10月2~4日の3日間にわたって行われた、朝日新聞主催のイベント「朝日地球環境フォーラム2016」。3日目にスペシャルセッションとして行われたパネルディスカッション「VRジャーナリズムの可能性を探る」では、朝日新聞メディアラボ主査の堀江孝治氏がモデレータを務め、3人のパネリストが報道におけるVRの取り組みや今後の可能性を議論した。
セッションには、日本におけるVR業界の一人者としても知られる、理化学研究所脳科学総合研究センターの藤井直敬氏がVRの歴史について解説。藤井氏によると、VRと略される「Virtual Reality」は、日本語では仮想現実と訳されているが、誤訳であるとし、次のように説明した。
「一般に仮想現実と訳されるVRは、本当はないものがなんとなくそれっぽく見えることだと思われがちだが、正しくは多少見た目は異なっていても実質的には同じものという意味。つまり、テクノロジを使って本当はその場にはないが、そこにあるとしか思えないことを実現するための技術。テクノロジを使うことで、時間と空間を自由に操作できる世界。つまり、人類の認知境界を拡張し、進化させる環境操作・体験技術と私は考えている」
続いてプレゼンテーションを行ったのは、朝日新聞社執行役員でデジタル・国際・教育事業担当の大西弘美氏。大西氏によると、現在ジャーナリズムにおけるVRの取り組みは、世界的に数多く行われているという。
例えば、英ガーディアン紙は「Could you handle it?」という独房を体験するコンテンツ、英国の国際放送局・BBCでは「We Wait」という船を待つシリア難民を取材した証言をもとにアニメによって再現した映像をネット上で公開している。
大西氏は「新聞というのは、元来文章と写真で伝えるメディア。しかし、読者に追体験してもらえるようにするには、どうしたら伝わるだろうか?ということは常々考えてきた」と語る。
また、大西氏が所属する朝日新聞デジタルでも「いきもの目線」という水族館や動物園を360度映像で体験できるコンテンツを展開している。「VRにかかわらず、インターネットの世界になると、ユーザー側がアクティブにいろんなことができるようになる。スチール写真が一瞬を切り取るとすると、360度コンテンツはユーザーが見る場所を選ぶことができる。つまり、視点が変わってくるということ。見ている人が視点を外部化できるので、物事をより“自分事化”でき、これまで以上に追体験できるようになる。デジタルを使ってどうやって伝えていくかを考える必要がある」と、今後のVRジャーナリズムの課題を挙げた。
3人目のパネリストである朝日新聞社映像報道部次長の樫山晃生氏は、報道カメラマンとして、2009年ごろから現場で360度コンテンツへの取り組みも続けてきたひとり。ジャーリズムの世界におけるVR撮影の現状や課題について、これまでの経験を踏まえて次のように見解を述べた。
「我々はニュースの現場で常にどんなものを撮影すればよいか、何を撮影するかで悩んでいる。そこで考えるのが、まずは読者・視聴者が見てみたいと思う映像であるか、見ている人が実際に獲得できない視点であるということ。それから、戦場や災害現場といったインパクトの強いコンテンツの中でどこを見せるべきかというのも考えなければならない。360度映像となると、どうしても人が映り込んでしまう問題がある。中には映り込みたい人もいるだろうし、肖像権の問題をどのようにクリアしていけばいいのか。すべての素材が360度映像で見せる必要があるのかということもある。例えば動きのない展覧会をわざわざ360度映像にする必要があるのか、そういったことも考える必要がある」
ジャーナリズムの世界だけでなく、今年あらゆる業界で注目されているVRだが、“機は熟した”というのが3人のパネリストが共通して感じている背景だ。
藤井氏は「VRが今まで普及できなかったのは、コンテンツを再生するハードウェアの性能が十分でなかったのが理由のひとつ。そしてもうひとつ後押ししているのが、スマホの普及。VRのためではないが皆がスマホを持っている。簡単にVRが体験できるプラットホームとしてのスマホの存在は大きい」と述べた上で、「何千億という巨額な投資がされているのにまったく産業が起きないというのはあり得ない。止めるわけにもいかない」とし、VRが近い将来、日常生活に必ず溶け込み、一般的なものになると予測した。
また、他の2人のパネリストも「家庭用のテレビ録画と同じ道をたどると思う」(大西氏)、「機材がどんどん安価で簡単に取り扱えるようになった。一般の人でも扱えるようになり、カメラマンにはどんどん厳しい時代になっていくだろう。一般の人と差別化ができるコンテンツを考えていかなければならない」(樫山氏)と続けた。
ジャーナリズムにおける今後のVRの可能性については、しばらく手探りの状態が続くだろうというのが共通した見解だ。「ジャーナリズムの現場でも、世界中でさまざまな取り組みがなされている。インパクトのある事例が積み重なってくると、VRの表現として有効な手法だとだんだんわかってくるのではないか。みんなまだ迷っているが、手数を出していろんなことをやってみないと、どれが正しいパスなのかはわからない」と、藤井氏は前向きだ。
それに対し、報道の現場に携わる大西氏と樫山氏からはやや慎重な意見が述べられた。
「感情に訴えかけるインパクトのある映像体験は、他人事だと思っていたことが自分事に思えるパワフルな手段。しかし、行き過ぎたものや間違ったことに使うと怖いものにもなり得る」(大西氏)
「今のジャーナリズムにおけるVRの問題は、どのように“アウトプット”するかということ。撮影自体はリコーの『THETA』などで簡単になってきているが、どのような撮り方をしていくかを考えなければならない」(樫山氏)
一方、VRの負の側面として言われる例のひとつに、子どもが現実との区別ができなくなる危険性が挙げられるが、「実際にわからなくなると思う。現実的にそれはどうしようもないこと。だから、コンテンツに合わせてレーティングは必ず必要になってくる。リスクをわかった上でコンテンツを配信していくことが大切」と藤井氏。
これに対し、大西氏は「年齢によってどう制限するかは必要だが、子ども向けのコンテンツをどこまで出していくのかが難しいと思う」と述べた。一方で、撮影については「かつてカメラマンがビデオを扱うようになった時にも、はじめは一瞬をスチールで切り取るのが仕事だと抵抗された。でも今は360度映像の時代になって、カメラマンがどういうふうにセッティングして、どのように見せるかというのが、腕の見せどころというふうに変わってきている。かつての文章や写真による表現からVRに変わっても、どうしたら読者や視聴者により伝わるのか。いろいろな試みに挑戦していきたい」と語った。
樫山氏も「写真以外にもいろいろな可能性が広がってきている。われわれは表現を追求していきたい」と、今後もジャーナリストとして、VRに積極的に取り組む決意を語った。
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