荏原製作所が30年ぶりの新規事業、陸上養殖ビジネスが予期せぬ方向に走り出す--松井寛樹氏・櫻井悦子氏【前編】

 企業の新規事業開発を幅広く支援するフィラメントCEOの角勝が、事業開発に通じた、各界の著名人と対談していく連載「事業開発の達人たち」。現在は特別編として、森ビルが東京・虎ノ門で展開するインキュベーション施設「ARCH(アーチ)」に入居して新規事業に取り組んでいる大手企業の担当者さんを紹介しています。

 今回は、荏原製作所 マーケティング統括部 次世代事業開発推進部 マリンソリューション課 課長の松井寛樹さんと、グループの特例子会社である荏原アーネスト 代表取締役社長の櫻井悦子さんのお二方です。

荏原製作所 マーケティング統括部 次世代事業開発推進部 マリンソリューション課 課長の松井寛樹さん(右)と、グループの特例子会社である荏原アーネスト 代表取締役社長の櫻井悦子さん(中央)
荏原製作所 マーケティング統括部 次世代事業開発推進部 マリンソリューション課 課長の松井寛樹さん(右)と、グループの特例子会社である荏原アーネスト 代表取締役社長の櫻井悦子さん(中央)

 松井さんは、荏原製作所が新規事業創出の一環として開始した陸上養殖事業に挑戦し、櫻井さんは松井さんの新規事業への参加をきっかけとして、障がい者の働き方改革に挑戦しています。前編では、荏原製作所として30年ぶりの新規事業として期待される、陸上養殖ビジネスへの取り組みを中心にお聞きしました。

社内のダイバーシティから障がい者雇用へ

角氏:今回は同じグループ企業内からお二人が登場されるという、当連載では初めてのパターンになります。どのような話を伺えるのか楽しみですが、まずは櫻井さんからプロフィールについて伺えますか?

櫻井氏:私は2021年に荏原アーネストの代表に着任しまして、現在障がい者の雇用促進に取り組んでいます。弊社には知的障がい者の社員が50人在籍し、3つの事業所で仕事をしています。トータルの社員数は、荏原製作所所属の健常者を合わせて70人程度です。

角氏:荏原製作所の人事異動で移られたわけですか?

櫻井氏:はい。それまではダイバーシティや働き方改革を担当していました。障がい者雇用は人事部門が担当していたのですが、人事の経験もない中でいきなり「行ってこい」と言われまして(笑)。ただ、ちょうど最後のキャリアとして何かもう少し違うところで経験をしたいと思っていたので、断る理由はありませんでした。

角氏:健常者と障がい者の共生もダイバーシティ領域の話ですからね。新しい挑戦だけど今までのキャリアも生かせそうだと。松井さんは?

松井氏:私はずっと人事畑にいたのですが、2019年に陸上養殖の新規事業プロジェクトが社内公募で立ち上がったんですね。実は個人として養殖ビジネスをやりたいという思いがずっとあって、副業かリタイア後に挑戦しようと思っていたのですが、これは運命だと思い手を挙げました。今はプロジェクトがマリンソリューション課という形になったのですが、まだ事業化のフェーズに入っていないので、これをいかに事業にするかに取り組んでいるところです。

産業機械の要素技術を陸上養殖に展開

角氏:荏原製作所が陸上養殖事業に挑戦されている理由は?

松井氏:私たちは産業機械メーカーなので、陸上養殖では弊社のポンプを納入させていただいておりましたが、それ以外で直接の関係はありませんでした。ただ、水のコントロールを始めとする流体技術や空調で使っている冷熱技術、また関係会社には水処理を得意とする企業もあり、陸上養殖に必要な要素技術を多数持っています。それらを技術転移できれば陸上養殖に役立てられるのでは?というところがスタートラインですね。

 養殖は初めてだったので、まず「アクアポニックス(※水産養殖と、土を使わず水で植物を育てる水耕栽培を掛け合わせた循環型有機農業法のこと)」という、養殖のユニットを買ってみたんです。魚を育てつつ野菜も育てる仕組みのものなのですが、誰にやってもらうかということになりまして。そこで、アーネストの社員にお仕事としてできないかと打診したのが発端になります。

角氏:なるほど。

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松井氏:私の思惑としては、荏原製作所の新規事業は約30年ぶりなのですが、文化がない中で新規事業を進めるにあたっては、まずは社内でのファンづくりが必要であり、そのためにはみんなに認めてもらえる筋の通った文脈が必要だと考えたわけです。一方で、私は人事にいたので、特例子会社により多くの仕事を担ってもらう必要があることことを知っていました。そこで、アーネストにアクアポニックスの管理を担当してもらい、さらに収穫した野菜を社内に配れば、「新規事業っていいね」となるだろうと。それでお願いしたんです。

角氏:結構打算があったんですね(笑)。その時にカウンターにいたのが櫻井さん?

櫻井氏:アクアポニックスを始めた当初は着任していませんでした。私が参加したのは、一通り実験が終わった段階からですね。荏原製作所の現在の社長が就任してから新規事業にチャレンジしていこうという体制になりました。

角氏:ちなみに、荏原製作所の次世代事業開発推進部では、他にどんなことをされていますか?

松井氏:主にバイオ技術、再生医療等に取り組んでいます。部全体では約20人、そのうち約半数が陸上養殖に係わっています。

角氏:そもそも荏原製作所の新規事業が30年ぶりということですが、何でこのタイミングだったのですか?

松井氏:当社は1990年代後半に新規事業に取り組んでいたのですが、2000年初期に業績が悪くなり、まずは体力を維持しようという事で全部やめたのです。その後、ガバナンスも含め企業努力を重ね、財務状況なども改善し、2019年に現在の社長である浅見の体制になってから新しいことができる状態になって、色々なことをやり始めている状態です。

角氏:その時に本業の強み、要素技術を生かした事業は何かということで陸上養殖が出てきたんですね。

松井氏:他の事業も全部、今後成長が期待出来るマーケットであることと、当社が持っている技術・リソースがそのマーケットにおいて差別化要素になるか、そして当社のビジョンに則しているかということで選んでいます。

角氏:ビジョンとして大事にされているものとは?

櫻井氏:荏原グループとして、2030年に世界の6億人の人に水を届けるという目標があります。社会インフラを支える当社として、松井のチームの養殖事業は水や食べ物に困らない世界を作るという目標に沿っています。

6月にGINZA SIXでブランド養殖魚を販売

角氏:現状、陸上養殖ビジネスはどこまで進んでいるのですか?

松井氏:陸上養殖のところでは、京都大学と近畿大学の技術を基に設立されたスタートアップであるリージョナルフィッシュ社と資本業務提携をして、魚を効率良く養殖できるシステムの開発を開始しています。ただ魚を育てても売れないとビジネスが成り立たないので、養殖魚のブランディングをしているさかなファーム社とも資本業務提携をして、出口の部分にも手を打っています。バリューチェーン全体を俯瞰した時に、BtoBビジネスかつ機器システムを扱ってきたわれわれが苦手なところは他社と協業し、われわれが活躍できるところで大いに活躍するという考えで取り組んでいます。それでこの6月に、有名レストランのシェフにレシピを作ってもらい、養殖した魚を初めて市場に出しました。魚は社内とGINZA SIXで販売しました。

角氏:GINZA SIXで売ってるんですか!ちなみに魚の種類は?

フィラメントCEOの角勝
フィラメントCEOの角勝

松井氏:関西ではクエで有名な、ハタ科の魚ですね、さかなファームが展開している「CRAFT FISH」ブランドの1ラインアップとして販売させていただきました。そのあたりも、われわれは産業機械メーカーなので購買者がどんなときに商品を手に取るのか、何を価値と感じて買うかということはわからないので、単独でやっていたら上手くいかなかったと思います。

トップのコミットメントで全体に挑戦のマインドが波及

角氏:自社の強味をどこに生かせるかを考えてチームを作っている感じですよね。その中には櫻井さんの会社も含まれています。そう考えると、今は外に打ち出しを始められたところですが、社内ではどう見られているとお感じですか?

松井氏:新規事業に関して、まずトップがコミットしてくれていると感じています。投資する意義のあるところにお金を出してくれますし、ARCHの他の会社に話を伺った上でも、荏原製作所はそうだと断言できます。その結果として新しく何かを始めることを奨励する風潮が社内に出ていることは間違いないですね。

 社内の公募制度も活用され、部署が公募を打っていいという空気も醸成されました。それに対して手を上げる社員、気持ちよく送り出すマネージャーが増えています。会話や資料の中にも、“チャレンジ”や“トライ”というワードがずいぶん増えたという印象です。

角氏:事業の話に入っていくと、荏原製作所の陸上養殖事業の進め方は得意な部分に注力し、他と組みながら事業を成立させて大きく加速させて、その中で自分たちが事業として知らなかった部分を知りつつ儲けも確保していくというオープンイノベーションのスタイルだと思いますが、ここ(ARCH)に入っていることでプラスに作用していることはあるのですか?

松井氏:以前、大きなピンチをARCHのメンバーに救っていただいたことがありました。魚の水槽を置いていた場所を急遽動かなければならなくて、まだ魚は出荷サイズよりもかなり小さい状態でしたがどこかの市場に出すしかないと考えていました。そんなとき、この連載にも登場されたセイノーホールディングスの加藤徳人さんが紹介してくれた会社が対処に必要な機材を持っていて、ちょうどいいタイミングで魚も次の水槽に運んでもらえる手筈が付き、無事養殖魚を育て上げて商品化できたのです。

新規事業への参加で生まれた改革の芽

角氏:事業が失敗したときのことは考えていますか?

松井氏:それはこれからの課題ですね。新規事業慣れしていない会社なので、失敗の基準を作っていないし、何をもって事業化かも考えていかなければならない。それも一応、われわれが担わなければならないので、事業として成立させることは勿論のこと、会社全体の風土を変えるところまで進めるのが裏のミッションだと、使命感を持って取り組んでいます。

角氏:その中で、荏原アーネストは本体の新規事業にどうかかわっていらっしゃるのですか?

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櫻井氏:私がアーネストに来たとき、荏原製作所から請けているいろんな仕事の中の1つに、アクアポニックスの業務がありました。いろんな仕事といっても、障がい者の仕事は清掃などのいわゆる補助作業がほとんどで、会社の直接の事業に関係ない仕事をやっていました。その中で、アクアポニックスは新規ではあるけど、唯一荏原製作所の本業と関連する仕事だったんです。それで、最初は「そこを社員の仕事としてもっと広げていけたらいいな」と思っていました。ある時、アクアポニックスに関してテレビの取材を受けて、その際に社員がインタビューに答えた内容を聞いて、びっくりしたというか、ハッと気付かされたんです。それが私にとって、この会社の仕事の中身を本気で変えていこうと思った出発点になりました。

 後編では、お二人が挑戦されているグループ横断での障がい者雇用と働き方改革のお話を伺います。

【本稿は、オープンイノベーションの力を信じて“新しいことへ挑戦”する人、企業を支援し、企業成長をさらに加速させるお手伝いをする企業「フィラメント」のCEOである角勝の企画、制作でお届けしています】

角 勝

株式会社フィラメント代表取締役CEO。

関西学院大学卒業後、1995年、大阪市に入庁。2012年から大阪市の共創スペース「大阪イノベーションハブ」の設立準備と企画運営を担当し、その発展に尽力。2015年、独立しフィラメントを設立。以降、新規事業開発支援のスペシャリストとして、主に大企業に対し事業アイデア創発から事業化まで幅広くサポートしている。様々な産業を横断する幅広い知見と人脈を武器に、オープンイノベーションを実践、追求している。自社では以前よりリモートワークを積極活用し、設備面だけでなく心理面も重視した働き方を推進中。

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