このように、一見すると便利にしか思えないAdobe SenseiによるAIだが、その一方で懸念を抱くユーザーもいる。今回のAdobe MAX 2017でも基調講演後の質疑応答で、一部の記者から「AIにはそれ自体が暴走したり、人間にとって替わったりするのではないかという懸念があるが……」という質問が飛びだした。AIが話題として取り上げられるカンファレンスなどでは、誰かが必ず一回ぐらいはする定番の質問なのだが、逆に言えば、多くの人がそういう懸念を抱いていることの裏返しでもある。
どんなことが考えられるかと言えば、たとえば素材と結果を指定して、それをAIに読み込まされば、AIが自動的にデザインを行ってくれる。そうしたことが可能になるなら、クリエーターはいらないのではないか──?そういう議論だ。Adobe MAXの参加者の大半は、そうしたクリエーターであり、Adobeがこれまで貫いてきた「クリエーターファースト」(クリエーター優先)の姿勢に反するのではないか、と見る向きもある。
これに対してAdobe Systems 社長兼CEO シャンタヌ・ナラヤン氏は「そうではない」と、その懸念を明確に否定した。ナラヤン氏は「われわれが作っているAIは汎用のAIではなく、クリエーターのために特化したAIだ。たとえば、現在はデスクトップでマウスを使って領域を指定しているが、それがAIを活用して大まかに指定することで、あとはAIが処理をする。そのように、AIがクリエーターの創造性を助けるAIにしていく」と述べ、Adobe Senseiはクリエーターの仕事を奪うものではなく、むしろクリエーターの創造活動を手助けするAIなのだと説明した。
クリエーターの創作活動といっても、クリエーターがPhotoshop CCなりで作業を行っている時間のすべてが本質的な創作活動かと言えばそうでない時間が多い。たとえば、Photoshop CCで画像から何かを切り抜くことを考えてみよう。通常であれば、クリエーターがマウスなどを利用して範囲を指定して切り抜く。そのマウスで切り抜く箇所を指定することが創作活動かと言えば、そうではないだろう。そうした作業は、誰もある程度の訓練を積めばできるような作業であり、クリエーターではなくてもできる作業だと言える。
そうした作業は、言ってみれば作家の村上春樹氏が、同氏の小説「ダンス・ダンス・ダンス」の中で主人公が自分の仕事を表現する言葉「文化的雪かき」と同類の作業だ。文化的雪かきとは、ライターの主人公が自分の仕事をノウハウはあるけれども、誰にでもできる作業として表現した言葉だ。Photoshop CCで何かを切り抜くという作業もある意味文化的雪かきに該当すると言ってよい。
ナラヤン氏がいうAdobe Senseiの役割というのは、こうした文化的雪かきをAIが代替する、そういうことだ。文化的雪かきは確かに知的作業ではあるが、誰にでもできる、つまり誰かに任せることができる作業。クリエーターによってはそうした作業をアシスタントに任せたりしている場合もあると思うが、そうした作業をAdobe Senseiがアシスタントに替わって請け負う。ナラヤン氏が言いたいことはそういうことだ。
それにより、クリエーターはそうした文化的雪かきから解放され、もっと本質的な創造活動、たとえば新しいデザインを創造することなどに打ち込めるようになる。
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