1990年代前半、高校に通っていた頃の筆者には、未来のビジョンがあった。そのビジョンは、仮想現実(VR)への入口であるヘッドセットで没入する世界と関わりがあった。その夢は、この10年間でまったくの現実になった。そしてその後、現実ではなくなり、その後また半分現実になった。未来が到来し、それから後退し、今は身を潜めて前進の時を待っている。この記事で語るのは、この10年の間に筆者の頭に装着してきた無数のデバイスに関する物語であり、なぜ筆者が(今のところは)一日中デバイスを着けて生活していないのかという話でもある。
筆者は無骨なゴーグルや、突飛なメガネ、知覚を変える大小さまざまなデバイスなど、あらゆるものを試してきた。このデバイスのラッシュが始まったのが、10年前のことだ。2009年の初めに米CNETで記事を書き始めてから、筆者が4本目に書いたのが、拡張現実(AR)と魔法についての記事だった。この記事は長くもなければ、素晴らしいものでもなかった。しかしこの記事は、「拡張現実」という用語が、多くの人が思っているよりも古くから使われていたことを証明している。
VRの登場はそれよりもさらに遡る。実は筆者は、1991年頃に、高校でVRについての発表を行ったことがある。VRはハイプサイクルの過程に入っていた。当時、セガはVRヘッドセットを発売すると予告しており、Virtualityと呼ばれる英国企業が、ショッピングセンターにVRアーケードゲーム機を置いていた。発表の残りは希望的観測とSFで占められ、William Gibson氏のSFに出てきそうな夢や、雑誌「Mondo 2000」に掲載されたTimothy Learny氏と幻覚的サイバー空間に関する記事の話をした。その後、VRに対する世間の関心は薄れた。筆者がCNETに勤め始めたころには、VRは任天堂の失敗ハードだった「バーチャルボーイ」で知られているだけだった。
しかしこの10年間で再び動きが始まった。中には良い製品も、酷い製品もあったが、多くは妙な製品だった。頭にカメラを装着した奇妙な人々がサンフランシスコをうろついた。VRゴーグルを着けた裸足の男がTimeの表紙を飾った。スティーブン・スピルバーグ監督はVRをテーマにした映画を作った。2016年の夏には、世界中の人々が公園で目に見えないものを捕まえることに夢中になった。
筆者はこの10年間を、「私の没入の10年」と呼んでいる。あるいは、「変化の前の混沌」と呼ぶべきかもしれない。これは多くの人の目には、「VRとARの興亡、そして再興(の可能性)」という風に映っているかも知れない。しかし筆者には、これまでに起こったすべてのことは、私たちを1つにつなぐ、ネットワークに接続された完成された没入型テクノロジーが実現する未来を指し示しているように思える(ただし本当に、網羅的なものになっているかどうかは確信が持てないが)。この10年間は、助走に過ぎなかったのだ。
10年前には、ARのことなど誰も知らなかったはずだと思うなら、それは間違いだ。「PSP(PlayStation Portable)」や「PlayStation 3」にはARゲームが存在しており、どちらもカメラを使って現実世界にグラフィックをオーバーレイ表示するものだった。筆者は2009年に、「iPhone」でARが大きな話題になると考えていた。これは、「Yelp」のようなアプリにAR機能が導入されたからだ。例えばYelpには、現実世界の映像の上に近くのレストランを表示する、「Monocle」と呼ばれる隠し機能があった。当時のARは、画面上のカメラの映像に、基本的な情報が浮かんで見えるというものだった。
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