企業が生活者とコミュニケーションしていくには、何よりもストーリーが必要です。この場合のストーリーとは、相手の感情を動かすエピソードや仕組みを指します。
少し前に話題になった東急電鉄のマナー向上広告動画「わたしの東急線通学日記」は、そのストーリーの是非が議論を呼びました。
中でも賛否を呼んだのは「車内化粧」篇。主人公の女子大生が座席で化粧をする女性たちに対して「都会の女はキレイだ。しかし時々みっともない」という感想を語るところから始まり、いきなり歌い踊りだして(マナーダンスというらしい)「余裕ないないないない」と座席で化粧する女性たちに向かってマナーが悪いことをアピールする内容です。
これに対して、以下のような反論が沸き上がりました。
「なんで車内で化粧しちゃいけないの?」
「みっともないかもしれないけど、仕方ない時もある」
「そもそも鉄道会社にそんなこと言われたくない」
「もっと取り上げるマナー違反があるでしょう」
はっきり言ってこのような反論が出てくるのは当然です。なぜなら、「車内で化粧することが本当にマナー違反かどうか」という意見が分かれる行動に対して、主人公(鉄道会社)が頭ごなしに利用者に注意しているからです。
このようなコミュニケーションでは受け手の心はかたくなになるだけです。
まるでイソップ童話「北風と太陽」で、旅人が北風に吹かれた時によりかたくなに上着をしっかり押さえたように。
人は、どんなにマナー違反をしていようが、みっともないことをしていようと、他人から頭ごなしに注意を受けるのが大嫌いな動物です。いくら自分が間違っていてもムカつきます。
だから正論ほど大声で言っていけないのです。(これはマナー広告に限らず何かを規制しようとする時に共通の原則です)。
もちろん、「よく言ってくれた」という意見も多数あがってはいます。しかしそれはもともと「車内で化粧はみっともない」と強く思っていて、普段から不快に思っていた人間でしょう。そのような人たちにこのマナー広告を届けることが目的ではないはずです。
では、どうすれば、もっと利用者の心に届き共感されるストーリーを作ることができたのでしょう。
シリーズの他の動画に、「リュック」を背負った主人公が知らないうちに他人の迷惑になっているのに気づくという「荷物篇」があります。すべてこのパターンにすればよかったのです。
主人公が自分で自分の過ちに気づく分にはいい。車内のお化粧だって、主人公が自分でやっていて、それが「みっともない」と気づいて、自分を「ないないないない」と言うパターンにすれば、反発する人より共感する人がより増えたに違いありません。
正しいことは、いや正しいことほど、頭ごなしではなく、「控えめに語ったり」「やさしく脅したり」「エンターテインメントにしたり」して、きちんと人が動きたくなる工夫をしなければいけないのです。
もっとも、この「私の東急線通学日記」。普通ならスルーされるだけのマナー広告を、こうやって議論を巻き起こしたことはスゴイことです。それを狙ってこのストーリーを作っていたのだとしたら謝るしかありません。
「偉そうなこと言ってゴメンナサイ」。
この記事はビデオリサーチインタラクティブのコラムからの転載です。
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