電子書籍ビジネスの真相

図書館はベストセラーをどれだけ買い込んでいるのか?--「村上海賊の娘」のデータを調べたら頭が混乱した話 - (page 3)

林 智彦(朝日新聞社デジタル本部)2015年12月09日 08時30分

「推定逸失利益」を計算してみる

 新潮社の佐藤社長がおっしゃるとおり、図書館が社会で担っている役割は、1つじゃありません。「調査」「研究」を大事に考えるのであれば、1館で38点も買い込む、というのは、いずれにしろ再考の余地があるかもしれません。

 もう少しイメージを明確にするため、この本が無償で貸し出された結果、書店が失った売上(小売価格ベース)1年分を、次の式で計算してみます。消費税については計算の便のため、考えない(含めてしまう)ものとします。

推定逸失利益(所蔵数×定価×52週)-図書館購入時の売上(所蔵数×定価)

 1年を52週とし、借りた利用者全員が1週間で返却したものと仮定します。人気作品なので、1年間すべての所蔵書籍が借りられっぱなし、という前提を置きます。図書館への納品時は、売上が書店等に入っているはずなので、この分を引きます。そして借りた人は、もしその本が図書館に所蔵されていなかったら、全員新刊を購入したものと仮定します。

 こうして求めた数字を都道府県別にまとめたのが、以下のグラフになります。

「村上海賊の娘(上)」1年間の逸失利益※最初の一冊を引く
「村上海賊の娘(上)」1年間の逸失利益※最初の一冊を引く

 トップの東京都で、推定逸失利益は9500万円。全国では、6億1381万円にものぼります。東洋経済新報社の「ブンナビ!」というサイトによりますと、新潮社の売上は2013年度で218億円。新潮社はこの仮定だと、売上の約3%を失った計算になるわけです。しかもこれは、上巻だけの数字です(ただし、いずれも小売価格ベースで、入金ベースだとこの6~7割になる)。

 著者の損失は、印税率10%だとすると約6000万円ですね。

 果たしてこの数字を、どう受け止めたらいいのでしょうか? いくつかの評価の仕方が考えられます。

・本書を借りた利用者が、もし借りられなかったら全員同書を書店で購入する、という想定になっている。非現実的だ。

 これは、確かにそうです。しかし、人気作ですし、少なくともそのうち何割かは購入するのではないでしょうか。上記の推計値の何割か、というだけでも、この種のベストセラーでは「分母」が大きいだけに、企業にとっては問題です。

・かなりの利用者は延滞するので、「貸出→返却→再貸出」のサイクルが1週間というのは非現実的だ。

 これも妥当な意見ですが、貸出期限のある図書館とない図書館があり、利用規定上の貸出期間はバラバラ、実際の貸出サイクルは地域や本の種類によってもまちまちだと考えられ、今回の調査に反映させられるようなデータを入手できませんでした(どこかにありましたら教えてください!)。

・図書館に陳列されることによる、プロモーション効果がある。貸出によって損をしたとしても、その一部か全部はプロモーション効果によって相殺される。あるいはプロモーション効果の方が上回る。

 これは、前出の中瀬氏や、元浦安市立中央図書館長の常世田良氏が示唆している説です。これまた、確かに妥当な意見ですが、中瀬氏も論文で認めているように、「元々誰もが知っている」ような著名な本には当てはまらない可能性があります。つまり、今回取り上げた『村上海賊の娘』が、まさにそのような例にあたりそうです。

新潮社の「お願い」の妥当性は?

 新潮社は公共図書館に、「著者と出版社が合意した本」について、1年程度の貸出猶予をするよう、「お願い」をする方針です。

 おそらくは、出版している全点についてではなく、上記のような「ベストセラー本」、つまり、著者や作品がすでに知られていて、公共図書館による貸出が売上に寄与しないか、寄与したとしても、わずかだと考えられる本になるのでしょうか。

 これまでの分析、特に逸失利益の分析では、「ベストセラー本」だけに限れば、確かに新潮社の要請にも、一理はあると考えられます。

 しかし、「お願い」というソフトな手段で、ほんとうに実効性があるのか、「お願い」で指定された本が適切であるかを、誰がどう判断するのか、地方自治との関係はどうなるのか、「お願い」の範囲がどんどん拡大していく恐れはないのか……などの疑問も浮かびます。

 そもそも、人気作家の作品でも、「売れると思って部数を刷ったけど、売れなかった」という例はたくさんあります。「お願い」対象の本は図書館も仕入れにくいでしょうから、「お願い」をしたが、結局売れ行き不振に終わった場合、その本は図書館という顧客を失うことにもなりかねず、出版社にとってもリスクがあります。要するに出版社は売れる本は図書館に買ってほしくないが、売れない本はむしろ買ってほしい、ところが売れるか売れないかどうかは売ってみないとわからず、売ってしまえば図書館が買うことを阻止できないジレンマがあります。

 今回、どうもクリアカットな結論が出なくて申し訳ないのですが、現行の制度の範囲で考える限り、この問題は容易には解決がつかないと思います。

1つの解決手段「公共貸与権(PLR)」

 1つの解決手段として、10年以上前から提案されているのが「公共貸与権(公共貸出権、公貸権、Public Lending Right=PLR)」です。

 これは、公共図書館に所蔵された本に関して、国や自治体が補償金を支払うという制度で、PLR Internationalという推進団体の発表しているところによると、世界31カ国で導入されているそうです。

 しかし、一口にPLRといっても、制度の中身は、国によってさまざまです。上記PLR Internationalの資料によると、たとえば、補償金の原資は、ほとんどの場合は国や自治体ですが、ルクセンブルクとオランダでは、図書館の経費から拠出されているようです。

 補償金の計算方法は、貸出件数をベースにする方式と、所蔵数や登録利用者数をベースにする方式など、こちらもバリエーションがあります。

 補償金の管理や支払いは、図書館が担う国と、著作者団体や第三者団体が担うケースとがあります。

 そして一番大事なのは、補償金をもらえる対象です。実は、出版社が入っているのは、5カ国にすぎません。残り26カ国は、著者、イラストレーター、写真家、翻訳者などを対象にしています。これも、国によって違います。

 いずれにしろ、海外の例にならってPLRを導入したとすると、出版社は補償の対象外となる可能性も高いのです。

 では、著者はどうなのか。どんな仕組みで、どの程度のお金をもらえるのでしょうか? 英国の例を調べてみました(Public Lending Right UK)。

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