過剰な個人情報保護意識と広範な地下個人情報取引市場の併存により、正当なアプローチをしようとすればするほど膨大なコストが生じる一方、それに対して用いることのできる原資は極めて限られている。結果、依然としてテレビのようなマスメディアの方が効率がよいと大企業には考えられ続けており(もちろんその確信は揺らぎつつあり、広告出稿は分散され、テレビが占める比率は微減しつつある)、インターネット広告はそこそこの効果は出せるものの、ターゲットの絞り込みをしようとすればするほどコストが非常に高くなるため、コストパフォーマンスの利点を必ずしも享受できないことになる。これが、広告主の意識における古い日本の発露だ。
話が長くなってしまったが、これが広告ベースのみで携帯電話利用料を賄えない理由の質的な根拠となっている。
では、実際に金額=量的にはどうか。米国での広告費総額と潜在販売促進費を用いれば、Googleが提供すると言われる無料携帯電話の提供は不可能ではないという試算ができる。
しかし、携帯電話の料金が安い米国(ARPU7万円程度)と比べ、日本の相対的に高価な携帯電話料金(ARPU8万円程度)を賄うことは、米国並みの産業構造を持ってすれば可能かもしれないが、効率が悪いことは明白だ。
ちなみに米国のマスメディア広告の出稿総額はおおよそ18兆円、セールスプロモーション市場の総額が12兆円。これに対して、日本は同4兆円と2兆円である。人口数が2.4倍であること以上に、販促費が構造的に多いことがわかる。一人当たりの投入販促費でも、日:米=4.7万円:10万円と約2.2倍の開きが出てくる。それに対して、ARPUは、日本8万円、米国7万円である。すべての投入販促費をもってすれば、米国では携帯電話はタダになりうる可能性がある。もっとも、はたして既存の販促費を集められるかどうかは、次の議論になるだろう。
また、現在、日本では無料で提供されているコンテンツやアプリの市場が急速に成長しており、それらが広告を内部に掲載することですでに成立していることを考慮すれば、掲載されている広告から発生する収益規模を取り込まない限りは、正確な比較はできない。すなわちすでに享受されているサービスの多くがすでに広告で賄われていることを考えれば、いよいよ日本での無料携帯電話の提供が困難であろうことは明確だ。
もちろん、携帯電話の料金が安くなれば可能性がないわけではないが、サプライサイド(広告主・供給者)サイドの状況=質量ともに古い日本の在り方が変わらない限り、根本的な課題は解決できないだろう。
このことは必ずしもgPhoneに限ったことではなく、ベンチャー企業の成功といったマクロな課題に関しても同様だ。
表面的なITの普及がほぼ完成されつつある現在、改めてこれまでIT化にそれほど関係なかった産業構造の変革が急務になってくる。それなしでは、iPhoneもgPhone(もしあれば、だが)の米国と全く同じビジネスモデルでの上陸はあり得ない。
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