米国人アーティストが語る中国当局による拘束--チベット支援活動の結末 - (page 3)

文:Elsa Wenzel(CNET News.com)
翻訳校正:ラテックス・インターナショナル
2008年09月04日 07時00分

--どのようにしてTwitterのメッセージを送信したのですか。

Powderly:メッセージを送信したのはわたしだと思われていますが、そうではありません。実際に送信したのは、Alive in BaghdadBrian Conley氏でした。

 彼らは昔から使われている拷問による取り調べを行いました。彼らは私たちを殺すと言い、残りの人生を中国の監獄で過ごすことになると言いました。彼らは私たちを一晩中寝させず、水をくれましたが、トイレにも行かせず、食べ物もくれませんでした。

 しかし、彼らも同じように過ごしていたため、いつしか眠ってしまいました。そのとき、わたしは電話を持っていなかったので、寝ている取調官の1人の写真を撮ることしかできませんでした。

居眠りをする取調官 拘束中、Powderly氏はこの居眠りをしている取調官の写真を撮影した。
提供:James Powderly

 Brianは「iPhone」を取り出すことができました。というのも、彼らはSIMカードを取り出す方法がわからなかったからです。彼は、「午前3時に拘束」というメッセージを送信できました。仲間には誰が拘束されたのかわかりませんでした。その後、わたしは携帯電話を自分の鞄に隠しました。仲間は電話をかけてきましたが、電話が鳴ると、たいへんなことになりました。

 彼らはわたしの協力者に私たちを射殺すると言いました。彼らは実際のところ、私たちが何をしようとしていたのか、私たちが何者なのか、わかっていませんでした。約26時間後、彼らはあきらめました。彼らは私たちを車に押し込み、郊外に向かいました。まもなく、有刺鉄線で囲まれた巨大な建物という不気味な光景が見えました。それが、崇文拘置所でした。

 彼らは私たちを裸にし、写真を撮りました。その後、私たちに小さな赤い下着と囚人服を着せ、一般の犯罪者と同じ監房に入れました。私たちは、これまで、米国人の誰もが、あるいはごく一部しか経験してこなかった立場にいました。

--次はどうなると考えていましたか。

わたしは軍事訓練を受けたことがありません。わたしはすでに打ちのめされていました。24時間の尋問で、わたしはうそを含め、いろいろなことを話しました。

 彼らはわたしを監房へ連れて行きました。わたしは自分の人生のために戦い、取り戻そうと考えました。わたしの後ろで戸が閉められました。すぐに、男性が立ち上がって、毛布をつかみ、また別の男性がわたしに手を差し出してきました。さらに、チョコレートをくれた男性もいました。

 わたしは、中国の拘置所にいる人たちは犯罪者ではないことに気づきました。わたしのいた監房では、普通の中国人、モンゴル人、ナイジェリア、カメルーン、ガーナ出身のアフリカ人がいました。重大な罪を犯したものは誰もいませんでした。ビザで書類上の誤りがあった人もいました。彼らは中国では犯罪者でした。地方から来た彼らは登録を行っていませんでした。わたしを攻撃するだろうと思っていた人たちは実際、やさしくしてくれました。彼らと友達になりましたが、彼らを出してあげるためにわたしができることは何もありません。

Powderly氏の三脚 Powderly氏の所持品の価格は2500ドルほどで、北京の警察に押収されたものの中には、三脚に取り付けられた緑のレーザーが含まれていた。同氏はプロジェクトを再現する方法の詳細をインターネットで公開している。
提供:James Powderly

--チベット問題の抗議に関わっている人たちは見ましたか。

Powderly:SFTの抗議に関わっていた米国人1人とイギリス人1人が逮捕されましたが、互いに顔を合わせることはありませんでした。私たちは睡眠を奪われていました。

 20日、彼らはついに、「あなたは拘置されている。崇文で懲役10日間の有罪判決を受けた」と言いました。

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