KUPOの価値は車両性能ではなく「歩きたいという想い」--スズキ・ラジャ ゴピナス氏【後編】

 企業の新規事業開発を幅広く支援するフィラメントCEOの角勝が、事業開発やリモートワークに通じた、各界の著名人と対談していく連載「事業開発の達人たち」。

 前回に続き、スズキのEV開発部 eモビリティ開発課 チーフエンジニアであるラジャ ゴピナスさんとの対談の様子をお届けします。

 前編では、来日されてからシリコンバレーで電動アシストカート「KUPO」のプロトタイプを開発するまでの話をお伝えしました。後編では、帰国してからの苦闘と本格的に動き出した事業の展開について伺います。

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会社に認められて本格的な開発へ、しかし…

角氏:シリコンバレーで開発した車両を持って帰国したんですか?

ラジャ氏 :はい。コンセプトを形にして持って帰りました。今までスズキでなかった技術が盛り込まれていたことも会社が高く評価してくれました。この商品のサポートで、自分の足で行けなくなったところへもう一度自分の足で行けると、特に坂道など。この言葉で周囲に共感してもらえました。さらにこの言葉をある程度モノにして見せて体験してもらえたことで、「じゃあやってみよう!」となったのです。ただのイメージやスケッチだけではそこまで行かなかったと思います。

角氏:下るときに凄くスピードが出てしまうこともないし、上がるときには楽に上がれるんだ。本人の力を引き出すような感じなんですね。

ラジャ氏 :その通りです。KUPOがAIで歩きづらいところを支援してくれます。坂を上るときは引っ張ってくれて、下るときは体を支えてくれます。自分の力でできるだけ歩いて、疲れたら運転して帰れます。これで健康も維持できて、行動範囲も広がります。

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電動車椅子の状態のKUPOを操作する角氏

角氏:歩ける距離を拡張できるんですね。それは今までの電動車いすとは全くものが違う。セニアカーとは別物ですね。

ラジャ氏 :セニアカーとコンセプトも技術も違います。セニアカーはモビリティですが、KUPOはヘルスケアデバイスで、トレーニングマシンに近いものです。セニアカーからキャリーオーバー技術もなく、開発にかなり時間がかかりました。

既存の事業部に組み込まれて遠回り

角氏:結構時間がかかっていますよね。

ラジャ氏 :4年かかりました。本音を言うと、社内の戦いで4年かかりました。自分としては、2019年に東京モーターショウで販売開始の発表をするつもりでした。

角氏:なぜ、そうならなかったのですか?

ラジャ氏 :新規事業・商品の開発体制が整っていなかったため、セニアカーと同じ事業部に組み込まれてしまったんです。そこでお客様へ販売することを考えるとセニアカーの品質、強度を達成しないといけないです。でも、われわれが想定しているユーザーは自分の足で歩き、帰りに疲れたら少し乗るだけです。まさに、乗り物ではなくヘルスケア装置を作りたかったです。そう進めた結果、重量が70kgもある金属の固まりになってしまいまいした。われわれとしてKUPOをいきなり販売ではなく、お客様の外出シーンに当てはめてそこから商品をはやらせたかったんです。

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スズキのEV事業部 eモビリティ開発課 チーフエンジニアであるラジャ ゴピナスさん

角氏:ああ、なるほど。

ラジャ氏 :たとえば、日本の高齢者が外出する理由のトップは買い物です。ショッピングカートの変わりにそのまま店に押して入って、手軽に買い物をして欲しかったのですが、70Kgの金属の固まりでは実現できません。しかも、日本では相手に邪魔にならないように行動したいと気持ちが強いです。この70KgのKUPOを試したところ、お客さんがKUPOを店の外に置いて中に入ることが多かったです。それは目的と異なってしまいます。やり直しと判断しました。それまで私は開発責任者ではなかったですが、2020年からKUPOのチーフエンジニアと任命され、70KgのKUPOを一度潰して作り直しを進めました。

開発メンバー全員が現場の声を聞き方向性を理解

角氏:セニアカーの部門に入れられてしまい、その常識の中で作られた結果、セニアカーみたいなものができちゃったと。

ラジャ氏 :その通りです。社内試験は通りましたが、ユーザーが望んでいる商品ではなくなってしまったので再起動しました。新しいチームを組み、まずメンバー1人1人に70KgのKUPOでユーザーテストをしてもらいました。実際のお客様の声を聞いて下さいと、本社でデスクワークしかしたことない設計者やデザイナーにお願いをしました。そうしたら、彼らも現場へ出てどういうものが必要かをわかってきました。「こんなに重たかったら自由に使えない」「押して歩くのは恥ずかしい」「この色だとかっこいけど女性が嫌がる」。そういうフィードバックを、チーフエンジニアの私が説明するのではなく全員が自分で体感するように進めました。

角氏:全員が企画者ですよと。

ラジャ氏 :ええ。それでメンバーたちの心が変わり、1人1人がKUPOの持ち主になりました。そして、われわれのライバルは自転車だと気付きました。結果、KUPOのメインフレームは自転車と同じ素材、曲げ方、溶接の仕組みを使っています。

浜松フラワーパークで試験運用を開始

角氏:今はどんな段階ですか?

ラジャ氏 :やっとお客様へ提供できる形になりました。2021年の11月から浜松市の浜松フラワーパークで、最新の車両を使って試験運用を開始しました。

角氏:良くやり直せましたね。実際に声を聴いたら、ユーザーのために作るとはこういうことかとわかってくれたんだ。

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フィラメントCEOの角勝

ラジャ氏 :それでチームも変わったんです。人とのコミュニケーションが苦手という設計者も多かったのですが、1度現場へ出て声を聞き始めると皆さん自身が企画者になりました。それまで仕事としてプロジェクトを進めていた方がパッションを持ってやり始めました。そこでトランスフォームできたと思います、人もプロジェクトも。

角氏:最新版を拝見したところ、昔のセニアカー的な雰囲気と比べて座って乗る雰囲気が前面に出ていないというか、重たくない感じですね。押して歩くものに見えます。重量はどれくらい?

ラジャ氏 :40kgです。

まずはレンタルで商品の“価値”を理解してもらう

角氏:販売時期は見えましたか?

ラジャ氏 :今は商品としての販売は考えていなくて、商品から得られる価値を販売していく形で考えています。スズキの通常調達・生産・販売方法は大量生産に適したものですので、現時点で少量生産の損益は成り立たないです。今回特殊なやり方で生産を行いましたが、販売も特殊なやり方で進めています。たとえば、お客様の初体験の場として公園などで貸し出し、そこで商品が気に入ったら問い合わせをしてもらい、販売につなげていく構想です。

角氏:何で実証の場が公園だったのですか?

ラジャ氏 :こういう公園に来る高齢者は、花を楽しむよりも歩くために来る方が多いです。フラワーパークは東京ドームの6.4倍もあって、1周すると2000~3000歩あります。歩くには距離が長くて、逆に何かに乗ってしまうと歩けない課題がありました。KUPOで半分歩いて、疲れたら乗って帰るには良いところとだ感じ、ここから市場導入していこうと。

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角氏:歩いていてとても気持ちが良さそうなところですね。公園や美術館など、歩くことが前提になっている施設の中はいいかもしれないですね。コロナで散歩をする人も結構増えましたし。

「僕も社会実装を一緒に考えていきたい」(角氏)

角氏:台数が出れば安く作れると思うので、市場規模をどう作れるかが課題ですね。例えば地方の都市から、実証実験の依頼があったらどうですか?

ラジャ氏 :もちろんウェルカムです。

角氏:僕は鳥取県と松江市のアドバイザーをしているのですが、そういう場で話してみてもいいなと思いました。

ラジャ氏 :チャンスがあったらぜひお願いします。

角氏:都市部は交通網が発達しているのでどこにでも行けますが、田舎は車がないとどこにも行けない。すると高齢者の事故が増えてしまう。なので、どうやって歩いていけるか、自分の移動する機能をどうやって保持していくかは重要な課題だと思います。これを社会にどう実装していくか、僕も一緒に考えていきたいと思います。

ラジャ氏 :それは心強いです。もう1つ紹介させてください。フラワーパークなどでわれわれが提供しているのはKUPOではなく「健康」システムです。これは浜松市とスズキが一緒に作ったのですが、KUPOを借りられる免許証を配布しています。KUPOを押して歩いたときに歩数がカウントされて、免許証の裏面にいつ何歩歩いたかが記入されます。これでわれわれが望んでいる“たくさん歩いてもらう”を達成できます。2000歩ごとに足跡が1つついて、1万歩でゴールできます。また、1万歩を達成するとプレゼントももらえます。KUPOは単なるハードウェアです。誰でも作れるただの手段です。実際に提供するのはこの価値です。このカード1枚は100万円の車両よりも大事なものだと思います。

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KUPOを借りられる免許証

角氏:僕はもともと大阪市で福祉を担当していたので、電動車いすのイメージはわかるんです。でも。電動で押すことを介助するようなものはなかった。それは誰も思いつかなかったですね。

ラジャ氏 :技術的にも難しいですね。

角氏:ちょっと手を離したらどこかに行ってしまうこともあり得ますからね。

ラジャ氏 :そうです。それらを盛り込んでKUPOで約50件の特許をもっています。その技術的なハードルが4年かかっている理由の1つですね。

角氏:特許申請を出すだけでも大変だ(笑)

ラジャ氏 :大企業のいいところの1つは知財部があるところです(笑)

角氏:これを広げていくために、モノとして売る前提じゃないというのがラジャさんの凄いところですね。

ラジャ氏 :今回のKUPOは大海の一滴です。この思いを日本の大手企業が持って、どんどん革新的な商品・サービスをスピーディーにユーザーへ提供していく未来を望んでいます。

角氏:僕自身もそういう支援もしていきたいと思っていたので、ぜひよろしくお願いします。僕のキャリア的にも共感できる部分が多く、思いつかなかったことなので納得しかないです。今日はどうもありがとうございました。

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 ※ラジャさんは家庭の事情で一時的にインドへ帰国するため 2月末でスズキを退職するそうです。約半年後に日本に戻り、大手企業の中で新規事業を実現するために、少しでも力になりたいと語りました。

【本稿は、オープンイノベーションの力を信じて“新しいことへ挑戦”する人、企業を支援し、企業成長をさらに加速させるお手伝いをする企業「フィラメント」のCEOである角勝の企画、制作でお届けしています】

角 勝

株式会社フィラメント代表取締役CEO。

関西学院大学卒業後、1995年、大阪市に入庁。2012年から大阪市の共創スペース「大阪イノベーションハブ」の設立準備と企画運営を担当し、その発展に尽力。2015年、独立しフィラメントを設立。以降、新規事業開発支援のスペシャリストとして、主に大企業に対し事業アイデア創発から事業化まで幅広くサポートしている。様々な産業を横断する幅広い知見と人脈を武器に、オープンイノベーションを実践、追求している。自社では以前よりリモートワークを積極活用し、設備面だけでなく心理面も重視した働き方を推進中。

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