人工知能が苦手なこと、人と共存する未来の姿--研究者から見たAIとは - (page 2)

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「だまされることで世界を見る」人間

 ここまで、人工知能と人間のものの見方では何が違うのか、人工知能はどのようにものを見ているのかについて確認してきた。松田氏は「人間の能力をさらに理解することで、ディープラーニングを含めた人工知能をどう使っていけばよいのかが分かってくる」と話す。

 その人間の能力、「知」とは何なのだろうか。松田氏は「『知』とは無限定空間において情報を作り出すこと」と言っている。どういうことなのか、詳しく説明を聞いていこう。

 人間の知能を理解するに当たって、はじめに松田氏は、目の錯覚、「錯視」を取り上げた。有名な錯視の中から、光の当たっている部分の暗い色のタイルと影になっている部分の明るい色のタイルが、実は同じ色だという「チェッカーシャドウ錯視」や、縦置きにした机より横置きにした机の方が長さが短く見える図、線としての輪郭は存在しないのにまわりに配置された図形の切れ込みのせいで、三角形などの輪郭が感じられる図といったものが紹介された。


チェッカーシャドウ錯視
出典:Kanizsa, G. (1955), Rivista di Psicologia 49 (1): 7
出典:Kanizsa, G. (1955), Rivista di Psicologia 49 (1): 7

 「チェッカーシャドウ錯視で分かるように、私たちの脳は実際の色とはかなり違うものを認識している。また机の図では、人間の空間認識能力がある意味騙されているのだが、逆にそれができることで人間は遠近感をつかめる」(松田氏)

 松田氏はこれを「人間の目の特性」と言う。「私たちは、だまされることで世界を見ている。だまされることなしには、新聞もテレビもスマホも見られない。こうした見方は人工知能は苦手だ。私たちには自然にできるので、できることすら忘れているが、人間のものを見る能力はそれぐらい優れている」(松田氏)

 では、なぜ、どのようにして「だまされることで世界を見る」ということが起こっているのか。「世界を見る」とはどういうことなのか。

 松田氏が紹介したのは通称「ゴンドラ猫」と呼ばれる心理学の実験だ。これは「ものを見ることは自分が動くということと関係があるのではないか」として考えられた実験で、生後間もない子猫2匹を装置に入れ、同じように見ることはできるが、一方は自由に歩けるようにし、もう一方はゴンドラに入れられて受動的にしか動けないようにしたものだ。


「ゴンドラ猫」の実験

 「この実験からは重要な知見が得られた」と松田氏は言う。「受動的な猫(ゴンドラ猫)は、正常な空間認識能力が形成できない、ということが分かった。ものにぶつかったり、来るものをよけられなかったり、えさを取るときのリーチも不適切になった。自分とものとの関係を通して世界を見る、ということが、受動的に景色を見ているだけでは全く身に付かないということが、この研究で明らかになった」(松田氏)

 松田氏は「従来の脳の研究では、別々に考えられていた『認識』するということと『運動』するという機能は、実は表裏一体だということがこの研究で分かった。さらに重要なのは『能動的に動く』ことなしに世界を見ることはできない、ということ。私たちは身体があって、自分で動き回ることができるから、世界を見ることができる。まさに能動性が、私たちがものを見ることができる能力の本質的な部分になっている」と語る。

 人間の能動性による能力をさらに理解するために、松田氏が次に紹介したのは「ミラーニューロン」の働きについての実験だ。

 サルによる実験で見つかったこの「ミラーニューロン」の働きはこうだ。サルがバナナを食べる時に発火するニューロンを観察していったところ、このニューロンが別のサルがバナナを食べるのを見ているときにも発火することが判明。しかし「同じ動作であっても動作の意味が違うと、ニューロンは発火しない」という。

 食べ物をつかむのを見ているときに発火するニューロンは、同じ「つかむ」と言う動作でも、たべものでないものをつかんでいるときには発火しない、というのだ。


ミラーニューロンの働き

 「このミラーニューロンは、動作そのものに発火しているのではなく、動作の「意図」に対して発火しているのではないか、ということが分かってきた。ますます(錯視だけでなく)私たちは実際のものを見ているのではなく、そのものの向こう側を見ているのではないか、という話になってくる。ここからさらに、人間関係ということも分かってくる。他者を理解するということは、単に他者の動きを理解しているわけではなく、他者が今何をやろうとしているのか、その意図を理解すること。だからこそ共感というものも生まれてくる、と言われている」(松田氏)

 つまり「世界を見る」とは、世界に能動的に働きかけることでできることであり、他者を理解するということは動きを客観的に観察することではなく、主観的に他者の意図を理解しようとすることだ、と松田氏は説明する。「能動的な関わり合いが人間らしさにとって重要だ。データ処理のような、記号的な理解では、人間の認識とはかなり大きな隔たりがあり、追いつけない」(松田氏)

 続けて松田氏は、私たちが見ている「意味」とは何なのか、ということについても述べた。「イスを見るときに、私たちはイスの何を見ているのか。例えば機械にやらせようとすると『足が4つあって、背もたれがあって……』といった定義付けが必要になるのだが、そうすると必ず例外が生まれて、全部は認識できない。一方、人間はどれを見ても『イスだよね』と当たり前のように分かってしまう」これはいったいどういうメカニズムなのか。松田氏は、先ほどの「能動性」と関連づけて説明する。

意味を解く鍵は「能動性」
意味を解く鍵は「能動性」

 「イスの意味を理解しようと思ったら、そこに能動性を入れていかなければいけない。能動性から何が分かるかというと『意味とは、自分の身体が能動的に動くときの行為の意味である』ということ。自分にとってイスの意味とは何か、ということを考えると、別に『イス』という記号を認識したいわけではない。イスに対して例えば『物思いにふけりたい』『集中して仕事したい』『二人の関係を深めたい』といった目的がある。これを専門用語で『ドラマ』と呼ぶが、それぞれの人が自分自身のドラマを生きていて、そのドラマの中にイスを位置付けることで、ドラマが発展していく。これがまさに意味が作られる、ということだ」(松田氏)

 松田氏は「自分自身のドラマを生きる人間、または生物にのみ、意味を理解することができる。『ものを見る』とは意味を理解することである」と述べた。

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