開始はコロナ禍、乗り越えて全社へ--課題ありきで取り組むANAのデジタル人財育成術

 朝日インタラクティブは8月23日、「CNET Japan オンラインカンファレンス2023〜 企業のこれからに必要不可欠『デジタル人材』獲得の秘策と実行」を開催した。

 キーノートでは、全日本空輸(ANA) デジタル変革室 企画推進部・部長の小林祐治氏が登壇。「コロナ禍を乗り越え成長するANAのデジタル人財」と題し、コロナ禍の危機から始まったという、ANAのデジタル人財育成について講演した。「人もお金もノウハウもない中、危機をチャンスと捉えて、社内にいる人の知恵と工夫で取り組み始めたが、さまざまな苦労もしてきた」(小林氏)という、ANAのデジタル変革に迫った。

ANA デジタル変革室 企画推進部・部長 小林祐治氏(右上)、CNET Japan編集部 藤代格(左上)
ANA デジタル変革室 企画推進部・部長 小林祐治氏(右上)、CNET Japan編集部 藤代格(左上)

コロナ禍で事業が一変--「お客様が1割に減った」

 1952年に創業したANAは、ヘリコプター2機から始まった新進気鋭のベンチャー企業だったという。2022年で70周年を迎えた今では、ANAホールディングスを中心に連結55社が名を連ね、航空運送事業をはじめ、さまざまな関連事業に取り組んでいる。

 売り上げの約7割を占めるANAや、「PEACH」「AIRJAPAN」といったLCC事業、さまざまな航空関連事業、旅行会社に加え、最近ではECサイトやマイルサービスなどを手がけるANAX、メタバースのANA NEO、遠隔技術のavatarin(アバターイン)など、デジタル関連事業も展開している。




 小林氏は、「DXという言葉すらなかった2006年頃から、DX関連の取り組みを進めてきた」とし、チェックインしないで搭乗できる「Skip」サービスや、現場でのiPad活用、仮想デスクトップなど、デジタルワークプレイスの導入、航空機への荷積の自動化、CX基盤によるone to oneサービスの変革などに取り組んできたと説明。2019年には経済産業省と東京証券取引所から「DXグランプリ」に選定されている。


 しかし、小林氏は「今日のテーマである“デジタル人財”については、多少後手に回ってしまったという印象がある」と明かす。2019年頃からデジタル人財確保の取り組みを始めるも、2020年のCOVID-19によって世界が一変。航空事業が主力のANAグループは、創業以来の大ピンチに陥ったという。


 「これまでも、2001年の米国同時多発テロ、2008年のリーマンショックなどで、一時的に業績が落ちることはあったが、基本的には右肩上がりで順調に伸びてきていた。COVID-19による影響は、これらとは比べ物にならないほど大きく、お客様が1割程になる時期もあった。2022年にようやく黒字化することができたものの、それでもコロナ禍前に比べると、まだ7割ぐらいだ」(小林氏)

 さらに、国際航空運送協会(IATA)が需要の戻りを分析したグラフには、ショッキングな結果が示されている。「過去にもさまざまなショックがあったが、数年後には需要が戻ってきていた。今回のコロナ禍においては、需要自体がかなり減ったうえに、需要の戻りも想像以上に遅い。事業としては、今後も大変な状況が続くと考えている」(小林氏)

コロナ禍で「デジタル人財の育成」が急務に

 小林氏は、このような厳しい状況の中、ANAが何をしてきたかを説明した。最初に取り組んだのは、「雇用の確保」だ。代表取締役社長(当時)を務める片野坂真哉氏が「従業員を守る」と大々的に宣言し、新規の採用の凍結、一時帰休、グループ外への出向なども進めた。同時に、「お金の確保」にも取り組んだ。投資の抑制、給与や賞与のカット、減便など、さまざまな打ち手を講じたという。

 「そんな中でも、コロナの先の成長を見据えたDXの推進は、取り組み続けてきた」と小林氏は話す。非接触ニーズへの対応や、生産性の更なる追求といった、変革の手を緩めることはしなかったという。

 「しかし、変革を担う人財が足りていなかった。そこで、グループの人財を活かして、外部流出コストの抑制とDXの推進の両立を目指し、人財育成の取り組みを始めた」(小林氏)

 その第一歩が、グループ内公募によるデジタル人財の確保と成長支援、いわゆる従業員の「リスキリング」だ。最初の公募は、2020年12月。コロナショックが予想以上に長引きそうだと分かってすぐに、「外部から採用はできない。リスキリングが急務だ」と舵を切った。

 例えば、サービスフロントや空港現場などから、ANAデジタル変革室、グループ会社のANAシステムズといったDX部門への配置転換を進めた。公募によって異動者をDXの現場に投入、リスキリングを進めることで「DX部門の約1割が、現場からの異動者になった」(小林氏)という。


 公募者育成のカリキュラムは、3ステップを踏んだのちに、異動者に実務経験を積ませていくという内容だ。

 はじめに、デジタル、セキュリティ、データ系の人財を、グループから幅広く募った。エントリーシートでの選考を経て、部署を異動させた後、デジタル基礎教育、続いて実務教育と、段階的に育成を進めた。

 「われわれも、急な話だった上、お金もかけられないので、教育コンテンツは全部自前で一から作った。それまでDX推進でやっていたデザイン思考などのワークショップの内容や、経済産業省のデジタルスキル関連教材、YouTubeなどで得られる無料の教材などを駆使して、なんとか組み立てた。特に、PBL(Project Based Learning)型での育成は、4~6カ月の期間を設けることで、われわれの想像以上に実務に馴染んで活躍している」(小林氏)


 実際に、セキュリティ部門に異動したCAが「CA時代の現場での経験が、現業での新たな気づきにつながる」、同様にANAシステムズに出向したCAが「現場でのチームワークが、アジャイル開発でのチームビルディングに役立っている」と話すなど、よい事例が数多く生まれているという。


ANAのデジタル人財の成長支援策「ANA Digital Resonance」

 小林氏は、「緊急的な対応ではあったが、リスキリングが想定以上にうまくいった。このノウハウを全社に展開することで、全社のデジタルリテラシー向上を図っている。ご存知の通り、DXとは決して、IT部門やデジタル部門だけの仕事ではない。さまざまな業務担当者やパートナー企業も含めて、まさしく共創で仕事をしていくことが大事。全社員に対して、デジタルのさまざまな教育を行うことは不可欠だと考えている」(小林氏)


 そこで整備したのが、ANAのデジタル人財の成長支援策「ANA Digital Resonance」だ。グループの人財を「全社員」「デジタル活用人財(デジタル担当)」「デジタル専門人財」の3つに区分し、それぞれに適した教育プログラムを策定したという。


 1つめの「全社員」向けコンテンツのゴールは、「デジタルが分かる人財」だ。DX/IT部門への人財公募・異動で作成した教材を使って、主にeラーニングを中心に、5つの学習フェーズで段階的に学べる内容に仕立てたという。

 小林氏は、「最終的には、少なくとも業務フロー図を書けるレベルを目指した」と説明する。また、もともとあったプログラムを活用して、実際の職場の課題を解決するための出張ワークショップも実施して、各部門をサポートしているという。


 2つめの「デジタル活用人財」では、業務部門でDX推進を担う担当者向けに、70時間(約半年)のデジタルコースと、100時間(約1年)のデータコースで構成するカリキュラムを作成したという。

 「これは異動ではなく、現在の部署に所属しながら就業時間の20%を学習に割いてもらう、というもの。システムの基礎知識から、実際のスキル、職場の課題をテーマに解決までしていただく」(小林氏)

 3つめの「デジタル専門人財」では、「人財の定義」から、腰を据えて着手した。「デジタル人財といってもさまざま人たちがいる。まずはその定義づけを行った」(小林氏)。具体的には、「専門とする領域」と「スキル・知識」「能力」を掛け合わせることで、「職務(ロール・役割)を定義。そして、「スキルアセスメント」を用いて、スキルの可視化を実施した。

 スキルアセスメントでは、そもそも事業会社に必要なスキルとは何かを一から洗い出すことや、本人と上司の合意によってスキルレベルを確定すること、今後はどう成長していきたいかを面談で可視化することに取り組むという。

 さらに、実際に成長するための「アップスキリング」を支援するためのプログラムも用意した。ANAデジタル変革室に所属するマネージャー・課長陣が持つ、さまざまな経験や知見を集約して作り上げたという。もちろん、「スキルアセスメント」との連動も図っている。

 「自身でキャリアパスを考えながら、現在のスキルの可視化をして、そして成長に向けてアップスキリングする。こういったサイクルを回していきたいと考えている」(小林氏)


 小林氏は、「ANAは、2023年に経営Visionを刷新し、“ワクワクで満たされる世界を”を掲げた。デジタル変革を中心にいかにビジョンを実現していくかが大事で、そのためには社員のエンゲージメントを高めていくことと、デジタル人財を育成していくことがとても重要と改めて感じている」と話したうえで、本取り組みをこのようにまとめた。


 「最初は、コロナ禍での生き残りをかけた、無我夢中な取り組みだった。計画を立てて進めたというより、まずはやってみよう、それも内製でということで、試行錯誤の連続だった。結果としてはよいものが出来上がったと思っているが、人財育成は長期の計画。これが本当に持続的でよい人財を育成できるかはこれからで、人財が結集することで、さらなる成長や、アフターコロナ時代の挑戦を続けていかなければならないと考えている」(小林氏)


 セッション後半の質疑応答では、さまざまな質問に答えた。「デジタル人財の選び方」という問いに対しては、「公募のときは、想いをしっかり書いてもらった。スキルは後から獲得できる。自分たちが変わろう、デジタルをやっていこう、という想いが強い人であればあるほど、どんな苦難があっても乗り越えられる」(小林氏)と話し、やる気の重要性を説いた。

 また、「特に苦労したこと」を尋ねると、全部自前だったことと答えた。「デジタル人財の成長支援策は、前段として公募によるリスキリングの取り組みがあった。助けられた部分もあったが、長期の育成という観点で考えると、本当にこれでよいのか、特に管理職には何が必要なのかなどを、一から考えて、全部自前で作らなければならず、そこが一番苦労した。実際に学んだ方々からフィードバックをいただいて改良してきたので、いまは各部署において必要な内容に厳選できている」(小林氏)と語り、継続的な取り組みができていることを評価した。

 最後に、「デジタル人財といっても、デジタルよりもX(変革)のほうが大事。あくまでも課題ありきで、その解決の手段としてデジタルがある」(小林氏)とし、ANAの人財育成に取り組む姿勢をまとめた。

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