CanonicalはUbuntuをスマートフォン/タブレット向けのOSとして、AndroidやiOS、Windowsと同じリングの上で戦わせたいと考えている。こういったことは、実際に可能なのだろうか?
Linux業界におけるMark Shuttleworth氏という存在は、AppleにおけるSteve Jobs氏のようなものである。Shuttleworth氏はビジョンを有しており、自らの考えをはっきりと伝えることができ、聴衆を魅了することもできるのだ。とは言うものの、Android携帯やAppleのiPadがもてはやされている市場を魅了し、Ubuntuにチャンスをもたらすことはできるのだろうか?筆者は十分可能であると考えている。
筆者は、Ubuntuがスマートフォン/タブレット市場へ進出しようとしているという記事を1年以上も前に執筆していたため、Ubuntuの生みの親であるMark Shuttleworth氏が同市場へ進出する計画を明らかにした際にも驚きはしなかった。技術的な観点から見た場合、Ubuntuも、そしてその支援企業であるCanonicalも、それだけの力量を備えていると言えるのである。
これに加えて、Ubuntuは2年以上前からUnityというユーザーインターフェースの開発と普及に取り組んでもいる。またUnityは、PCとマルチタッチデバイスの双方を視野に入れて開発しているWindows 8のMetroとは異なり、既に多くの経験豊富なユーザーと開発者を獲得している。
実際のところ、経験豊富なLinuxユーザーによるUnityの評価は芳しくない。しかし、Unityは彼らのために作られたものではなく、PCやスマートフォン、タブレット上で同じように動作することを目標として作られたものなのだ。つまりUnityは、OSがLinuxであるかどうかということには関心が無く、とにかく使いやすいユーザーインターフェースを求めているユーザーのために開発されたものなのである。この点についてはコアなLinuxユーザーから異論が噴出するかもしれないものの、同じくLinuxをベースとしているAndroid端末の状況に目を向けてみると、Googleの場合には功を奏していると言えるだろう。
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