SFCの卒業生を含め、この連載を読んで頂いている方々からよくいただくのが「ウソみたいな話だ」とか「そんなことないんじゃない?」というご指摘だ。これらの指摘が表すように、この連載で描いてきたコミュニケーション像は、世の中の多くの若者の姿とは違うかもしれないし、SFCの学生全員の振る舞いかと言われると、それも違うだろう。
連載で頻繁に紹介しているように、無線LAN完備でノートパソコンを常備する生活を送っているSFCの学生のコンピュータやネットワークの使い方は特殊な環境である。その環境で起きていることは、世の中の動きからすると特殊な事例だ。そんなSFCで起きている話を紹介すると、一般からはとんでもなくかけ離れた、全くリアルではない話に聞こえるかも知れない。しかしどれも実際にキャンパスで起きている事なのである。
初回に書いた記事では大学サークルの勧誘にメッセンジャーが役立っているという話題を書いた。デスクワークをしている社会人同士ならまだしも、学生の間で食堂でのおしゃべりよりも、ケータイよりも、メッセンジャーが連絡手段としてスタンダードになっている状況。記事では僕のメッセンジャーのコンタクトリスト画像が使われているが、ステイタス名を記事に掲載しても良いか?という確認を30人に対して行うのに、ちょうど授業がある時間帯にもかかわらず10分足らずで済んでしまった。もし仮にケータイで確認を取ろうとしても10分では無理だっただろう。授業中などのキャンパスにいる時間帯は全員オンライン、という特殊な状況を生かした確認作業だった。
コミュニケーションをメッセンジャー等のネットツールに頼りがちなSFCの学生だからこその着想もあった。「デジタル時代ならではのキャンパスの存在意義」という記事で、あるSFCの学生がアウラスペースのようなリアルなコミュニケーションの場を作ろうと考えている、という話題に触れた。他大学に通っている学生からもらったコメントでは、キャンパスの中でコミュニケーションを取っている学生達にとって、ネットワークはリアルなコミュニケーションの補助的な役割を果たしているだけであり、コンセプトを持ったリアルなコミュニケーションの場があえて必要だとは全く思っていないとのことだ。敢えて場やコミュニケーションに別の意味づけを求めたりはしないというのだ。
しかしながらその翌週の記事で紹介した遠隔授業ならぬ“分散授業”のアイディアと実験は、リアルなコミュニケーションが欠如しているという特殊な状況から生まれたものだった。キャンパス内のリアルな場をリデザインしてみようという視点から、顔が見えるやりとりが行われる(行われているはずの)授業において教室を閉鎖し、リアルなコミュニケーションを完全に排除してみる試みである。元々足りてない物を完全に消してみたらどうなるか。一般のキャンパスから見れば特殊な状況の中で、更に特殊な状況を作りだした格好だ。そんな二重に特殊な状況を紹介したとしても、事例として他の場でそのまま適用できるということはまずないだろう。
そんな一般的ではない事例であっても、参考なるきっかけはあると考えている。例えばソーシャルネットワーキングで名簿作りをしているゼミの様子を紹介し、ソーシャルネットワーキングがゼミの新規メンバー募集に一役買っていたり、先生が紹介する本を学生がこぞって読んだりする様子をフォローした。ここからは、ソーシャルネットワーキングという友人同士でオープンに関係性が可視化されているツール上で、グループを組むことによって生まれる利点を知る事が出来そうではないか。
すぐには適用は出来ない特殊な状況からでも、要素を抽出してみると考えるきっかけやヒントとしては大いに役立つ可能性が秘められている。SFCの中でも、リアルなコミュニケーションが欠乏しているキャンパスの中での分散授業のように、その特殊な状況を反すうしながら試行錯誤を繰り返している姿がある。僕はその中に身を置いているわけで、すぐに質問したり実際に試したりすることが可能な環境において、特殊な状況に潜んでいる要素を取り出すのは比較的容易だろう。
いわば、SFCという特殊環境での常識を探すのがこの連載だ。“特殊な常識”からより多くのきっかけやヒントを提供していければ、と考えている。
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