企業の新規事業開発を幅広く支援するフィラメントCEOの角勝が、事業開発に通じた、各界の著名人と対談していく連載「事業開発の達人たち」。現在は、森ビルが東京・虎ノ門で展開する大企業向けインキュベーション施設「ARCH(アーチ)」に入居して新規事業に取り組んでいる注目の方々を中心にご紹介しています。
今回は、アサヒグループ食品 企画本部 長期戦略推進室 担当副部長の畠徳望博(はた・ともひろ)氏にご登場いただきました。畠氏は現在、アサヒグループ食品のDX推進を手掛けつつ、グループ横断の新規事業創出の取り組みや既存事業のビジネスモデル変革、新規事業の開発、伴走支援、ビジコンの運営などに幅広くチャレンジされ、新しいコトを起こす際の“仕掛け人”として活躍されています。前編では、周囲をどんどん巻き込んで物事を進めていく畠氏の人物像を理解する上で欠かせない、学生時代のエピソードについてお伝えします。
角氏:まず畠さんの現在に至るまでのお話から伺えますか。
畠氏:僕は2003年にアサヒビールに新卒で入社しまして、今はアサヒ食品グループに出向して新規事業創出の支援と、自身でも新規事業創出に向けて取り組んでいます。元々は教師になりたかったんですよ。当時、学校の先生は大学を卒業した後、教員採用試験を経てすぐに先生になるケースが多いですが、僕は社会に巣立っていく子どもたちを教えるためにはまず自分自身が社会を知る必要があると思い、その前に就職することにしたのです。
角氏:なるほど。それでなぜビール会社に?
畠氏:ビール業界にこだわりがあった訳ではなくて、世の中にはなくてもいいけど、あったらいいなというものを創っている会社がいいと思ったんです。要するに嗜好品ですね。ビールもそうですが、あとは玩具メーカーやテーマパーク、自動車のディーラー、雑貨屋さん、お菓子の会社などを数社受けまして、その中でもこの人たちと一緒に働きたいと一番感じたアサヒビールに入社することにしたのです。
角氏:何故世の中になくてもいいものを作っている会社に入りたいと思ったのですか?
畠氏:自分に合いそうな、自分だからこその成果が出そうな仕事をしたかったんです。遊び心は昔からある方だったので、自分なりのクリエイティビティを世の中に表現できるといいなと。
角氏:でもそれは、いずれ先生になるための経験を増やすという事なんですよね。
畠氏:ええ。当初は4年で辞めようと思ったのですが、2023年で21年目でございまして(笑)。
角氏:ちなみに先生になろうとしたきっかけは?
畠氏:ちょっと暗い話になりますが、昔嫌いな先生がいたんです。どうしようもない先生がいると、その先生に教えられている学生の1年間はもったいないじゃないですか。それで世の中のしょうもない先生を1人でも減らせるといいなと思って。
角氏:世の中を良くしたいとか、子どもたちを救いたいという利他の気持ちがあったんですね。
畠氏:自分自身が順風満帆にきた訳ではなくて、学生時代は陽の当たらない学生生活を送っていたんです。ずっとバスケをやっていたのですが、部活や運動はそんなに得意ではなくて、小中学校のバスケ部では2軍、高校は3軍で試合にも出られず、学校対抗戦のときにも学校中からキャーキャー応援されるなか、自分はベンチで応援しているだけで。
角氏:スラムダンクでいえば小暮ですらない、安田みたいな存在。
畠氏:ヤスですらない。桑田か石井かというレベルです(笑)。それでその時に、よく試合に出ているメンバーの一部や監督が試合に出ない補欠メンバーに対して配慮がなく、試合に出てくる人が全てみたいな雰囲気を感じていました。コート上の5人は、2軍3軍がいるから普段の練習ができて今の立場があるのに、一生懸命頑張っても試合に出られないこちらに対して偉そうだったんです。僕はその時に、「これはあかんぞ」と感じまして。自分は社会に出て第一線で活躍できても、その背景にはいろんな人のサポートがあって、全員が最前線じゃなく、みんながいてこそチームが成り立っているということを学生時代に凄く感じて、今仕事をしている上でもそこは大事にしています。
角氏:役割分担があって、みんな輝いているのにと。それは悔しかったでしょうね。大学時代はどうだったのですか?
畠氏:大学は、高知大学の教育学部に進んだのですが、入学前に地元の女子大との合コンでめちゃくちゃかわいい彼女ができまして。
角氏:あれ、いきなり風向きが変わりましたが(笑)
畠氏:いやまあ(笑)。それで最初は小学校教師のほかにもうひとつ、英語の先生の免許を取ろうと思っていたのですが、彼女の妹さんが肢体不自由な方でして、「この子と結婚したら、僕が面倒を見るんや!」との思いを持って養護学校の教員コースに進んだんです。まあその後すぐ振られてしまうのですが。
角氏:一転して楽しそうな大学生活ですが、ほかにもいろいろあったのですか?
畠氏:地元のFM局でラジオ番組を4本持っていました。
角氏:はい?
畠氏:経緯をお話ししますと、高知の街である時ヒッチハイカーを車に乗せたんです。それが信州大学のヒッチハイクサークルの学生たちで、複数のメンバーが男女でペアを組んで入れ替わりながら一緒に旅をしていたんですね。その日は家に泊めておもてなしをして、翌日に同じサークルのメンバーと合流したのですが、その組を乗せていたのが地元の有力企業の社長で、その社長さんがラジオ番組を持っていたんです。そこで気に入られて、「君やってみんか」と。
角氏:そんなことがあるんですね。ちなみにどんな番組を?
畠氏:古着屋の店長との対談と、街のタウン情報番組と、サーフボードショップオーナーとの対談と、音楽番組ですね。僕はサーフィンもやらないし古着も着ないのですが、うまく合いの手を打って話を引き出すんです。「ええ知らなかったです!」とか「そうなんですねえ」とか。その流れでお見合いパーティーの司会もやっていましたね。まあ趣味のようなものです。
角氏:相手に気持ちよく話してもらうためのツボを押さえていたんだ。すごい経験をしていますね、これはなかなかですよ。
畠氏:その経験があったので、自らの就職活動時もヒッチハイクで移動したんですよ。東京や大阪で面接があるときに、高知からだとかなりの距離を移動しなければならないんですが、お金がなくて。
角氏:マジですか!うまく時間通りに辿り着けないと思いますけど。
畠氏:それがいけるんですね。高知から福岡や大阪は1日で行けますが、高知から東京は1泊必要です。乗り継ぎの場所も、だいたいどのあたりで車が止まるかわかるんですよ。声を掛ける際には、満面の笑みと半そで半ズボンという服装で危なくないことをアピールして。あとはヒッチハイクには「指立て」と「声掛け」の2パターンがあるのですが、前者では高速道路の料金所前の広い場所を選んだり、後者ではサービスエリア(SA)で降ろしてもらった時に目立つようにお礼を言って礼儀正しさを周囲にアピールしたり、トラックドライバーさんがトイレや食事を済ませた後に声を掛けたりと、うまくいきやすいアプローチがあるんです。どんなコンディションでどんなアプローチをすれば乗せてもらいやすくなるのかという顧客の状況をイメージしながら声を掛けるというのは、今のマーケティングに生きているかもしれませんね。
角氏:そんなことまで分析できているのなら、マーケだけでなく営業にも向いていますよ。
畠氏:それで「海老名SA」とか「岡山SA」とか書いたスケッチブックを持って面接会場に辿り着き、会場のトイレで着替えるんですけど、スーツを着て大きなバックパックを背負っていて周りから見ると明らかに違和感がある。「あいつなんや」と。だいたい面接官に「そのスケッチブックは何?」と聞かれるので、「交通費がなくてヒッチハイクで来ました」と笑顔で答えると、だいたいつかみはOKになるんです(笑)
角氏:そんな人材はどの会社でも欲しいと思うでしょう。それでアサヒビールに入社してからは?
畠氏:まず愛媛で6年間、スーパーマーケット向けの営業をしていました。その時は楽しくて最高でしたよ。角さんがおっしゃったように、天職だと思っていましたね。
角氏:かわいがってもらえるでしょうね。話もうまいし、相手が聞きたくなるような話をされる。パーソナリティーの経験もあって相手に話をさせてもうまいだろうし、完璧ですよね。しかもヒッチハイクのお話を聞くと、相手が買いたくなるポイントというか、タイミングを見図ることもできている。何でも売れたのではないですか?
畠氏:でも基本的には、自分が好きなモノを売りたかったんです。アサヒビールを選んだのもスーパードライが好きだったからですし。
角氏:価値観というか、自分が認めたものを勧めたいということですね。先生になろうとしたきっかけもそうじゃないですか。世の中に良くない先生もいて、良いものを子どもたちに勧めたいと。自分自身が良い存在になるのと、好きなビールを薦めるのと、根っこは同じですよね。
畠氏:僕は、最終的に求めているベクトルが自分に向いている利己的な人間は嫌いなんです。仕事もそうですが、自分の評価を上げるためとか、一つひとつの行動が全部自分に向いているような輩は大嫌いで、自分が良いと思った方向にみんなと一緒に進んで、みんなが喜んでいる状態を作りたい。そうなると嬉しいんですよ。
後編では、畠さんがアサヒグループ食品で手掛けてきたさまざまな仕掛けや成果について伺います。
アサヒグループ食品【本稿は、オープンイノベーションの力を信じて“新しいことへ挑戦”する人、企業を支援し、企業成長をさらに加速させるお手伝いをする企業「フィラメント」のCEOである角勝の企画、制作でお届けしています】
角 勝
株式会社フィラメント代表取締役CEO。
関西学院大学卒業後、1995年、大阪市に入庁。2012年から大阪市の共創スペース「大阪イノベーションハブ」の設立準備と企画運営を担当し、その発展に尽力。2015年、独立しフィラメントを設立。以降、新規事業開発支援のスペシャリストとして、主に大企業に対し事業アイデア創発から事業化まで幅広くサポートしている。様々な産業を横断する幅広い知見と人脈を武器に、オープンイノベーションを実践、追求している。自社では以前よりリモートワークを積極活用し、設備面だけでなく心理面も重視した働き方を推進中。
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