Jobs氏の細部へのこだわりは、自身の名刺だけに留まらなかった。同氏はAppleの製品の販売に使われるパッケージにも強いこだわりがあった。今では象徴的な存在になった「iPhone」やMacのしゃれた白い箱は、Jobs氏がいなければこの世に生まれなかっただろう、とTom Suiter氏は語る。
Suiter氏はAppleの初代クリエイティブサービス担当ディレクターを務め、1984年のMacの発売に尽力した。また、製品パッケージの刷新にも関与した。
「(Apple製品のパッケージを)思い浮かべて、今の『Apple Store』を訪れ、その箱に収められた製品を購入するのは、とても喜ばしい体験だろう。パッケージがすごく魅力的だから。Appleはそのことで知られている。だが、私は幸運にも、Apple製品のパッケージがひどかった時代に居合わせることができた」(同氏)
Appleが1980年代前半にさまざまな製品を発売したとき、「パッケージに統一性はなかった」とSuiter氏はいう。それぞれの部門にデザイナーがおり、ほかの部門と連携することなくパッケージを作っていた。そのせいで、「社内で多くのコストが生じていた」と同氏は語る。Suiter氏のチームは1984年、Appleの全製品に共通する新しいパッケージデザインを考案する仕事を任された。
彼らは2つのバージョンを考案した。1つは「コスト効率が秀逸」なデザインで、もう1つは「少なくとも」その3倍のコストが必要なデザインだった、と同氏は回想する。
安い方のバージョンは、ボール紙に2色で描かれ、「非常に飾り気のないものだった」とSuiter氏はいう。「もう一方のデザインは本当に華やかだった。Appleロゴの6色がすべて使われていた。そのAppleのロゴが1つの面に描かれており、白黒の写真が箱に印刷されていた」(同氏)
Suiter氏のチームはその2種類のパッケージデザインをAppleのさまざまな部門に見せた。「コストの差は顕著だった。われわれにそんな金額を払うことはできないので、あの(安い方の)バージョンを選ぶことになるだろうとわれわれは考えていた」(同氏)
だが、Jobs氏はSuiter氏を驚かせた。「Steveは皆を制止して、『いや、こうして払えばいい。広告予算からそのコストを賄おう。パッケージは広告塔のようなものだと私は考えている。人が箱を持ち運んで、(それを)車に載せれば、その箱はAppleの動く広告塔になる。これにしよう』と話した」(Suiter氏)
Appleは今でも似たデザインのパッケージを使用している。
Jobs氏は多くの人に天才とみなされているが、気難しい一面もあった。そのことは、Appleの従業員もよく知っていた。
1981年に「Macintosh」の経理担当管理者として同社に入社したDebi Coleman氏は、「(Steveは)廊下をずんずんと早足で、または小走りでやって来て、『なんてバカなやつだ。お前がこんな愚かなことをしたのが信じられない』と大声で叫んでいたものだ」と語る。
Coleman氏がJobs氏に立ち向かう方法を身につけるのには1年かかった。Coleman氏はそれを教えてくれた人物として、Macのマーケティングを担当していた幹部社員Joanna Hoffman氏の名前を挙げている。「Joannaは、『彼の目を直視しなさい。立ち上がらなくてはだめ』と言ってくれた。彼が手強く、極めて厳しく、極めて批判的でなかったと言っているわけではないが、そのときから彼は本当に素晴らしく接してくれた」(Coleman氏)
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