2015年にApple Watchが発売されたとき、筆者はその年がスマートウォッチ元年になる、と記した。2015年4月24日の発売から4年、スマートウォッチ市場の覇者はAppleとなった。成功の理由は明確である。プロダクトとしての完成度が高く、相対的にソフトウェアの出来も良く、しかも、質を考えればお買い得だったのである。
その評価を決定づけたのは、2017年に発表された第3世代のApple Watchだった。iPhoneなしでも単独で通話やメッセージ、音楽のストリーミング再生などが使えることは、消費者以上に、コンペティターにとっては驚きだった。その後、ある時計メーカーのCEOは筆者にこう漏らした。「これで、スマートウォッチの世界標準はApple Watchになるだろう」。
Appleはマーケティングも巧みだった。スマートウォッチの機能を羅列する他社に対して、アップルは、それを手にすると何が変わるかを語ったのである。発表当初、Appleはハードの良さを強調していたし、その完成度は、確かに語るに値した。
しかし、第3世代以降、同社はApple Watchの機能や作り込みよりも、腕に着けると、どんな変化が起こるかを語るようになったのである。それはいささか大げさだったにせよ、スマートウォッチは何もない、という世評をアップルは巧みに覆したし、事実Apple Watchは、スポーツとヘルスケアとの連動において、大きな成功を収めた。Garmin(ガーミン)のユーザーほどプロフェッショナルではない、しかし、運動や健康に無関心ではない層に、Apple Watchは強く響いたのである。
良いか悪いか、好きか嫌いかはさておき、現時点におけるスマートウォッチの世界標準はApple Watchとなったことは間違いない。もちろん他にも優れたスマートウォッチは存在するが、消去法で選ぶと、残念ながらこれしか残らない。少なくとも、ハードウェアとしての完成度は、SamsungやASUS、Fossilなどのスマートウォッチに大きく勝るし、装着感においてなおそうだろう。時計の形を作るのは容易だが、時計として使えるものを作るのとは、話が違う。Appleは、まず「腕から外されない時計」を作るために努力を傾け、大きな成功を収めたのである。
高名な独立時計師であるフィリップ・デュフォーが嘆いたように、今や「時間を見るなら携帯電話で十分、と思うようになった人たちに、時計を着けさせるのは難しい」。多くの時計メーカーは装着感の改善に気を配るべきだったが、ステータス性を上げることに気を取られ、この20年、着け心地という概念を失念していたか、うがった見方をすると、積極的には考えなかった。もっとも着け心地に対する配慮の不足は、スマートウォッチを作るテック系の企業でいっそう顕著だった。時計を着けたことのない人たちが作るスマートウォッチは、形こそ腕時計だったが、時計として使えるものではなかったのである。
ちなみに最近は、Daniel Wellington(ダニエル・ウェリントン)やKnot(ノット)といった、着け心地に優れる時計を買う人が増えてきたし、多くの時計メーカーも、遅ればせながら、装着感を真剣に考えるようになった。景気が悪化し、消費者が保守的になった結果として、各メーカーは、できるだけ長く使える時計を作ろうと考えるようになったのである。対して、スマートウォッチメーカーの装着感に対する認識は、今なお改善を見ていない。スマートウォッチの作り手たちが、装着感に関する認識を改めない限り、Apple Watchの地位は当面安泰だろう。時計を着けなくなった人たちに、時計を着けさせるのは、多くの人たちが想像する以上に難しいのである。
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