電子書籍ビジネスの真相

「緊デジ」問題を読み解く11の疑問(後編)--「黒船病」にかかった電子書籍の識者たち

林 智彦(朝日新聞社デジタル本部)2015年10月20日 08時30分
[画像:西田宗千佳氏「「出版デジタル機構」は日本の電子書籍を救うのか<上>」より、西田氏の許可を得て使用]

はじめに

 こんにちは。「緊デジ」(経産省コンテンツ緊急デジタル化事業)の何が問題だったのか、あらためて整理するレポート。今回はその後編をお送りします(前編はこちら)。

疑問5)「知のアクセス向上」は果たされたか

 「緊デジ」の事業目標として、「被災地の知のアクセス向上」が挙げられていました。しかし、フタを開けてみると、電子化した本の半分近くが、コミックスであったことがわかりました(河北新報2014/4/9)。

 筆者は、一部の評論家のように、「コミックスは本ではない」と主張する気は、まったくありません。コミックスも、日本の素晴らしい伝統の一部ですし、コミックスにも、文字ものの本にも、よい本と悪い本があるだけだと思っています。

 しかし、「(被災地の)知のアクセス向上」というお題目から想像されるものと、大震災の翌年の公的プロジェクトで電子化された本の半分近くがコミックス、という結果との間には、少なからぬ「落差」があるのではないでしょうか?

疑問6)どんな形式の電子書籍が作られたのか?

 下のグラフをご覧ください。「フィックス型」が、圧倒的に多いことがわかります。

 ここで少し説明が必要でしょう。電子書籍には「リフロー型」と「フィックス(フィックスト)型」の2種類があります。

 リフロー型というのは、文字ものの電子書籍で一般的な形式で、テキストがベースになっています。ユーザーは、文字の大きさや種類を変えたり、わからない単語を、辞書で引いたりできます。

 リフロー型の重要な特長として、「アクセシビリティ」が高い、ということも見逃せません。ビューワが対応していれば、という条件付きですが、スマートデバイスやPCの機能を使って、テキストの内容を「読み上げ」できるので、目の不自由な方や、読字障がいの方にも、読書を楽しんでもらえるのです。

 これに対して、フィックス型は、スキャン画像がベースになっています。ユーザーは、画面の一部を拡大して見たりすることは可能ですが、文字の大きさや種類の変更はできませんし、辞書引きも不可能です。作り方によっては、目次機能がない場合もあります。

 このように、フィックス型はリフロー型と比べて、機能は制限されるのですが、その反面、基本は画像ファイルなので、複雑なレイアウトを表現でき、制作も容易である、という長所もあります。

 フィックス型の作り方は、基本的に、いわゆる「自炊」と同じです。紙の本を断裁して、スキャナにかけ、得られた画像データを電子書籍のフォーマット(今は、国際的に使われているEPUBという形式が主流)にまとめる、というものです。

 時間がかかるのは、スキャン工程であり、EPUB形式への変換は、ツールがあれば短時間で済みます。リフロー型とフィックス型の違いを、図にしてみました。


 ここで想起したいのが、読者から紙の本を預かってスキャンする、いわゆる「自炊代行業」です。2012年頃から、出版界は作家と組んで、悪質な「自炊代行業者」追放のため、さまざまな取り組みをしました。

 2011年12月と2012年11月には、東野圭吾、弘兼憲史、浅田次郎、大沢在昌、永井豪、林真理子、武論尊など、錚々たる顔ぶれの作家が、自炊代行業者を訴えました(集英社サイト内のリリースはこちらこちらに)。2011年の訴訟では、作家側実質勝訴の形で訴訟が終結、2012年の訴訟では、知財高裁で作家側勝訴の判決が出ました。

 これと平行して、日本書籍出版協会(書協)など出版9団体は、「出版広報センター(第二期)」のサイトを立ち上げ、「電子海賊版」の撲滅に向けた宣伝活動を展開しています(出版広報センター「深刻な海賊版の被害」)。ちょっと脇道にそれますが、同ページを覗いてみますと、まず目に飛び込むのが次の一節。

“「電子書籍元年」といわれ、総務省、文部科学省、経済産業省という異例の組み合わせで「三省デジタル懇談会」が開催された2010年は、同時に村上春樹や東野圭吾らのベストセラー小説のデジタル海賊版が、相次いでオンラインショップにアップロードされた年でした。”

 まるで、電子書籍が電子海賊版の原因であるかのような書きぶり。しかし、現実には、電子海賊版の9割は、紙の書籍のスキャンデータである、と考えられています。

 それはともかく、上記サイトの電子海賊版についての説明を読み進めると、電子海賊版の「素」となるスキャンデータは日本国内で制作されている、とあり、暗に自炊代行業者の関与もほのめかす内容となっています。

 もちろん、電子海賊版が大問題なのは明らかですが、「海賊版」の横行の背後には、海外で人気の、特にコミックスの海外向け正規電子版が、需要に対して足りていない、という現実が背景にあることも否めない事実でしょう。

 出版広報センターのサイトは、そうした背景事情には触れずに、海賊版の制作や販売の実態をかなり詳しく紹介し、その無法ぶりを非難しています。

 「緊デジ」の事業説明会が各地で実施されていた時期、制作する電子書籍がこれほどまでにフィックス型ばかりになると予想した業界関係者は少なかったと思います。

 電子書籍の可能性をフルに生かせて、障がい者にもやさしい、リフロー型が、今後の電子書籍の主役であり、自炊の延長線上にあり、技術的にも単純作業がメインのフィックス型の制作を、国費で実施する必要性があるとは到底思えなかったからです。

 しかし、結果は、フィックス型が7割。そのほとんどは、おそらくはコミックです。これだけを見れば、「緊デジ」とは、実質、税金を使った「公式自炊プロジェクト」であったと評することもできましょう。

 どうしてこうなったのか? 理由はいろいろ考えられますが、自炊代行業者を電子海賊版の元凶とみなしていた人々には、それへの対抗手段として、緊デジが実質「公式自炊業者」となり、海外配信にも使えるEPUB形式のファイルを制作してくれることは、決して都合が悪いことではなかった、ということは言えると思います。

 そうした思考が具体的な決定に落とし込まれる過程で、「復興予算を使った被災地のためのプロジェクト」という視点が抜け落ちてはいなかったどうか。表向きの事業目的と乖離した事業内容が、いつの頃からか目的になっていなかったかどうか。この面での情報公開も必要です。

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