポイント、報酬を備えたゲームやエンターテイメントのシステムに慣れてしまっているため、学校の授業で先生の話を聞くよりも、ゲーム的な世界への関心が強い。数十年前に機能していた教育の形は、今日の学生には効果が薄い。つまり、教育者はテクノロジーと真っ向から闘うか、あるいはテクノロジーを活用して学生たちの生産性を高める必要がある。今や学校の競合は他校や塾などの他の教育機関ではなく、インターネットやゲーム、そしてバーチャル空間だ。

 そこで話題にあがるのが、「リアルで通う学校」の意義を、どう捉えていくか。学校に来なければ体験できないものを、学校が提供しなければいけない時代に入ってきている。インターネットや家庭では味わえない体験、そんなエンタメ的な要素が重要だ。

 バーチャルやテクノロジーに頼りすぎると、どこでも同じことを提供できてしまう。知識だけならインターネット上にいくらでもある。しかし、インターネットから得られるものはあくまで情報としての知識であり、自らの体験を通して物質世界を理解するという教育分野への応用にはならない。「その場所」「その瞬間」でしか味わえない、限定的な体験や学習が提供できてこそ、リアルの学校に通う意義が出てくる。

暇や無駄のために学校が存在することの大切さ

「メタバースに学校を作ってみて感じた新しい学校の在り方と教育の形」
「メタバースに学校を作ってみて感じた新しい学校の在り方と教育の形」

 インターネットで教材をダウンロードすることができ、 AIが人間の代わりに指導や情報収集を行っていく世の中になっていくなかで、学ぶ必要がない教科とされるものも上がっている。しかし、だからこそ、学ぶ重要性として、本人が学んで嬉しいか、楽しいかが、これまで以上に重要となるのではないだろうか。

 メタバースやオンラインゲームの日常化が加速していけば、学校は学校でしかできない仲間づくりやグループワークに価値が高まる。黒板をただ写すなどは意味がなく、リアルだからこそ、みんなで一緒に学んでる感覚や、知的好奇心の刺激につながる感覚をどうやって高めるか、ということがこれからの学校には大事だ。

 以前、東京大学の暦本純一先生が講演で、「大学はある意味で無駄のためにあり、無駄という余地を社会がどのぐらい認めるかという視点も大切」とおっしゃっていた。例えば、学校行事として行かなければいけない修学旅行でも、行ってみたら意外と一生の思い出になったり、文化祭でなんとなくクラスで決まった催し物をやってみたら、なんだかんだ思い出になったりする。もちろん、何が良い体験になるのかは人それぞれだが、修学旅行や文化祭のように、そういう「意味があるのかないのかはわからないが、人生を豊かにする体験や時間を創出する機会」は、学校だからこそ生み出せるのではないかと思う。

 教育の定義を狭くしたまま学生に押し付けるのではなく、学校が『暇や無駄』を人為的に作り、『暇や無駄』のために学校が存在するという形も認めていくか、という視点も大事だと思う。カーネギーメロン大学の研究では、ゲーム文化の強い国では21歳までに、オンラインゲームで1万時間を過ごすと報告している。そして、そのような人が今後も増えていくことは止めようがないだろう。

 インターネットを通じて人と繋がったり、インターネットを通じてあらゆる知識や情報に触れることができる。若い人ほどそれが当たり前にわかっていて、情報収集のスピードも早い。メタバースをはじめとしたテクノロジーを活用して、不登校の学生を無理に学校に戻すための支援や努力ではなく、若者が自分の自信を取り戻し、未来に希望や生活にワクワク感を得られるような居場所を作ることが大切なのではないだろうか。

齊藤大将

Steins Inc. 代表取締役 【http://steins.works/

エストニアの国立大学タリン工科大学物理学修士修了。大学院では文学の数値解析の研究。バーチャル教育の研究開発やVR美術館をはじめとするアートを用いた広報に関する事業を行う。

Twitter @T_I_SHOW

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