糸井重里氏が「ほぼ日の學校」で本当にやりたいこと--落語家からうどん店主まであらゆる人を先生に

 ウェブメディア「ほぼ日刊イトイ新聞」や、圧倒的な人気を誇る紙手帳「ほぼ日手帳」などで知られるほぼ日が、6月28日に「ほぼ日の學校」をアプリで開校した。2018年に始まった、日本や世界の古典的な文献などをテーマにした学びの場を提供する「ほぼ日の学校」を、「人に会って、話を聞くこと」をテーマに大幅にリニューアルしたもので、スマートフォンアプリを使った映像・音声配信を軸に展開することが特徴だ。月額680円(初月無料)のサブスクリプション型のサービスとなる。

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ほぼ日の代表取締役社長である糸井重里氏

 ほぼ日の代表を務めるのは、ご存じの通り、コピーライターとして一世を風靡し、さまざまな分野で活躍する糸井重里氏。今回のほぼ日の學校についても、企画の立ち上げはもちろんのこと、授業を担当する「先生」たちの聞き手としても関わっている。3年間のほぼ日の学校を経て、アプリで生まれ変わるほぼ日の學校では、どんな学びの場を提供しようと考えているのか。まさにサービス準備の佳境を迎えていた6月18日に、糸井氏に単独インタビューを実施した。

「ほぼ日の学校」を作り直すことにした理由

——「ほぼ日の学校」は、生徒がさまざまな先生から対面で「シェイクスピア」や「万葉集」などの“古典を学ぶ場”として2018年に誕生しました。当初は、どのような思いで始めようと考えられたのでしょうか。

 いくつか違う角度から考えていました。まず、自分にとっての古典は、高校生の時とかに一生懸命読んだ本がすべてでしたけど、古典を知っていることでずいぶんと助けになっていることもあったんです。

 たとえば、誰かと何かの問題を議論しているときに、「これはもう(ドストエフスキーの)『カラマーゾフの兄弟』の大審問官だよな」みたいなことを言うと、そこで物事の背景も含めて互いに考えをすり合わせやすくなったり。社会に出てからも、あのときに読んでいたものにはずいぶん助けられています。

 聖書もそうだし、社会科学系の本もそう。考え方そのものはともかく、それらが頭に残っていると「あいつはこう考えてるんだ」ということが明確にわかるようになるし、それを知っているということ自体が楽しいことでもあるんですよね。しかも、たとえば大罪を犯した人が刑務所のなかでシェイクスピアを読み続けたというような話もあって、古典が身近にあるだけで厳しい環境を耐えられるのはすごいな、と感じることもある。

 それで、いかに人気を得るかを考えて作っている現代の映画や本でなくても、古典を自分の楽しみにできるような時代が来る、いまはそういうものが求められてるんじゃないか、とも思ったんです。仕事が一段落した後にテレビを見るように、楽しみで学ぶような場所ができないかと思ったのが、古典を中心とした学校のアイデアだったわけです。

 それと同時に、ほぼ日という会社の将来のことも考えていました。メディアとして、この人に会ってみようとか、こういうことをもっと伝えようとか、個人のアイデアの寄せ集めみたいにして考えてきたんですが、それには限度がある。僕個人のアイデアや交友関係などから出てくるものがコンテンツを集めるときの軸になってきたし、いまもそうなんですけど、それよりもっと豊かにコンテンツを仕入れる方法があるんじゃないかと。

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 人知れずいいものが身近にあるんだ、ということを広めていきたいと思ったときに、気軽に使える版権のないコンテンツが古典だったんですね。もちろん訳者の版権はありますけど、みんなのものとして空気中にちりばめられているかのような、一般教養とか古典とかが僕らの栄養になるはずだから、そこを開拓していきたいなと思った。

 そして、ほぼ日がこれからどうやって生きていこうかと考えたときに、コンテンツの仕入れ先が海や山のように広いところにたくさんあるぞ、ということを社内のみんなにも伝えたかった。いつまでも「最近のYouTubeはどうだ」みたいなことを言い合っていても仕方がないと問いかけたかったし、古典を自分たちの力にしたかったんです。

 あともう1つが、人の楽しみな時間の使い方が、テレビだとか、それこそYouTubeだとか、これまでにいろいろ変遷してきましたけど、何に変わっても、結局求められているのは「コンテンツそのもの」なんですよね。そのコンテンツを自由自在に生み出せる力を持った、大げさに言うと「創造性で人に買われるような会社」になりたいなと思ったときに、学校という形で「知」のマーケット、もしくはフリーマーケットが僕たちのところに盛大に作れるんじゃないかなと。

 それらがいくつも重なって、とにかくほぼ日の学校を始めてみようと。それでスタートしたのが99人の生徒さんを集めた古典中心の「ほぼ日の学校」でした。

——そのような思いをもって開校されたほぼ日の学校ですが、これまでの3年間を振り返って、糸井さんがやりたかったことはどれくらい実現できましたか。

 予定通りだったことがいくつかあって、1つは、お話をしてくださる先生と集まってくれる生徒さんたちが、とても喜んでくれたことです。たとえば、大学の先生は、授業を聞く気のない学生に向かってしゃべることに辟易としている。ある意味、腹立たしい気分さえあると聞きます。でも、ほぼ日の学校だと「もっともっと聞きたい」という人が身を乗り出すようにして授業を聞いてくれる。そうすると先生も楽しいから、ニコニコしながらしゃべるんですね。

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2019年に開かれた歌人・俵万智さんによる「万葉集講座」の様子

 「知」や「教養」という言葉を超えて、「学ぶことを楽しみとして取り返せる」ような場が作りたいと思ったんですけど、それは「やっぱりね」と思うくらいちゃんとできたんです。学ぶ対象は何でもいいんですよね、みんな。そこも予定通りだったんです。「知」というジャンルが、好みで細分化しているわけじゃなくて、学ぶこと自体がものすごく面白いんだということも「やっぱりね」ってぐらいわかった。

 ただ、予定通りすぎて期待からずれてしまったところもありました。もともと本を読んでる人や、そういう話が好きな人は、古典の話も好きに決まってるんですよね。その枠を壊したい、本を読んでいない人も好きになってくれるような内容にしたいと思ってスタートしたんだけど、本を1冊も読んでないような人は来ないんです。本をよく読んでいる、ある種の知的な方々が中心になるわけですね。

 それを続けていたのでは、僕の思っていたこと、たとえば、いままで古典のことを全く知らなかった人が、「それはシェイクスピアもそう言ってるよな、ハハハ」みたいな冗談を言ったりすることにはつながらない。たくさんの人を大波の中に巻き込むような、僕の思っていたコンテンツにはならない。ポピュラーミュージックの市場と、インテリゲンチアの市場とが別々だったから困っていたのに、結局別々のままじゃないかと。ほぼ日の学校って、もっとみんなが夢を見られるような場所にしたかったはずなのに、何かアイデアが足りなかったんじゃないか、と思うようになりました。

 ところが、一緒にご飯を食べたりもしている銀行の親しい人が、ほぼ日の学校を「あれはものすごく面白い」と言い出して。「糸井さんが思ってる以上に可能性があるから、もっと本気で僕たちも手伝いたい」と言って、「僕が考えたのはこうなんですけどね」みたいなプランまで持ってきたんです。あれ、半分遊びで持ってきたんだと思うんですけどね(笑)。

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 その話を元に、僕も甲高い笑い声を上げながらやっていけるような仕事にしたいなと思って、ビジネスデザイナーの濱口秀司さんとその方とで、2度にわたって温泉合宿をしたんですよ。「どのくらいホラが吹けるか」みたいな合宿をして、全然いままでと違うものができそうだというのが見え始めた。

 社内のメンバー対しても、校舎を建てたり土地を買ったりするわけじゃないし、この新しい学校をどんなに大きく構えてもほぼ日が倒産することもないから、と。ちっちゃくなりそうだったものを捨てて、大きい考え方に組み直すいいチャンスだから、みんなで面白がって、その大きなスケールで考えていこう、とみんなに言うようになったんです。自分の頭をハンマーで叩き割るぐらいのことをしないと駄目だ、と思ったのが2020年の3月ごろでした。

 そこからいまぐらいの季節の6月頃になると、スマートフォンアプリを中心にすることや、いろんな人に先生になってもらうこと、人の話を聞くことは面白いんだよ、ということ。そういうコンセプトが固まっていきましたね。

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