Michael Dellは小さな物事の積み重ねから、今日の一大帝国を築き上げた。
資産総額数十億ドルを誇る大資産家で、自らの名を冠したPCメーカーの創設者でもあるDellは、テキサス大学学生寮の一室で始めた事業を、世界最大規模の企業にまで育て上げた。アナリストやDellの元従業員たちは、同社がここまで成長した1つの要因として、新たな市場を開拓しようとはせず、納期の短縮、事業コストの削減、顧客サービスの維持といった具体的問題に注力したことを挙げている。
Dellは今でこそ、Hewlett-Packard(HP)とPC市場で常に首位の座を争っているが、かつては必ずしもそのような状況ではなかった。過去20年間には、Packard-Bell、Compaq Computer、Osborne、Zenith、AT&Tといった、同社よりも規模が大きいか、あるいは親会社を通じて同社以上の資金調達が可能なライバル企業が存在した。
「Dellは初めて、PCが特別な機器ではないと消費者に思わせることに成功した。同社は常に物事に対し実際的なアプローチを取ってきた」と調査会社IDCのアナリスト、Roger Kayは語る。「Dell会長は、PCに対して個人的な何かを追い求めてはいない」(Kay)。
同社の実際的な社風を考えれば、Dell が7月に同社のCEOを辞任し、後任に現最高業務執行責任者(COO)のKevin Rollinsが就任するというニュースに人々が驚かなかったことにも納得がいく。現社長でもあるRollinsは、これまで同社の事業運営の大部分を担ってきたため、彼の昇進は以前から予想されていた。
この業界では依然として、創業者がCEOを辞任しなかったため、ナンバー2の幹部が結局CEOになれなかったという事例がいくつも存在する。かつてSun MicrosystemsとOracleの両社は、それぞれのナンバー2だったEd ZanderとRay Laneの退社後、アナリストや投資家から質問攻めに遭った。また、かつてGatewayのナンバー2だったJeff WeitzenはCEO就任後に解雇された。
Dellの特許ポートフォリオも同社の実際的な社風を証明している。同社は、独自の研究をあまり行っていないとの批判をしばしば受けている。2003年8月現在、創立20周年を迎えた同社が19年間に取得した特許の数はわずか867件だった。これは同社とほぼ同規模のライバル企業が1年間に取得する特許権数を下回っている。これに対しDellは、そのような手法を取る必要はないと反論する。同社は標準化されたコンポーネントに依存しているので、研究開発に資金を投じる必要はないという。
初期のPC企業は外部に協力を求め、それらを企業内に組み込む企業が多かったが、Dellはまさにその先駆けといえる存在だった。Dellは長年の間に、同社の重役兼Dell会長自身の指南役として、キャリアを積んだ各企業の幹部たちを数多く採用してきた。投資銀行家のLee Walkerも、同社の初期の上級顧問の1人だった。1994年にはMotorolaに23年間勤務した経験を持つMort Topferを採用した。最終的に副会長の座にまで登り詰めたTopferは、Rollinsの採用に一役買ったと言われている。
Dellの元従業員たちは、同社は採用や昇進の際、過去の実績を特に重視していたと口を揃える。ある元従業員はCNET News.comに対し、「同社は非常に流動性が高かった」と語った。
それと同時に、同社の社内は依然として熾烈な競争環境にあるという。別の元従業員は「Dellは従業員に対し非常に冷酷だ」と述べている。
この記事は海外CNET Networks発のニュースをCNET Japanが日本向け に編集したものです。
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