世界を変えたアップルイノベーションの歴史--すべてはここから始まった

第1章 Apple Ⅰ そしてMacへ

 わずか4キロバイトのメモリーに筐体もないむき出しの基板。1976年4月11日、666.66ドルで売り出された、この素っ気ない商品「Apple I」がアップルの歴史の始まりだった。

 始まりには2人のスティーブがいた。一人はヒューレット・パッカード(HP)に在籍する技術者ウォズニアック、もう一人がゲーム会社アタリに勤めていたジョブズだ。ジョブズがウォズの非凡な才能に目をつけたことが世界最初のパーソナルコンピューターの開発につながった。ウォズが趣味でつくっていたコンピューターの基板を、ジョブズは商品として売り出すことを持ちかけた。ウォズが設計したコンピューター基板は、ジョブズの自宅のガレージでつくりあげられ、一括で売れた。

  • 1971:スティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアックと知り合う。
  • 1975:ウォズ、ホームブリューコンピュータークラブで自作のコンピューターを作る。
  • 1976:ジョブズ、ウォズらとアップルコンピュータを設立。ウォズが設計したApple Ⅰを発売。
  • 1977:家庭用テレビに接続でき、カラー表示もできるApple Ⅱをウォズが開発。発売される。
  • 1980:アップル、株式公開。ジョブズは億万長者になり、一躍ビジネス界のスターとなる。
  • 1983:世界初のGUI、商用コンピューター「Lisa」を発売。
  • 1984:「Macintosh」発売。GUIコンピューター時代の幕開けを告げる。
  • 1985:個人向けレーザープリンター「LaserWriter」発売。ウォズ、ジョブズ、退社。

 だが、基板だけのAppleIはコンピューター好きの一部に売れたに過ぎない。本当の始まりは「Apple Ⅱ」からだ。ⅡはⅠで培った基板設計技術をもとにウォズが天才的な発想と技術をつぎ込んだマシンだった。ジョブズは投資先を回り、キーボードを一体化したプラスチックの筐体で発売した。元アップルのプログラマー、アンディ・ハーツフェルドはApple Ⅱに触れたときの感想を自著でこう述べている。

「Apple Ⅱは技術的にもマーケティング的にも非凡なセンスが溢れていたが、もっとも素晴らしかったのは、その創造の精神だった。自分さえ賢ければ、何でもできると思わせるほど、彼(ウォズ)の設計は無限の可能性を感じさせる大胆な意識を反映させたものだった」(『レボリューション・イン・ザ・バレー』)

 たとえば画面表示。わずかなコード数でⅡはカラー表示を可能にし、文字もギザギザが少ない表示に。それはミニマル主義に貫かれた芸術品だった、と元ゼロックスの技術者でアップルの技術に詳しいライターの柴田文彦氏は言う。

「当時の同等の電子機器に比べて、ウォズが設計した基板は極端に数が少なく、半分以下でした。また、わずか2キロバイトで書かれたシステムのコードは1バイトも無駄がなく、完璧につくりこまれていた。エンジニアの目で見ても、いまでもわからない部分があるほど。私自身、初めて触れたときには感動を覚えました」

 Ⅱの発売は77年6月。当時としては爆発的なヒットを記録した。2人のスティーブは一躍コンピューター業界の寵児となった。Ⅱのヒットをバネにアップルは80年に株式を公開。ジョブズは25歳にして2億ドルもの資産を手にした。Ⅱは売り上げだけでなく、優秀な人材も引き寄せた。高卒のハッカーから博士号取得者まで多彩な人材がアップルに集まった。

 そんな中から生まれたのが、オールインワンのPC「Macintosh(Mac)」だ。画面は9インチという小ささで白黒だが、GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)を採用し、マウスが装備されていた。84年1月、ジョブズによって紹介された初代Macは、万雷の拍手をもって迎えられた。

 Macにはその後のPCの方向性を決定づけるイノベーションがいくつもあるが、大きかったのはGUIだった。いまでこそコンピューターでは、マウスやトラックパッドなどでポインターを動かし、フォルダやファイルのアイコンをクリックして開くという操作が一般的だ。だが、Mac以前のPCにはマウスはなく、キーボード入力によるコマンド操作がすべてだった。これでは操作に習得が必要なうえ、直感的に扱うことが難しい。だが、「机の上」を模し、グラフィックで構成されたGUIなら、操作法を学ばずとも、見たままに直感的に操作できる。

 画面上部にあるメニューバーでは「編集」「保存」など操作法が統一され、あらゆるソフトで一貫された。いまなおこの時に構築された「コピー」「ペースト」「閉じる」「保存」といった操作規則が続いていることも、初代Macの完成度の高さの証しだろう。

 キラーソフトもあった。「マックライト」というワープロソフトとともに無料でMacに同梱されていた描画ソフト「マックペイント」だ。直感的に操作できるツールボックス(筆や塗りつぶしなどの操作法が一覧できる表)はこの時点でほぼ完成しており、その後続く描画ソフトの手本となった。

 正確に言えば、GUIのコンピューターを最初に開発したのはゼロックスのパロアルト研究所で、73年の「Alto」という試作機だった。ジョブズらがAltoを見て、衝撃を受けたことがGUI機開発のスタートだったとされる。

 Macは現在に至るPCの標準規格をつくりだしたが、その後のアップルが順調だったわけでもない。85年には創業者である2人のスティーブはアップルを退社。そこからの11年、アップルはハード、ソフトともに新しいモデルを生み出していったが、ビジネス的には停滞の時期に入っていった。

(続きは、AERA別冊「AERA×Apple アップルはお好きですか Love?」に掲載されています)

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