“ググれカス”は“ググってもカス”に--情報を引き出すための検索リテラシー

 皆さんは検索したとき、思う通りの情報を引き出せているだろうか。もちろん、Google検索で必要なキーワードを入れれば、誰もが簡単に何らかの情報を拾うことはできる。しかしその結果、得られる情報に不満を覚えることも少ないのではないだろうか。

 「いくらググっても満足できる結果が得られない」。そう不満に感じているのであればまだいい。情報の精度や内容についての見極めができず鵜呑みにし、誤った知識を”常識”だと認識しているという可能性も考慮すべきだろう。

 “Google検索は故障しているも同然”とまでは言わないが、ページビューを集めることで収益を得られるビジネスが多い中、ごく当たり前にキーワードを入力しているだけでは情報の質に力を入れず、検索流入の増加のみにフォーカスしたサイトが増えていることは否定できない。

 まったく異なるサイトの情報なのに、内容はほとんど同じ。しかも、一般論が不必要に長く書かれているだけで結論めいた解説や事実関係について最終的に触れられていない──そんな記事にイライラしたことはないだろうか。

 2016年末に問題となったDeNA運営の医療・健康情報サイトにまつわる話題で見えてきたのは、情報の質を向上させるよりも広告指標を向上させるために、Google検索上位に入るよう工夫を重ねることの方が事業価値を高められるという、インターネットのメディアが抱えるジレンマだ。

普通に「ググって」も有益な情報が得られない時代に

 ある日、Facebookを見ていると友人が懐かしい言葉を書き込んでいた。それは“ググれカス”。あらためて言うまでもないが、ネットを検索すれば正しい情報があっという間に出てくるにもかかわらず、安易にまわりの人間に質問するだけで解決しようとする自助努力が足りない者のことを”カス”と侮蔑する言葉だ。

 プライベートな事案はだけではない。グループワークをするチーム中で内部資料を探したり、過去の事例を辿ればすぐに情報が見つかったりするというのに、そもそも自分で探そうとすらしない。そんな例も”ググれカス”に類似する、いろいろな職場でよくある風景と言えるだろう。

 こうしたググれカス案件は、プライベートならば単に“面倒臭い”というだけで済むが、仕事の中では共同作業の効率を落とす典型的なパターンとして忌み嫌われているが、「ググれよ、このカスが」と侮蔑の言葉を浴びせるだけでは問題は解決しない。

 この言葉が生まれた2000年代前半は、確かにググることでそれなりの品質の情報にたどり着けていた。しかし、冒頭で述べたように“ググってもカス(な情報しか得られない)”なケースは増加している。

 元の言葉が指し示す”カス”は能力のない者(カス野郎)という意味だったが、結局、能力がない者がググったとしても有益な情報が得られないとすれば「ググらぬカスはググってもカス」という、どうしようもない世の中になってきた……とも言えるかもしれない。一方で、ちょっとした検索ノウハウの違いで仕事の質に差を付けられるチャンスとも捉えられる。

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