Manock氏は次のように語っている。「Steveは世界最高のデザインのために全身全霊を捧げていて、それは二度とない体験だった。最初にソニーやMercedesがいて、Appleもいつかはそこに並ぶのだとSteveは言っていた。その情熱が引き継がれているのを見るのは本当にうれしいものだ」
Oyama氏は、Appleに生き続けているデザインの感性の一例を紹介した。「Macの縁を触ってみると、脇にざらざらした面がある。背面の電源スイッチを見つけやすくするためだ。Steveは改良する時間を与えてくれた」(Oyama氏)
展示されたTwiggy Macでは、回路基板に描かれた人間の絵「Mr. Macintosh」も披露された。ベルギー人の画家Jean-Michel Folon氏の手によるものだ。Andy Hertzfeld氏の著書「レボリューション・イン・ザ・バレー」によると、Mr. MacintoshはSteve Jobs氏の発案で、ソフトウェアにも埋め込まれる予定だったという。
「1982年2月、Jobsはチームの何人かと話し合い、Mr. Macintoshを入れるべきだと決定した。Macintoshの1台1台に住み着いている謎の小人だ。思いもかけないときに、ときどき姿を見せては、ユーザーに向かってウィンクして消えていく。マニュアルでは、Mr. Macintoshの伝説について言及する。実在するのかどうか、誰にもわからなくなる」
「メニューをプルダウンすると、1000回か2000回に1度くらいの頻度で、本来のコマンドの代わりに、メニューの壁にもたれかかったMr. Macintoshが現れる。手を振って、すぐまたいなくなる。また姿を見たいと思っても、思うとおりにはいかない」
Hertzfeld氏は、MacintoshのOSとユーザーインターフェースを手がけた中心的なメンバーの1人だが、Macの発表直後にAppleを去っている。そのため同氏は、Mr. Macintoshが本当にソフトウェアに実装されたかどうか知らなかった。
Macintoshのアナログ部品を担当したRod Holt氏は、Appleに参加して間もないころのエピソードをいくつか紹介した。Holt氏はゲーム開発企業Atariでトップエンジニアを務めていたが、当時アルバイトとして同社で働いていたJobs氏は、自身が興したコンピュータ会社を手助けするようHolt氏を説得した。
Jobs氏より21歳年長のHolt氏は、昼間Atariで働いてから、夜9時にはまたオフィスに戻っていたことを回想する。長髪で裸足の起業家のプロジェクトに付き合うためだ。「人が抱えている疑問を解くのは好きだったし、Steveはそれを山ほど抱えていた。Twiggy Macのディスクドライブは、コンピュータの将来を作り上げる道筋の中で解かねばならない、そうした問題の1つだった」(Holt氏)
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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