筆者がそのイベント会場を訪れたのは、ニューヨークがすがすがしい朝を迎えた9月のこと。2層構造のクイーンズボロ橋が始まる辺り、橋の下にあるスタジオスペースだった。よくある製品発表会と同じように、椅子の列が並び、前方のステージには巨大なモニターが設置してある。違うのは、頭上で通勤ラッシュの車が行き交っていることだった。
普通と違う会場は、新しいプラットフォームの発表に似つかわしかった。
「何か大きいことが始まろうとしているのは明らかだった」と、このイベントに参加していたGlobalDataのアナリストAvi Greengart氏も語っている。
Androidのルーツは、Andy Rubin氏が2000年に創設したDangerというスタートアップ企業までさかのぼる。同社が作った「Sidekick」は、カルト的な人気を博した端末で、スライドするとキーボードが現れるのが特徴的だった。2004年、Rubin氏はDangerを去って次の事業に乗り出す。それが、Androidという小さな会社だった。1年後、Androidは約5000万ドルでGoogleに買収された。
その買収以前から、Rubin氏はHTCのChou氏と共同で、次世代スマートフォンの計画を進めていた。
「モバイルインターネットの体験を、一般大衆ユーザー向けにもっと簡単にするにはどうすればいいか、そのビジョンを話し合った」とChou氏は振り返る。
GoogleとRubin氏は、インタビューの要請に応じなかった。
キャリアの存在感を訴えるためか、G1をお披露目したのはRubin氏ではなく、T-Mobileの最高技術責任者(CTO)のCole Brodman氏だった。
その次に、(マンハッタンの渋滞を避けるために)ローラーブレードで街中を抜けてきたPage氏とBrin氏が登場した。Brin氏が、G1向けに初めて作ったアプリを紹介する。スマートフォンを放り上げるとスタートするタイマーだ。実際に、放り上げてみせた。
「これは製品に載せないように提案してたんだけど」、とPage氏が冗談を差し挟む。
Brin氏が言いたかったのは、OSがオープンであれば、誰でもアプリを作れるし、端末の操作性もカスタマイズできるということだった。
「私は少しギークだから、何かいじるのが好きなんだ」。Brin氏はそう説明した。
そうした気質が、AndroidとAppleの「iOS」との間に見られた初期の力関係を確立する一因となった。iPhoneはシステム環境が厳格に管理されていて、とにかく機能を使いたいというユーザーに向いていた。一方、Androidはもっと技術に詳しく、端末をカスタマイズしたい通に受けた。ホーム画面でアイコンの配置をより自由に変更でき、背景を調整したり、必要に応じてOSの外観や動作を変えたりすることもできたからだ。
Androidは最終的に巨大な存在となったが、G1自体の評価はさまざまだった。サムスンの「Galaxy Note9」や「iPhone XS Max」など、最近のファブレットに比べればかなり小さいのだが、当時としてはかさばる設計を非難する声が多かった。また、ピンチズームなどの機能はなく、メールでも「Exchange」がサポートされていなかった。
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