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仕事と育児に奮闘--ヤフーの29歳“イクメン”エンジニア須山さん

藤井涼 (編集部)2013年12月09日 10時00分
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 「大企業の若手社員」と聞くと、どのようなイメージを持つでしょうか。少数精鋭の中小企業と比べると、あまり責任のある仕事を任せてもらえないという印象を持つ人もいるかもしれません。しかし、数千人、数万人規模の大企業にも、世の中を変えるようなサービスやプロジェクトを任されている若手社員はたくさんいます。

 この連載では、現在28歳の筆者が、同じく20代で活躍する大企業の若手社員と、同世代ならではの共通点や仕事への思い、さらには休日の過ごし方や好みの本など幅広いテーマについて語り合うことで、大企業や若手ビジネスパーソンの実態を明らかにしていきます。

 第1回は、ヤフー CMO室の須山温人さん。2008年にヤフーに新卒入社した現在29歳のエンジニアです。入社以来、動画やスマートフォン向けの広告開発などを担当。2012年4月のヤフー新体制と同時に新設されたCMO室に移り、2013年2月には自ら企画・開発に携わった電子母子手帳アプリ「kazoc」(カゾック)を公開するなど、現在はアプリ開発をメインに担当しています。また1年目から社内開発イベント「Hack Day」で賞を受賞するなど社内で多数の表彰実績があるそうです。


ヤフー CMO室の須山温人さん

ヤフーには幅広く「物作り」ができる環境があった

――まず、ネット業界を選んだ理由を教えて下さい。

 やはり自分で一からすべての物作りができるところですね。小さい頃から物作りが好きで、幼稚園の時には空き箱を組み合わせてロボットを作ったりしていました。そのまま成長して機械系の大学に進んだのですが、周りは当然自動車メーカーや電器メーカーなどに就職しますよね。僕も自動車は好きなんですが、それをずっと作り続けるというイメージがあまり持てなくて。ネット業界の方が工夫のしがいがあって、自分が作った物を早いサイクルで世に出せるというか、もともとアイデアを出すことが好きなので、そういった面を生かせるのではないかと思ったことがきっかけですね。

――初めてPCを買ったのはいつごろですか。自分たちの世代だと小学校の高学年くらいからPCの授業はありましたけど、家で持っている人はそこまで多くなかったような気がします。

 PCを買ったのは高校1年生の時ですね。家で「PCを買おう」という話になって、自分がいろいろと探して大きなモニターのデスクトップPCを選びました。あの頃はまだISDNで64Kbpsくらいの通信速度で、画像もスムーズに表示されないみたいな(笑)。でも、本当にネットが好きでそれからずっとPCは使っていましたね。

――実は私もPCを買ったのは高校1年生の時です。ソニーのVAIOで、発表されたばかりのWindows XPが搭載されていたのをよく覚えています。ところで実際にプログラムを書きはじめた時期はいつごろですか。

 プログラムはそれほど早くなくて大学に入ってからですね。大学の授業でC言語をやって、個人でもサービス作りたいなと思ってPHPを使ってみたりしたのが最初で、本当にしっかり作り始めたのは実はヤフーに入ってからなんです。

――なるほど。でも物作りができるネット企業は他にもいろいろあったと思います。ヤフーを選んだ一番の決め手は。

 ヤフーは事業領域が広いところがよかったですね。いま話題のSNSやゲームだけじゃなくて、ニュースからコマースまで幅広くやっているので。自分は1つのものよりもいろいろな分野に手を出してみたいので、そういうところは向いていたのかもしれません。実はグーグルの採用試験も受けたんですが、英語のエッセイを出したら落とされました(笑)。

――入社前と後でヤフーに対するイメージのギャップはありましたか。

 1社目で経験も浅かったので、こんなものだろうという感じでした。でも、少し大人しくしすぎていたのかなと思いますね。1年目は結構言われたことをきっちりやることをひたすら頑張ってしまったので、いま考えるともっと自分がやりたいと思ったことをガンガン出していけば良かったなぁと思います。

――そう言いつつも、入社早々「Hack Day」に参加して賞を受賞されていますよね。それも、本格的に開発を始めたばかりの1年目に賞を取るって、かなり才能があったのでは。

 どうでしょう、Hack Dayはアイデア勝負みたいなところもあるので。それに1人ではなくチーム制でやっていて、その時はすごく優秀なプログラマと組んでいたので、どちらかというと僕は全体をみてアイデアを出しながら、みんなで作っていったという感じでしたね。

――なるほど、ちなみに1年目の「Hack Day」で作ったものは何でしょう。

 「Yahoo! 新聞」というサービスですね。ニュースが新聞のレイアウトのように縦書きで表示されていて、カスタマイズ可能なオンデマンド新聞が読めるみたいな。

――カスタマイズできる新聞ですか。2008年当時から「SmartNews」や「Gunosy」に近い構想を持っていたと。

 そうですね。それで賞をいただいて、Yahoo!ニュースなどを担当している部署に持っていったのですが、自分の力不足もあり残念ながら採用はされませんでした。(2012年の)新体制より前は会社としてもなかなかチャレンジしにくい環境だったのもあったかもしれません。


ヤフーの社内開発イベント「Hack Day」の様子

――2年目以降もHack Dayには参加しているんですか。

 Hack Dayには必ず参加するようにしていて、いまのところ皆勤賞です。詳細はお話できないのですが、まだ世の中にはないようなiPad向けのキーボードや電子書籍のユーザーインターフェースを作って、こちらも賞をいただきました。いまこの2つの技術は特許を申請しているところです。

――現在は、CMO室に配属されているそうですが、CMO(チーフモバイルオフィサー)の村上臣さんの下で働いているということでしょうか。

 そうですね。席は近いんですけど、村上さんは出張やミーティングで外出することが多いので、あまり席にはいないですね(笑)。

――それでも他の社員と比べると一緒にいる時間が長いと思うんですが、村上さんから何か学んだことはありますか。

 やはり視点が広いですね。自分だとどうしても自分で作ったプランを通したくて良い感じにまとめちゃうんですけど、村上さんはヤフー全体やグローバルな視点でアドバイスをくれるので、そこには気づかされることが多いですね。ビジョンが頭のなかでカッチリできていて、納得できるものを持っている。そこは参考にして学ばせてもらっています。

仕事と育児に奮闘する“イクメン”エンジニア

――電子母子手帳アプリの「kazoc」(カゾック)は、どのような経緯で開発を担当することになったのでしょう。

 「ソフトバンクイノベンチャー」というグループ内の新規事業提案制度でkazocが最終審査を通ったタイミングで、もともと知り合いだった太田さん(kazocのサービス責任者である太田智之さん)にエンジニアとしてチームに入ってほしいと声をかけられたことがきっかけですね。僕もちょうど何かサービス作りたいなと思っていた時期だったのでその誘いに乗りました。

 実は、ソフトバンクイノベンチャーに提案したときは太田さん以外にも2人のメンバーがいたのですが、いろいろあって抜けてしまって、実際に作ることが決まったタイミングでは僕と太田さんの2人だけだったんです。その後、半年くらいかけて具体的なサービス内容や社内調整を進めていって、僕が1人でプロトタイプを開発したあたりから、少しずつ社内の協力者も増えてきて。なので、僕の役割としては企画や開発からアプリのリリースまですべてをみる開発責任者のような感じでしたね。


電子母子手帳アプリ「kazoc」(カゾック)

――kazocに携わるまでは、どのような業務を担当していたんですか。

 入社当時からずっと広告システムを開発していましたね、スマートフォン広告のSDKを作ったり。

――広告事業部から突然サービス開発事業部に異動するというのは珍しい気がします。

 部長に「やらせて下さい」と直談判しました。運もよかったと思います。当時はまだ経営陣が変わる前で、通常フローではなかなか異動しづらかったんですけど、何とかソフトバンクイノベンチャー案件をやりたいという気持ちをアピールしましたね。ちなみに当時はもう子どもが1人いて、kazocをリリースしたその日に2人目が生まれたんですよ(笑)。

――えっ、もう2児の父親なんですか。

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