糸井重里氏が「ほぼ日の學校」で本当にやりたいこと--落語家からうどん店主まであらゆる人を先生に - (page 3)

「先生として出たことがある人」だらけにしたい

——アプリは月額料金が680円に設定されています。以前は対面の授業(複数回)が10万円近く、その内容を配信するオンラインクラスは約5000円でしたが、それに比べるとかなり安価な料金です。

 この料金設定は、自分たちの退路を断ったという気もします。目標は1万人の先生、1000万人の生徒としていますけど、その規模を目指すと言ったのに、少ない人数でリクープしちゃうような料金にしてしまうと、どうしても「何が当たるかな」って悩んでまた小さいスケールにまとまってしまうかもしれない。1000万人が見てくれる、そういう授業をつくるんだっていう考え方を守るために、あえてその人数と料金に設定しました。

 でも、たとえば予備校の校舎が1つ丸々空いて、2年間だけ使ってくれって言われたら、そのリアルな場所をほぼ日の學校で使える方法がないだろうかと考えるのも、僕らの可能性の内にはあると思うんです。日本武道館みたいな大きい会場でやっても構わないし。少なくとも、この事業に100億円投下したらどうなるのって言われたら、ありえないと考えるんじゃなくて、「こうなるんじゃないですかね」ということが出せるようなクリエイティブを僕らは持っていたいですよね。

——ゆくゆくは1000万人が利用するサービスをとのことですが、最初はどういった人たちに視聴してほしいですか。

 まずは、ほぼ日のお客さんですよね。ほぼ日のお客さんには、この學校のことをわかってもらいやすいので、まずスタートラインはそこ。それと、どこかの会社の社長さんとかが、「これ、1年間だけ社員全員に見てもらいますよ」って言ってくれたら、僕らが考えている「ほぼ日らしさ」みたいなものを超えてマーケットの見本が作れるので、そういうことが起こったら面白いなとは思ってますね。

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——そうすると、法人プランがあるといいかもしれないですね。

 そういうのは、いままでの自分たちにはできないタイプの人の集め方だから、「つまらなかった」って言われたら「何か足りないんだろう」とか、「面白かった」って言われたら「ああそれは受けるんだ」とかいろいろ気付くことがあると思います。市場を測るためのそういったお客さんが、初めから来てくれるようになるといいですよね。

——ほぼ日の學校の「ゴール」があるとすれば何でしょうか。

 「『ほぼ日の學校』に先生として出たことがあるんだよ」っていう人だらけになるのが目標かもね、Wikipediaみたいに(笑)。いまだと「彼はWikipediaに載ってないんだよね」とか言われるじゃない。そのくらいみんなWikipediaを見ているし、それって人に「知りたいと思われた人」ってことなんですよね。「ほぼ日の學校で先生やってるから見て」というのが当たり前になったら、彼・彼女が何を考えていて、どんな性格の人か、というのがこれ以上わかるものはないと思います。それは僕としては、生きているうちに眺めてみたい景色ですね。

——ほぼ日の學校がどんどん大きくなって、世の中の人々がそこで学ぶのが当たり前になったとき、世界はどうなっていると思いますか。

 予想するのは難しいですけど、好奇心と寛容、これが広がっているといいですよね。たとえば動画配信の映画を見るとき、いまは人気ランキング上位や機械的におすすめされたものから選ぶじゃないですか。それって自分で何も考えてない、好奇心の元を与えられているだけですよね。だから、そうじゃなくなってほしい。「みんなはあの人を嫌いかもしれないけど、俺はあいつが言ってることは面白いと思うよ」っていうのを自分で考えられる人たちばかりになってほしい。

 それと、いちいち目クジラを立てないような寛容度の高い社会になっていてほしいな。いろんな人がいるんだから、いろんな考えがあるのは当たり前。それこそ蓼食う虫も好き好きっていうやつで、気に入らない考え方に出会ったとしても、それはその人がそうなっているだけのことなんだから許せばいいじゃないって思う。

 ほぼ日の學校みたいに、いろんな人に会うってことはそういうことだと思うんですよね。いろんな価値観の、いろんな美意識の、いろんな癖のある人たちに出会うことで、好奇心が湧いてみんなが寛容になっていく。そういうことが実現できるといいなと思いますね。

——少し話題を広げますが、冒頭に「学生が授業を聞かない大学の先生の嘆き」みたいな話もありました。いまの日本の教育、特に小・中・高校における教育について糸井さんが何か感じていることはありますか。

 そこは僕ね、不勉強のままでいいと思ってるんですよ。自分が学んできた学校にはいい先生もいたし、そうじゃない先生もいたし、楽しい授業もあったし、楽しくないけどやっておかないと面倒くさくなったものもある。でも、教育について「もっとこうだったらいいのにな」って僕が仮に言ったとしても、「とっくにいまの学校はそうなってますよ」とか教えてくれる人がいっぱいいるんだよね。

 たとえば、庭がコンクリートやアンツーカでできている学校の体育の授業についてどう考えるべきか、なんてわかんないよね。土だったら怪我がないのかっていうとそんなこともないだろうし、学校の中で怪我がないようにすることと教育ってどういう関係があるのか、僕らにはわからないことですよね。僕は研究者じゃないので、そこは研究しない方がいいような気がしてるんです。それよりは、逆にすごく限られた幼児教育のところを面白がってる方が、普遍的な何かがわかるような気がしています。

——糸井さんがいま一番学びたいことは何でしょう。

 「生きててよかった」ってどのくらい思えるかが、僕は人生の目標、あるいは喜びのような気がしています。それを教えてくれるものであれば、何でも知りたいですね。最後の臨終のところで、「ああ面白かった」って思って死にたいですよ僕は。その助けになるものはみんな好きです。

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 でも、いまはほぼ日の學校に取り組んでいることもあって「学ぶ」ことについて何か語ってくれる人とたくさん会ってみたいっていうのが大いにあります。気持ちとしては、いまはそれくらい特化する感じで学校を進めているかもしれない。

【インタビューの後編では、糸井氏に「イノベーションの定義」や「テクノロジーの考え方」「コロナ禍で一番変化したこと」などを聞いていく】

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