こうしてゲーム制作に乗り出した松浦氏だが、ゲーム開発の現場を経験したことがないだけに、苦労の連続だったという。たとえば「開発現場を組んでみたもののオフィスの電源容量が足らず、エアコンの電源まで活用しようとしたら、夏場はスタッフ全員が上半身裸に近い感じで作業することになった」といったエピソードを披露。また丸山氏が「音楽アルバムに仕様書なんて作らない」と言っていたように、仕様書がなくαやβ版といった概念もなく音楽制作の感覚で開発を進めていったという。
松浦氏はパラッパラッパーについて「当時SCEの内部でもこれはゲームではないと言われた。でもこれをゲームと言ってくれたのはお客さん」と振り返る。もっともこの企画を後押しした佐藤氏は、初代プレイステーションが登場した当時の状況として、日本のゲームメーカーが提供したゲームが全世界の市場でも大きなシェアを占めていたという。そういう状況下でプレイステーションを打ち出していくにあたって、定番と呼ばれるゲームジャンルだけではなく、新しいジャンルを打ち出していく必要を感じていたという。そこで音楽関係のスタッフも多かったことから、音楽を主軸に置いたゲームを作りたいという構想を持っていたという。
こうしてリリースされたパラッパラッパーは初動こそ鈍かったものの、徐々に音楽ゲームの面白さと魅力が伝わっていき、松浦氏が語るには140万本以上の販売本数を出したヒットタイトルとなった。実はこのヒットを背景に、ミュージシャンと音楽を組み合わせた音楽ゲームを推進する考えが当時のSCEにあったが、うまくはいかなかったという。
丸山氏は、音楽のシングルであれば数カ月から半年、アルバムであれば長くても1年といった制作期間で完結できるが、ゲーム制作の場合はパラッパラッパーで3年かかった。そうでなくても企画の立ち上げから販売まで数年かかるのが当たり前の状況となっていたため、それだけ長期間ミュージシャンを拘束してしまうと、音楽業界での存在感がなくなってしまうためだと背景を語った。松浦氏も実際に存在感がなくなりかけたと付け加えていた。
のちに佐藤氏は、人気を博した音楽ゲームの「ダンスダンスレボリューション」を見て、「ゲーム制作のプロが音楽ゲームを作るとこう料理するのか」と感銘を受け、SCE以外のメーカーから新たな音楽ゲームが出たことの喜びとさらなる期待を寄せたという。
ここで黒川氏が、丸山氏の著書「往生際」に書かれていた「素人集団の発想のすごさ」について触れた。素人が作ったもののなかには、たまにとてつもなくすごいものが生まれ、大きなマーケットが出来上がるといったものだ。それがSCE立ち上げのころにあったのではと推察した。
これに対して佐藤氏がいくつかの見解を示した。当時のSCEには怖いもの見たさという推進力があったことや、経験はなくともキャッチーなものをうまくとらえることにたけていたこと。すでに先行していた任天堂やセガという存在があったため、ソニーのブランドイメージを背景に大人を含めたマーケットへ訴求していくという立ち位置が明確だったことをSCE立ち上げの成功要因として挙げた。素人集団というには少し異なるものの、佐藤氏は比較対象や前例のない立ち上げ時の仕事は楽しいもので、そのモチベーションの高さも背景にあると振り返った。
丸山氏は前述の音楽と技術の進化の話題に触れ、新しい技術が生まれるとクリエイターが、それを使い倒すぐらいに開発していく。そしてまた新しい技術が生み出され、新しいコンテンツやプラットフォーム、クリエイターが生まれてくると、コンテンツを提供する場が次々と変容していくものであると説明。丸山氏自身はこれまで音楽に関わりつつも、新しい技術やクリエイターに接することによって、新しいコンテンツやプラットフォームに立ち会ってきたと振り返り、新しいクリエイターと巡り会える機会が減っているものの「もう一回捕まえたい」と、まだ見ぬクリエイターの出現と出会いに期待を寄せていた。
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