電子書籍ビジネスの真相

スマホ文学は8ビットの夢を見るか--書評『お前たちの中に鬼がいる』 - (page 4)

林 智彦(朝日新聞社デジタル本部)2014年01月04日 10時54分

電子書籍という新テクノロジーが要求する「スタイル」

 梅原さんの話をここまで聞いてきて、筆者の頭のなかで、パズルの最後の欠片がはまったときのような感覚があった。

 本作品は、電子書籍と紙書籍とで、読後感がかなり異なる。端的に言えば、電子書籍の方が、より「没入感(ディープダイブ感)」が得られるのだ。

 先に述べたように、紙書籍は、意識的にせよ、無意識的にせよ、前後をチラチラ見ながら読み進めることができる。そのため、ストーリーを全体的に理解するという点では、電子書籍よりはるかに優れている。

 しかし、本作品や『Gene Mapper -core-』のように、描写や視点において、ある種のチューニングを施された作品においては、電子書籍の欠点(一覧性のなさ)が、逆に利点(没入感の促進)にもなるのだ。

 梅原さんの表現を借りれば、紙の書籍が高性能な64ビットパソコンだとすれば、電子書籍は、今のところレトロゲームが流行した時代の、8ビットマシンとでもいうべきか。

 パソコンの8ビットマシンは、現在では業務用としては使い物にならないが、音楽では、しばらく前から「8ビットミュージック」が人気だ。文学では、どうなのだろうか。

 梅原さんは、こう言う。

「今、Kindle Paperwhiteで芥川龍之介の全作品を読み直しているんですが、こうしたデバイスで読むのと、紙の本で読むのとはまったく別の体験、という気がしています。僕は紙の本でも芥川全集を持っているのですが、あの重さがなくなり、すべて同じ電子データとして端末内に並べられる。この感覚が面白い。僕らより下の世代は、こういうデバイスで読むのが『読書』の標準的なあり方になるんでしょうね。それに、よく見るとKindleって、昔のゲーム機みたいな佇まいですよね」

 この梅原さんの指摘は注目に値する。電子書籍(端末)での「読書」が紙の「読書」と異なる、ということは、電子書籍に適した、新しい文学の可能性がある、ということだからだ。

 米国では紙の書籍と電子書籍が同じ市場を奪い合うメディアであるという見方(いわゆるカニバリズム)はすっかり影を潜め、映画とテレビのように、むしろ別のメディアであるという考え方が優勢になっている。主要出版社の業績が、電子書籍の普及にもかかわらず、拡大しているのと、電子書籍で売れるジャンルは、ミステリー、ファンタジー、SFなど、いわゆる「ジャンル・フィクション」に限られ、それ以外のジャンルは紙の書籍が優勢だ、ということがはっきりと分かってきたからだ。

 米国で最初の自己出版ベストセラー作家として話題となったアマンダ・ホッキングにしても、全世界で6000万部を売り上げた「フィフティー・シェイズ」シリーズのE・Lジェイムズにしても、それまであまり主流の出版社には取り上げられなかった題材を電子書籍で売りだしたことが成功の鍵だった。

 内容に賛否はあれ、彼女らはそれぞれのやり方で、「電子書籍時代の文学」の可能性を切り開いたのだ。

 こう考えると、藤井氏と梅原さんは、日本において、それぞれ別の方角(一方は意識的に、他方は結果的に)から、「電子書籍にふさわしい文学」の鉱脈を探り当てた、端緒のような存在なのかもしれない。

 それが結果的に、叙述のスタイルや文体の、相同性につながっているとも考えられる。

 彼らのスタイルが、今後の電子書籍で、メインストリームのものになっていくかどうか。それは現時点では、誰にもわからない。

 特に日本の場合、諸外国と比べて、電子書籍専用端末やタブレットの普及が、非常に遅れている。

 その反面、スマートフォンは、普及率が4割に届こうかという勢いで加速度的に広まっている。

 その意味では、日本においては、「電子書籍時代の文学」というより、「スマホ文学」の誕生こそが、今待ち望まれているのかもしれない。

 いずれにしろ、藤井氏や梅原さんのチャレンジは、後世、振り返って、「あの時が分水嶺だった」と評価される、そのくらいのインパクトを持つものだと思う。

 できれば、電子版はサンプルでもいいので(Kindle端末だけでなく、iOSやAndroidのKindleアプリでも読める)、電子版と紙版、両方を読み比べてほしい。

 そうすればきっと、今までにない読書体験の萌芽が覗き見られることだろう。梅原さんは現在、『鬼がいる』以後に書き溜めた作品の発表を準備中だという。

 『鬼がいる』が切り開いた可能性を、さらに広げてくれるのだろうか?

 今後の活躍が、本当に楽しみである。  

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