こうしてストーリーをまとめると、ミステリー小説における「クローズド・サークル(閉鎖空間もの)」とか、近年サスペンスでよく見かける「脱出もの」の系譜に連なる典型的な作品、という印象を受けるかもしれない。
実際、アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』『ねずみとり』など、古典的なクローズド・サークル作品や、『バトル・ロワイヤル』『ライアーゲーム』『クリムゾンの迷宮』など、ゼロ年代以降に増えた「脱出もの」、どちらの要素も、色濃く見受けられることは確かだ。
ただし、そうした印象は初めだけで、読み進んでいくうちに、それらとはちょっと違った印象を読者は持つことになるだろう。ある種の「違和感」があるのだ。
違和感の理由の1つは、その描写にある。登場人物のスペックが、奇妙に「ブランク」なのである。
例えば、主人公の須永。この男の容姿については、作品中で、ほとんど描写がない。
それ以外のキャラクターについても、背格好や、ごくごく基本的なファッションについては言及があるものの、どんな顔をしているのか、どんな声音なのか、どんな性格なのか、などについての情報は、ほとんど提示されない。
一般に、密室劇や脱出サスペンスの醍醐味は、人間同士の対立や協力、コミュニケーションにある。
そのため、登場人物の意識、性格や背景については、これでもか、というほど詳細に描写されるのが普通だ。
ところがこの作品では、そうした描写が限られているため、読者は、まるでモノクロームの影絵を見せられているような気持ちになる。それが作品全体に、独特な空気感を生み出している。作品世界のあらゆるものが、裏に回るとつっかえ棒や材木が見える、舞台の大道具のようなのだ。
違和感を生み出しているもう1つの理由は、その文体にある。冒頭を引用してみよう。
『次の瞬間』だった。理解不能な何かが起きて、その次の瞬間。俺は目を覚ました。そこは薄暗い部屋だった。部屋中ひび割れた灰色のコンクリートで囲まれた、小さな部屋。正面に濃い緑色のドアがあり、左には上りの階段が見えた。天井に小さな電球が一つだけついている。そして部屋の中央に、古びた机と椅子があった。俺はそれに腰掛けた状態で目を覚ましたのだ。
記述の視点が、主人公の須永だけに絞られ、読者には、須永の見たもの、聞いたものだけが、情報として与えられる。
一人称小説だから当たり前とはいえ、その視野が非常に狭いのだ。まるで主人公の帽子につけた小型カメラを通じて、撮影された風景を見せられているような、そんな気さえする。
ピンホールカメラ的な叙述スタイルは、小説全体で徹底しており、それが文章に、異様な緊張感をもたらしている。
このテンションは、電子書籍端末やタブレットで読むと、さらに顕著に感じ取ることができる。
こうした端末では、一度に目に入る文章の量が限られ、前後のページをめくって、今書かれていることの文脈を確認することが、紙の本ほどは容易ではない。
そのため、本作品のような、視野の狭い語り口が、出口のない迷路へ誘われているような、異様な切迫感を生み出している。
実は、こういう感覚を覚えたのは、筆者には初めてのことではない。
自己出版版『Gene Mapper』を最初に読んだときも、似たような印象を受けた。
後に著者の藤井太洋氏に聞いたところ、そうしたスタイルは、「電子デバイス上での読書とはどうあるべきか」という問いに対する答えとして、意図して選択したものだった、という(筆者によるインタビューより)。
藤井氏はそのことを「ファースト・パーソン・シューティングゲーム(FPS)のような」とか、「ハイスピードノベル」という言葉で表現していた。
果たして、『お前たちの中に鬼がいる』の場合、そのスタイルは、どのような意図で選ばれたのか? 自己出版に至る経緯などを含め、著者に直接聞いてみた。
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