オーディオ&ビジュアル評論家麻倉怜士が、注目機器やジャンルについて語る連載「麻倉怜士の新デジタル時評」。今回は、2020年春から加速度的に数が増え、それに合わせ画質、音質が急速に進化した音楽ライブ配信について解説する。新型コロナウイルス感染拡大防止による音楽ライブの延期、中止は、時間や場所に縛られず、コンサートホールとはまた違う楽しみ方をもたらしている。
2020年の春、新型コロナウイルス感染拡大防止による緊急事態宣言を受け、音楽ライブは一斉に中止や延期が発表された。アーティストはもちろん、ライブに携わる多くの関係者、そしてライブを楽しみにしていた観客など、その影響は非常に大きく、その代わりとして急激に立ち上がったのがライブ配信だ。
当初は、音質はMP3やAAC、映像は良くてフルHDというクオリティだったが、秋頃から配信システムの充実に伴い急速に高画質、高音質化が進行。家庭内におけるインターネットの速度が向上したことと合わせ、自宅にいながら高音質、高画質で音楽ライブを楽しめる環境が整ってきた。
音楽ライブの代替として機能する一方、ライブ配信にはリアルのライブとは異なる魅力がある。コンサート会場は、どれだけ大きな会場であっても、実際に行けるのは最大数万人程度。海外公演など場所の制限もあり、行きたくても行けない人が出てしまう。
配信になるとそうした枠をこえ、多くの人が一度に視聴できるようになる。ライブ配信でよりよい体験をしたいと考えるのは当然のことで、すごく良い画質、音質で楽しめれば、リアルのコンサートに参加している以上の体験が得られる。
リアルで開催されるコンサートの醍醐味は、会場内でしか味わえない、興奮と臨場感、そして空気感だ。しかし、座席の位置に左右されてしまうほか、一定の位置からしか見られない(聴けない)というデメリットもある。
最近の配信ライブでは、マルチカメラで撮影し、アーティストをアップにしたり、楽器を弾く手元にズームしたりと見たいところを見られるなど、配信ならではの楽しみ方を豊富に用意。リアルとは別次元の楽しみを提供してくれる。きちんと作り込んだ音楽コンテンツはきちんといい音が聞けるようになってきている。
ライブ音源で「ステージングがよくできている」と思ったのは、木村カエラさんが2020年9月に行った、自身初のオンラインライブ「KAELA presents on-line LIVE 2020 “NEVERLAND”」。 e-onkyo musicで配信されたハイレゾを聴いた。ヴォーカルが完全にセンターに定位し、歌手のイメージと音像が一体になっている。音像感をビジュアル的にイメージすることで、高画質、高音質に加えマルチな見方とライブ会場でも得られないような新しい体験ができるようになってきた。
こうした動きに加え、マルチチャンネルによる3Dサラウンド配信も盛り上がってきている。この利点はホール感が得られること。すでに、3Dサラウンド再現ができるドルビーアトモスやAuro-3Dは、映画だけでなくライブ配信の面からも脚光を浴びている。
高画質、高音質、3Dサラウンドと春から秋にかけ、急ピッチで成長を遂げた音楽配信だが、その中でも特に素晴らしいと感じたコンテンツをいくつか紹介しよう。
その筆頭になるのは、2020年10月の松田聖子さんのライブ配信「40th Anniversary Seiko Matsuda 2020 "Romantic Studio Live"」だ。これは一つの革命とも言えるライブ配信だったと思う。
2020年は松田聖子さんにとってデビュー40周年となる記念すべき年。しかしライブが一切できない環境だったためライブ配信という手法をとった。私は、150インチの4KプロジェクターとJBL「プロジェクトK2」スピーカーで視聴したが、音も映像もすばらしくよかった。
HDRに対応しており、肌の微妙なグラデーションまで表現され、色抜けもない。ハイビジョン画質ながら解像感もよかった。音も素晴らしかった。6人編成のバンドで、ひとつひとつの楽器の音が大変クリア。特にキーボードの演奏が華麗で楽しめた。松田聖子さんの声もクリアでよく通っていた。
録音スタジオでのライブだったため、基本的な音響も確保され、演奏はもちろんミキシングもよかった。本当に満足できるライブ配信だったなと感じた。これだけのクオリティが実現できるのであれば、ポップスだけでなく、クラシックなど他ジャンルへの転用も可能だろう。
配信を担ったU-NEXTの方に話を聞いたところ、もともと画質、音質には気を配っており、今回のライブもいい音、いい映像になるよう、アングルなどもかなり工夫していたとのこと。意識の高い配信会社だからこそ、作り上げられたライブ配信だったと思う。
10月にはもう一つ大きなライブ配信のイベントがあった。それがWOWOWが主催した高度音声配信実験だ。WOWOWは以前から放送だけではなく、いい音で音楽ライブを届けたいという新しいコンテンツを模索しており、その一環として実施された。
10月6日と28日の2回に渡り開催されたこの実験は、コーデックにMQAとAuro-3Dを使用。MQAはハイレゾダウンロードやハイレゾCDなど広く展開し、次世代の高音質コーデックとして注目されている。
マリンバ奏者の名倉誠人さんの演奏を、合計14本のサラウンドマイクを使い、192kHz/24bitのリニアPCMで収録。これを、ヘッドホンで立体音響として聴ける「HPL」(HeadPhone Listening)に変換し、2チャンネルにダウンミックス。その後MQA形式にエンコードする。最終的にMPEG-4 ALS(Audio Lossless Coding)に変換し、映像とともに視聴者に届けた。
オンラインでこのファイルを受け取った視聴者は、PCで無料アプリ「VLCメディアプレーヤー」を使い映像を再生、音声はPCのUSB経由でMQA対応DACと接続し、アナログ音声を得る、という方法を採った。
実際聞いてみると、音の飛び方、空気感が生々しく、両手で4つのマレットを自在に扱い演奏を奏でる名倉さんの演奏の機微までを聴くことができ大変、感動した。
ライブで聴く価値というのは当然あるが、オーディオはその生の演奏に近づくために進化を遂げてきた。その結果、ライブにもない,違う意味での生々しさやライブ感を得られるようになっている。それを実現できるのは時間解像度に優れ、取り扱いもしやすいMQAだからこそだと思う。
MQAを使えば、ライブと配信の関係が逆転しそうだと感じるときがある。インターネットでの配信は世界中どこでも聴けるため、それが一般化されれば、ライブ市場そのものが根底から変わってくるだろう。
特に多額の公演費用が必要になるオペラなどは、現在、高額なチケット代が求められるが、高画質、高音質でリアルタイムでも配信できるようになれば、世界中から観客を集められ、より安価に見られる可能性も出てくる。MQAの配信はそうした希望を感じさせてくれた。
10月28日に開催された2回目のWOWOW高度音声配信実験は、AURO 3Dの高品質イマーシブオーディオ符号化技術であるAURO Codecを用いた世界初となるディスクリート 3Dオーディオの生動画配信となった。当日は、この配信をベルギーでも視聴できるなど、とても意味のあるものになったと思う。
ドルビーアトモスも3Dオーディオとして知られているが、どちらかというとベースが映画。一方、AURO 3Dは各チャンネルから音が出てくるため、包まれるような音場感を表現でき、ふわっとした空気感まで届けられる。
この時の配信実験は、仲野真世さんと馬場高望さんによるピアノとドラムのデュオコンサートだったが、これも素晴らしかった。配信に使われたのはAURO 9.1で、フロント(ライト/センター/レフト)、サラウンド(ライト/レフト)とサブウーファー、フロントハイト(ライト/レフト)、ハイトサラウンド(ライト/レフト)のスピーカー構成。配信をAURO 9.1で聴くには、AURO-3Dのデコード機能を備えたAVセンターが必要になるが、非対応機でも5.1chとして聴ける。
実際、聴いてみて非常に感動した。演奏している空気感そのものが非常に濃い形で家庭に届けられる。これはとても画期的なことだと感じた。
10月にはもう一つ、ライブ配信における注目すべき発表があった。それがコルグが開発したネット動画配信システム「Live Extreme」だ。すでに多くの注目を集め、さまざまな配信シーンで使われているシステムだが、インターネット経由でこれほどの高画質、高音質が得られるとは、大変驚いた。
Live Extremeのポイントは3つある。1つは高画質、高音質であること、2つ目はプラットフォーム側でのシステム導入が簡便なこと、3つ目がユーザーが容易にアクセスできることだ。
映像は最大4K、音は最大PCM 384kHz/24bit、DSD 5.6MHzまで配信が可能。開発したコルグの大石耕史氏に話しを聞くと「最大のこだわりは”オーディオファースト”。これまでの配信システムは映像に音声を沿わせていたが、私たちは徹底的に音を重視し、オーディオクロックに映像を同期させることで、音に最大限のリソースを与えられる」とのこと。
すでに多くのプラットフォーマーから引き合いがあり、中には音楽大学の授業で使いたいとの問い合わせもあったとのこと。新型コロナウイルス感染拡大防止を受け、オンライン授業が一般化される中、通常のオンラインミーティング用のツールでは音質に納得がいかず、ようやく圧縮をせず、リアルな音質で届けられるツールが出てきたと歓迎されたという。
2021年に入って画期的だったのは、ドルビーアトモスとハイレゾで配信した、新日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートだ。1月23日に開催され、演奏会をハイレゾマルチチャンネルで収録。動画配信サービスのU-NEXTと高音質、高画質のライブストリーミングサービス「Thumva」で配信したものだ。すでに配信は2月で終了しているが、合計10万人が視聴した。
会場となったすみだトリフォニーホールは、適切な残響特性を持ち、音の響きがきれいなことでも知られている。48kHz/24ビット収録で配信された音にも、ホール感が感じられ、オーケストラが音を出した瞬間にフワっと広がる様子など、会場で聴いているような感覚が得られた。
このコンテンツは、マルチアングル映像による切り替えも可能で、メニューから7つの画角が選択できた。映像のアングルによってドルビーアトモスの音も少しずつ変えるなど工夫されており、音声は6種類準備していたという。
マルチアングル配信を実施したU-NEXTによると、もっと多くのカメラも配置できるとのこと。理想はすべての奏者の周りにカメラを置き、3方向から撮影することとしているが、私としては、指揮者の映像を選ぶと指揮者に聞こえている音に切り替えられるとベストだと思っている。これは奏者に対しても同様で、自分が演奏しているような体験ができれば、これも配信ならではの新たな楽しみ方になるだろう。
録音を手掛けたのは、マルチ収録の名人として知られる深田晃さん。ナチュラルで虚飾のない自然な音で、まさに「深田さんの音」とも言える音質。響きと直接音のバランスがよく、クリア。気持ちの良い音質で聴くことができた。
今回の配信は、文化庁の「文化芸術収益力強化事業」の支援事業の一環として実施したもの。ドルビーアトモスとロスレスの両方に対応できる音源を収録したが、そのためにはハイレゾかつマルチトラックでの収録が必要で、実現できたのは深田さんがいたからこそ。
深田さんにその時のお話を聞いたところ、「音楽配信の需要は増えているが、ほとんどがAACなどの圧縮音源で、音があまりよくない。今回お話をいただいたときは音をよくしたい、3Dオーディオを活用したいという2つの思いがあった」とコメントしていただいた。
マイクのセッティングは英国のヒューコック・リーさんの論文を参考にしたとのこと。5.1chや7.1chなど、通常の高さの場合は全指向性のマイクで全体像を捉えるそうだが、高さ方向のマイクも全指向性にすると、再生時にハイとスピーカーとフロアスピーカーで音がかぶってしまうとのこと。それを避けるため、高さ方向のマイクには単一指向性を採用しているという。
マイクの配置は、オーケストラ全体を俯瞰するため全指向性のマイク4本を加えることで包まれ感がでてきたとのこと。オーケストラの頭上に高さ方向の全指向性マイクを4本、メインマイクとその上に単一指向性マイクを配置しているという。
実際、マイクの数を増やしたことで、トリフォニーホールの音がそのまま録音されていると感じており、多少の調整は加えたが、極端な加工はしていないとのこと。なにより「深田サウンド」が聴けたことに感動した。
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