Coleman氏は1984年、Mac製造部門の責任者となり、テクノロジ業界で最も高い役職の女性の1人になった。1986年には、Appleの最高財務責任者(CFO)に就任した。2015年11月、Macチームに在籍した女性の懇親会が開かれた。Coleman氏はそこで、Jobs氏がAppleの成功に大きく貢献したことを称え、Jobs氏はAppleで働く人々に自分たちは世界を変えられると信じさせてくれた、と話した。確かにJobs氏は威圧的だったかもしれないが、優しい一面もあった、とColeman氏は述べている。
Macintoshコンピュータが発売されてから間もない、ある日曜日の朝、Coleman氏にJobs氏から電話があり、Macの工場で会ってほしいと頼まれた。自分の父親に工場を案内してあげたい、とJobs氏は言った。
「Steveが養父のことを愛し、尊敬している様子を見るのは、本当に素晴らしい体験だった。あんな光景はそれまでも、それからも一度も見たことがない」
Jobs氏は1980年代前半にJohn Sculley氏を雇った。当時、Sculley氏はPepsiのCEOで、同社がCoca-Colaを抜いて首位の飲料メーカーになるのに貢献した実績があった。Jobs氏が1983年、Sculley氏にAppleのCEOに就任してもらうため、「このまま一生砂糖水を売り続けたいのか」、それとも「私と一緒に世界を変えたいのか」と言って説得したことはよく知られている。1985年のJobs氏追放に手を貸すまでJobs氏と親しい関係にあったSculley氏は、AppleのCEOを10年務め、最後は自身が退任する羽目に陥った。
Sculley氏は、1982年にシリコンバレーのAppleを初めて訪問したときのことを、今も覚えている。
Sculley氏によると、「指定された住所へ行ったが、間違ったと思った。ビルがなくて家が建っているだけだったから」だそうだ。Sculley氏はAppleが幹部用オフィスとして使っている家でJobs氏と落ち合い、2人で2ブロック離れたところにあるMac開発用の建物へ向かった。
「真っ青に晴れ渡った日で、建物の屋根には海賊旗がはためいていた。Steveは、『Lisa』開発グループに強い対抗心を抱いていたんだ。Lisaは海軍のようなものだったから、Steveは海賊になりたがっていた」(Sculley氏)
Macを開発していた建物のなかには、開発者の好みに合わせて高価なピアノやオートバイが置いてあった。開発室へ入っていくと、Macintoshチームの初代メンバーで、システムソフトウェア設計を担当していたAndy Hertzfeld氏がデモの準備をして待っていた。
「Steveは、私がAppleの面接を受けに来たのではなく、PepsiのCEOとしてPepsi用Macに興味があって訪れた、という作戦をとっていた。Andyのデモは、Macの画面で何個ものPepsiの缶を踊らせる内容だったが、私はこの動作が極めて難しく、とても斬新であると知らなかったのだ。そして、チェシャ猫(訳注:「不思議の国のアリス」に登場する架空の猫)のようにニタニタ笑っているAndyに困惑した。このようにして、Appleがどのような会社であるか知るための最初の授業を受けたわけだ。完全にスタートアップ企業だった」(Sculley氏)
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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