米国人アーティストが語る中国当局による拘束--チベット支援活動の結末 - (page 2)

文:Elsa Wenzel(CNET News.com)
翻訳校正:ラテックス・インターナショナル
2008年09月04日 07時00分

--その後、何が起きたのですか。確信したのはいつですか。どのように拘束されたのですか。

Powderly:わたしは17日、場所を探し、新しいレーザープリンタを買いました。レーザーステンシルを作るため、隠れ家みたいな場所に行きました。一緒にいた人たちにこっそり新しいレーザーを買ってきてもらい、わたしはほかの活動家グループのためにLEDバナー用のLED Throwiesをこっそり作っていました。

 投影を2回行う予定だったため、わたしは場所を探しに天安門広場に行きました。オリンピックスタジアムで1回目の投影を行った後、天安門広場で2回目を行う予定でした。私たちは「Free Tibet」、「Tibet will be free」、あるいは「6/4/1989」といったメッセージを投影するつもりでした。

Powderly氏 Powderly氏は、犯罪容疑で起訴されることなく、中国で拘束された抗議者の1人だった。
提供:James Powderly

--何がうまくいき、何が予定通りに進まなかったのですか。

Powderly:何もうまくいきませんでした。私たちは何もしませんでした。私たちは中国で逮捕され、拘束されましたが、考えただけで、何もしていませんでした。

 18日の夜、地下鉄1号線の終点で北京郊外にある壊れた建物に向かって、1回切りのレーザー投影を行いました。普通のレーザープリンタを使って、スライドを行うステンシルを作る新しい方法を思い付いたのですが、これまでよりもうまくいきました。

 コンピュータの内輪ネタである「Free Beer」というテスト用のメッセージを印刷しました。この言葉は、無料ソフトウェアを指す、有名なハッカー(Richard Stallman氏)の引用です。

 メッセージを投影し、協力者に見せるための写真を数枚撮影し、地下鉄の駅へと歩いて向かいました。不幸なことに、またもやあの女性がわたしを尾行していることに気づきました。

 私たちは最も愚かなことをしました。このミッションの参加者うち、6人がバーで待ち合わせしていたのです。8人になる予定でしたが、ほかの協力者のうちの1人はほかの証人2人と一緒に別の場所を探しにいってきました。これらの市民ブロガーは活動を文書にまとめ、ビデオに収めようとしていましたが、尾行されていることに気づき、何も言わずに駅に向かい、空港に行き、出国しました。それは賢明な行動でした。

 しかし、わたしは賢明な行動をとりませんでした。地下鉄のドアが閉じるまで待ち、閉じる寸前に飛び込みました。わたしは女性の顔を窓からのぞき見て、まんざらでもない気持ちで彼女に手を振りました。

 バーに行った後、最初に言った一言は、「彼らはわたしを尾行していたが、まいてやった。レーザーは完成し、隠れ家にある。彼らはわたしが何者か知っている」でした。

 私たちは座って、今後の予定を立てた後、1人ずつ出て行きました。そのとき、またあの女性を見たのです。手遅れでした。50人の制服、私服、学校の制服を着た北京の秘密警察、公安警察と、皮肉なことに国営放送であるCCTV(中国中央電視台)のカメラクルーがいました。私たちは逮捕、連行され、SUVの後ろに放り込まれましたが、犯罪容疑ではありませんでした。それが、超法規的拘置と呼ばれる理由です。

 さらに、「Vフォー・ヴェンデッタ」のように、バーから出てきた全員がその晩遅くに逮捕されました。寝ていた人もいれば、タクシーに乗り込もうとしていた人、ホテルのロビーにいた人もいました。彼らは6人を逮捕しました。その後、さらに4人の抗議者を逮捕しました。うち2人は米国人で、同様に拘束されました。

 彼らは私たちをホテルの地下室に連れて行きました。その後、公安部隊が5人一組となって私たちを別々に連れて行きました。さらに、しゃれた奥部屋を通り抜け、レストランの地下室に連行され、24時間以上取り調べを受けました。

CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)

-PR-企画特集

このサイトでは、利用状況の把握や広告配信などのために、Cookieなどを使用してアクセスデータを取得・利用しています。 これ以降ページを遷移した場合、Cookieなどの設定や使用に同意したことになります。
Cookieなどの設定や使用の詳細、オプトアウトについては詳細をご覧ください。
[ 閉じる ]