ANAの賞金レースと「アバター」への挑戦(前編)--失笑のなかXPRIZE財団の創設者だけが賛同した

 XPRIZE財団が主催する、賞金1000万ドルの世界的な賞金レース「XPRIZE」。多くの人が頭に思い浮かべるのは、民間による月面無人探査を目指す「Google Lunar XPRIZE」ではないだろうか。KDDIも支援した日本のチーム「HAKUTO」によるチャレンジが話題になったこともあり、結果的に賞金レースにおける打ち上げは叶わなかったものの、日本発の技術の可能性を十分に印象付けた。

 XPRIZEは継続的に新しいテーマで開催されており、終了したものも含めると19テーマ、現在進行中のものに絞っても5テーマある。そのうち最も新しいものの1つが、2018年3月に決定した「ANA AVATAR XPRIZE」。日本の航空会社であるANAホールディングスの提案した「アバター」というテーマが、XPRIZEに選ばれた。

ANAホールディングス グループ経営戦略室 アバター準備室 ディレクターの深掘昂氏
ANAホールディングス グループ経営戦略室 アバター準備室 ディレクターの深掘昂氏

 一方、ANAは2019年10月に開催されたテクノロジー展示会「CEATEC 2019」において、“意識の瞬間移動”を可能にするプラットフォーム「avatar-in(アバターイン)」と、それを採用したロボット「newme(ニューミー)」を発表した。これまでのコミュニケーションロボットとは全くコンセプトの異なるnewmeと、XPRIZEのテーマであるアバターとは、当然ながら密接に関係している。

 これらのプロジェクトを主導するのが、ANAホールディングス グループ経営戦略室 アバター準備室 ディレクターの深掘昂氏。XPRIZEの賞金レースにおけるコンペティションにも、newmeの企画・開発にも、最初の立ち上げから深く関わってきた人物だ。インタビューの前編では、newme誕生のきっかけとなったXPRIZEのコンペの裏側に迫った。

「10億人の生活を変えること」がミニマムライン

——まず、アバターの開発を始めることになった経緯を教えてください。

 私はもともと技術職なのですが、そもそもANAに入社したのは、パイロットの緊急時の操作手順を作ったりしたかったからでした。それとは別に、趣味が事業設計で、社外のビジネスコンペにも何度か参加してきました。どれも業務外の時間を使って、社外のコンペでグランプリを獲って、その事業が社内で始まることになって異動する、ということを繰り返してきました。

 ANA AVATAR XPRIZEも最初はコンペから始まっています。私がかつてマーケティング部門の海外ブランディング担当だったときに、XPRIZE財団とタイアップして何かやりたいという思いがありました。学生時代にXPRIZEによる民間スペースシップのニュースを見たりして、航空エンジニアとしては憧れがあったんですね。

 そんなことを思っているときに、XPRIZE財団の方が「Google Lunar XPRIZE」に関連するイベントで来日することになったらしく、ANAのロサンゼルス支店に航空券のディスカウント依頼が入ったんです。その話が私のいる日本の本部にも伝わってきました。

 航空会社へのディスカウント依頼はよくあることです。国際的な財団からのオファーは絶対に乗った方がいいと考え、そこできっかけを作り、マーケティングモデルを考えてXPRIZEとタイアップさせていただくこともできました。

 そのとき、XPRIZE財団の創設者であるピーター・ディアマンデス氏から、Google Lunar XPRIZEの次の賞金レースを公募するという話を聞いたんです。それまでXPRIZEの賞金レースのテーマは、財団に所属する物理学者や起業家らスペシャリスト集団が設計して、それに(Google共同創業者の)ラリー・ペイジ氏や(Tesla創業者の)イーロン・マスク氏といった資産家、著名人が数十億円を投じて冠スポンサーをするみたいな形でした。

 しかし、次の賞金レースはテーマの設計自体をコンペにするんだと。これは面白い、チャンスだと思いました。とはいえ、数十億円規模のXPRIZEをスポンサードするなんて、できるとしてもANAだとあと10年はかかるだろうなと思っていました。だからマーケティングタイアップから始めたんです。

ANAホールディングス株式会社 グループ経営戦略室 アバター準備室 ディレクターの深掘 昂氏
アバターの開発を始めることになった経緯を話す深掘氏

 しかも、そのコンペについても、すでに8チームで始まっていました。シンガポール政府や、ボストン コンサルティング グループ、デロイト トーマツ コンサルティングなど、いわゆるグローバルのトップコンサルタントの集団が参加していました。でも、まだ開始直後だったので、もしあと2週間以内に参加表明できるなら大丈夫だと思ったんです。

——会社を説得できればということですね。ただ、ANAにとっては「どんなメリットがあるんだ」という話になりそうです。

 賞金レースを設計するコンペに参加するなんてことを、会社に認めてもらうのはまず無理だなと思いました。ですが、今まで社外のビジネスコンペに勝って社内で立ち上げてきたという実績がありますので、社内説得は得意です(笑)。そのスキルを生かして社内を説得して、今まで一緒に立ち上げてきた同僚の(梶谷)ケビンと一緒に、コンペに参加させてもらえることになったんですよね。

 コンペに参加するチームは、6カ月間研修みたいな形で賞金レースのテーマ設計に取り組みます。XPRIZEファミリーである(映画監督の)ジェームズ・キャメロン氏やイーロン・マスク氏、ラリー・ペイジ氏など、トップ中のトップの人たちからもアドバイスをもらうことができる可能性がありました。

 こんなチャンスはないと思いました。これで優勝すれば、もしかしたら10年くらいかかると思っていた賞金レースが現実にできるんじゃないかと。

——たしかにそんな恵まれた環境は、まず人生で経験できませんよね。

 なので、参加する限りは優勝しようと決意しました。ケビンと2人で、本業の仕事が終わった後、いろいろアイデアを考えました。賞金レースのテーマは何でもいいんです。ただ、XPRIZEの審査はすごく厳格です。リクワイアメント(テーマの条件)はいくつかあるんですが、簡単に言うと「10億人の生活を変えられるかどうか」が最低限です。

 アプリを作りますとか、いわゆるアイデアソンレベルでは全然ダメで、最低でも10億人の生活が変わらないといけない。それがミニマムラインで、その後にスケールできるか、なぜそのテーマで賞金レースにしなきゃいけないのか、というところまで考えなければいけません。ただ、一応ANAから出させてもらってるので、私たちのカテゴリーは大きく「トランスポーテーション」と決めました。

トランスポーテーションからアバターへ

——「輸送」という意味では、すごくANAらしいテーマですね。

 でも一番最初、私とケビンが会議室に集まったとき、「トランスポーテーション」の究極は瞬間移動、どこでもドアみたいな「テレポーテーション」だよね、みたいな笑い話から始めたんです。もちろん冗談だったので、それから真剣に「ハイパーソニック・エレクトリック・エアクラフト」とか、「マイクロ・ロケット」とか、純粋に輸送のことをたくさん考えました。

 ところが、実はANAのようなエアラインがモビリティとしてスタックしているところがあって。それは、エアラインのユーザー数が世界人口75億人中の6%しかいないということ。より速い移動手段を発明したとしても、結局は富裕層の乗り物になってしまうんですよね。

 10億人の生活を変えるものでなければなりませんし、どうせ作るんだったら世界中の人が誰でも使えるような輸送システムを作りたいと思って、再びアイデアが「テレポーテーション」に戻っちゃったんです。テレポーテーションでどこまでできるんだろうと気になって調査したところ、東京大学の古澤明教授が、2004年に三者間の量子テレポーテーションを成功させていました。

 物質の伝送まではいっていないけれど、情報を光の速度でテレポートさせることはできている。実際テレポーテーションはあるぞと。それでテレポーテーションで賞金レースを設計することに決めたわけです。

——そのような経緯があったのですね。とはいえ、なかなか突飛なアイデアであることには変わりないですね。

 そうですね。コンペの決勝は2016年10月で、それまでの間に参加者と審査員による会合も何回かあります。どんなアイデアを考えているのかなど、中間ステータスを披露するわけですが、そこで自分たちも含めて9チームが集まりました。周りを見ると、みんなトップのエリートたちで、年齢もそこそこ高い。大手コンサルが米国中からトップコンサルタントを選抜しているんだから当たり前です。

最初のアイデア出しは笑い話から始まった
コンペ参加者と審査員による会合を振り返る深掘氏

 そんななかで、アジア人の若手の私たちが「テレポーテーションの賞金レースを考えました!」って言うわけです。もうほとんど全員、失笑ですよね(笑)。

——想像するだけで、肝が冷えますね(笑)。

 ところが、(XPRIZE財団創設者の)ピーター・ディアマンデス氏だけは、ものすごく反応してくれたんです。彼は元々ハーバード大学でメディカルの博士号を取った後、サイエンティストとしても活動しています。しかも、20社くらい起業していて投資家でもあります。そんな彼が、まさに「こんなアイデアを待っていた」と。

 XPRIZE財団は、賞金レースのテーマ候補をすでに大量にリスト化しているんですよ。世の中に出していないアイデアが大量にある。当然、よく考られるアイデアはほとんどそのリストにあるわけです。でも、そのリストにもないぞと。「テレポテーションみたいなのは最高じゃないか」と。

 もうピーターが興奮しちゃって、予定していた会合での挨拶をやめて、ホワイトボードの前に私たちを連れて行こうとするのを事務局から止められたり、そのあとSkypeミーティングでピーター自らが量子物理学者と一緒にグループチャットに入ってきたり……。ああいう人たちって火がつくとすごいんですよね(笑)。肩書きとか関係なしに、少年みたいな感じで。

——そこまで熱烈に応援してくれるのは嬉しいですね...。

 それから改めて量子テレポーテーションを調査して、東大の古澤明先生とも議論しました。そうしていろいろ考えて、結果的には量子テレポーテーションは諦めて、アバターへと方針を変えたわけですけど、これにも理由があります。

 最初に設計したテーマが、実際にはこの先100年はかかるような内容だったんですね。本来、XPRIZEが目標にしているのは、そもまま何もしなければ15年かかる技術を5年に短縮させるというものなので、さすがにリクワイアメント上は100年はダメなんです。

 近い将来に実現できて、誰もが使えるものを考えたときに、空港や道路のように施設が必要なものはいけない。そこで、「意識だけのテレポーテーション」にしようと。意識っていう人間のデータを光の速度で送って、ロボットの方で再生する。それが可能なアバターにしたんです。

——newmeのように、遠隔から自分が入って実際に動いたりコミュニケーションがとれるようなものですね。

 結果的には、アバターはいいテーマになったなと思っています。普通のテレポーテーションだと、どこでもドアみたいに移動できたとしても、その人自身の体なので、身体的制約は突破できないじゃないですか。でも、アバターだったらミクロサイズになって、医者が患者の血管に入ったりできますし、災害救助のために大きくなったりもできます。

 メディアでは、アバターを「分身ロボット」になぞらえて書かれるケースが多いのですが、自分たちとしては「変身」できるのがすごいことだと思うんですよね。チーターのように速く走れる体でもいいですし、鳥のように飛べる体でもいいですし、狭い場所をくぐれる蛇みたいな体でもいい。ユースケースによって好きなアバターを選んで好きなように使える。ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんでも、自分という殻を破れますよね。

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