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SCE創立メンバーと松浦雅也氏が語った「パラッパラッパー」とコンテンツ提供の場の変容

佐藤和也 (編集部)2014年07月30日 16時05分
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 7月24日、デジタルハリウッド大学大学院駿河台キャンパスにて「エンタテインメントの未来を考える会 黒川塾(二十)」と題したトークセッションを実施した。コラムニストの黒川文雄氏が主宰する。エンターテインメントの原点を見つめなおし、ポジティブに未来を考える会となっている。

 今回のテーマは「コンテンツプロデュースと丸山茂雄の『大往生』」と題し、日本のコンテンツ・クリエイティブにおけるプロデュースにフォーカスしたトークセッションが行われた。初代プレイステーションのヒットタイトルで音楽ゲームの先駆けとなった「パラッパラッパー」の制作経緯を中心に語った。

 登壇したのはエピックソニーの創始者でもあり、ソニー・コンピューターエンタテインメント(SCE)取締役会長、ソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役社長などを歴任し、現在は247inc.取締役を務める丸山茂雄氏。SCE創立メンバーの一人として参加し、プレイステーション初期の内製タイトル責任者としてゲームタイトルを多数プロデュース。SCE代表取締役会長、ソニー・ミュージックエンタテインメント取締役を歴任し、現在はエピックス代表取締役会長を務める佐藤明氏。ミュージシャンとして、そしてパラッパラッパーを手がけたクリエイターとしても知られる七音社代表取締役の松浦雅也氏。

左から黒川文雄氏、佐藤明氏、丸山茂雄氏、松浦雅也氏
左から黒川文雄氏、佐藤明氏、丸山茂雄氏、松浦雅也氏

進化によって生まれる音楽は別の新しいエンターテインメント

 松浦氏は音楽ユニット「PSY・S(サイズ)」のメンバーとして1985年にデビュー。作曲やサウンド面を全て担当するなどミュージシャンとして活動していた。冒頭では、松浦氏がなぜゲーム制作に向かっていったのかを語った。

 明かされたエピソードの1つは、のちのSCE創立メンバーの一人である高橋裕二氏が洋楽の仕事を担当していときに、ネットを活用して海外の音楽サイトの情報を集めていたこと。今でこそネットでの情報収集は当たり前のように思えるが、このときは1980年代後半で、当時のソニーグループでもネットを活用していたのはほんの一握りの人間だったという時代。あるときには駅の公衆電話から音響カプラとノートパソコンを活用して海外の情報をダウンロードしていたという。

  • 松浦雅也氏

 松浦氏は、音楽制作で活用しているのも記録しているのもコンピュータ。楽曲の制作過程まで含めたものが自身の作品であり、記録されたメディアだけが商品として世に出て行くのはおかしいのではないかと考えていたという。「制作過程における試行錯誤している熱量が高いものまでも含めて体験できるようなコンテンツにしないと、自分のやりたいことを全て表現できないと思った」(松浦氏)。

 佐藤氏は、そのころがアナログからデジタルへの転換期であり、メディアやプラットフォームの何が主流になるのかが読めない乱立状態になっていたという。実際、松浦氏はゲーム制作前までに、アナログテープからカセット、CDなど実に27のプラットフォームに作品を提供していたと振り返る。松浦氏は当時の状況について「たしかにほんろうされたけど、その中から新しいヒントを見つけないと自分は沈んでしまうと思った」と語り、音楽を維持するだけではなく、拡張する部分も自ら見いだしていかないと生き残れないという危機感を持っていたという。

 丸山氏は「技術が変わると音楽の表現の仕方も変わり、内容も変わる。そして技術がおっかけいく」と語っていったように、音楽と技術が密接に結びついたものであり、ともに進化していくものと説明。それにあわせて、例えるならミュージックビデオでアーティストを魅力的に見せるといった、音楽とはまた別の新しいエンターテイメントが進化によって生まれてくるという。

 松浦氏は、音楽を中心に据えつつも、どういった要素が周辺に絡んだら魅力が増すのか を深く考えるようになっていった。そして、音楽の制作過程のなかで、時には試行錯誤するインタラクティブな作業がそのまま音楽にくっついた表現ができるのではと考えていたときに、プレイステーションが登場した。これが松浦氏を新しい表現の場としてゲーム制作に向かわせたきっかけという。

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