森祐治・情報経済への視点--本質的な競争力を創出するためのコンテンツ政策

 日本の発信力を高め、アジア共栄圏を創るという現政権の理想実現にはコンテンツ政策は不可欠だ。しかし、その政策を推進するために必要な財源が困窮している。コンテンツ振興税といった新財源を設定し、これまでにはない積極的な振興策を打ち出してはどうか。

文化政策なしで進められたコンテンツ産業政策

 民主党鳩山政権が打ち出した「新成長戦略〜輝きのある日本へ」では、6つの戦略分野が明記されており、その中には「コンテンツ」という言葉は現れていない。だが、「日本の強み」が活かせる「アジア市場」への積極的な進出、あるいは「観光立国」としてアジアやそれ以外の国々からの訪問者を増大するなどの目標が立てられており、その実現のためにはコンテンツという対外競争力に優れた産業領域の強化、特に発信力あるいは共創力の整備が明確に必須であることは、多くの関係者も認めるところだ。

 しかし、その政策となると、前世紀末のIT戦略本部、2003年の知的財産戦略本部での議論を見てもわかるように、極めて近視眼的な視野狭窄状態を脱することができていない。言い換えれば、既存の課題解決に終始しており、本質的な加速策が存在しない状態が続いているのだ。

 これまでのコンテンツ政策といえば、海賊版対策、再配分の適正化、著作権運用の容易化など、既存のコンテンツ産業領域における時代の進展との齟齬の解消に注力されてきた。産業構造そのものを変えることなく、発信力を強め、共創力を高めるための方策は、著作権法の改善や運用の強化による捜索者への適正な再配分の徹底とは異なるレベルで実施する必要がないか。

 もちろん、眼前の課題を解決しないで、本質的な解決ができるはずもないという意見もあろう。しかし、現在、現状の産業構造を温存した状態で、その構造ゆえに発生している課題を解決しようとしても局所療法的な対処に終始せざるを得ない。ましてや、政府の財源の多くが国民への直接再配分に費やされ、その原資が主に国債となっている現状では、政府財源による本格的な支援策に小規模であり、かつ上限がすぐそこにあることは明白だ。

本質的な支援をする仕組みの欠如

 コンテンツ産業の強化を政策的に行うという議論をするとき、そもそも日本の文化政策とはいかなるものだったのか、という疑問にぶつかることが多い。文化政策という、より広範な行動・価値規範が存在していれば、向くべき方向性がおのずと決まってくるであろう、という発想があるからだ。

 残念ながら、日本には文化領域について明確なポリシーがない。島国として物理的に孤立し、日本語という固有の言語が形成する世界第2位(もうその地位も危ないことは明らかだが)の市場規模を誇ってきたわが国では、一種国内市場における自由な活動さえ維持できていれば、大きな問題が生じてこなかったため、文化政策といった議論の検討価値も、従来あまりなかった。

 しかし、グローバル化がインターネットなどの情報インフラの整備によって急速に進展した今、日本という市場の独立性そのものが従来とは異なる次元に移行している。あたかも、旧ソ連や社会主義国家の多くが、FAXなど通信メディアの一般市民への普及による情報流通が活発化した結果、内部崩壊した状況に一種近い状態に日本はあるかもしれない。

 そんな状況の下、よって立つべき文化政策がないままにコンテンツ産業の強化を進めるのは、現状肯定を前提にせざるを得ない。しかし、文化政策を明確に持った先達から、文化政策の整備を改めて行うことなく、その方策だけを学び取るのはいかがだろうか。

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