Wirth氏は、観客参加型の演技と即興に関するベテランであり、アバターを通じてアイデンティティーを表現するワークショップになる空間をVRで構築し始めている。筆者は、没入型シアターの環境を何年も追ってきた中でWirth氏に出会ったので、同氏のプロジェクトのことを耳にしてすぐ、その体験への参加を申し出た。
Wirth氏は、VRにおけるアバターの大げさな演技を、われわれが実生活の中で演技を習得するプロセスに近いと考えている。VRツールに慣れるにつれ、どんどん自然になる。
コロナ禍が始まって以来、誰よりも近い距離で演者たちの隣に立っていると、会話はより自然に感じられるようになった。この体験は、マンガのようなアバターを介していてもリアルだったのを覚えている。顔の表情が足りないのを補うように、話すときには、両手をもっと使おうと試みた。
Wirth氏が説明するように、われわれはボディランゲージと表情が仮想空間でコミュニケーションの役割を果たすという前提に立っており、そうならない場合に、コミュニケーション不全と疎外が生じうる。そこが、議論の始まりにも、あるいは断絶の始まりもなる。
これは理解できるし、常に感じていることでもある。そして、仮想世界でどうコミュニティーを築いていくのか、その始まりとも思える。
Wirth氏は、オンライン上の衝突のほとんどが断絶状態に起因すると考えている。ひと昔前のネットにおけるののしり合いもそうだし、今でいえば不完全ながら感情を代弁する絵文字もそうだ。テクノロジー大手各社がメタバースにおける人間同士のやり取りに関する部分を最後まで後回しにしているのも偶然ではない。解決が最も難しい領域だからだ。
「プログラム的に、実現するのが最も難しいのは、われわれを特に人間らしくしている各種の要素だ」。そう語るWirth氏が感じているのは、VRにはまだ十分に発達したボディランゲージが確立されていないということだ。同氏は、練習と意識的な努力でそれは実現できると考えている。今はまだ、奇妙な補助器具頼みだ。手にゲームコントローラーを握り、頭に大きいヘッドセットも装着しなければならない。アイトラッキングとハンドトラッキングによって、今より自然で微妙なボディランゲージも実現しそうだが、カメラやセンサーがたくさん付いたヘッドセットに追跡されて、気持ちよく信頼できるものだろうか。
筆者自身はいつの間にか、信頼して耳を傾けるように、そして自分の動きを意識するようになった。ある練習では、コントローラーの動きを小さくして、普通に歩くのと同じスピードで仮想的に歩くことを学んだ。実験的な練習ではあるが、実際に仮想世界の中にいるということを、より強く意識するようになる。筆者はいつも、テレビゲームを遊んでいるときのように跳ね回ろうとする癖がある。だが、実際にそこにいるということをもっと意識すれば、その環境をより尊重した行動をとるようになる。
たとえ、最終ゴールははるか彼方だとしても、それは、つながりやコミュニティーを模した世界に向かう、小さな1歩だ。
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