オーディオ&ビジュアル評論家麻倉怜士氏が、注目機器やジャンルについて語る連載「麻倉怜士の新デジタル時評」。今回は、ハイレゾの新分野として注目を集めるMQAの最新動向について解説する。前回は、開発の経緯や今までの音楽ファイルとの違いについて話したが、約2年を経てMQAは新たなステージへと突入している。
2016年に登場したMQAは、現在、かなり普及が進んでいる。日本国内で販売されている対応のデジタルオーディオプレーヤーやDAC搭載アンプなどは100種類以上、対応のMQA-CDは400タイトル以上を数えるまでになった。
もともとMQAは、ストリーミングでの配信を前提に考えられた規格だ。MQAの考案者であるBob Stuart(ボブ・スチュアート)氏は、英国の名門オーディオブランド、メリディアン・オーディオの創設者。ハイエンドオーディオを生み出す一方、デジタルテクノロジーへの知見も深く、デジタル圧縮技術にも強い。ハイエンドオーディオテクノロジーの元祖とも言える人物だ。
そのStuart氏が約6年前に開発したMQAは「音が良く、かつ便利なオーディオファイル」として作られた。Stuart氏によると「最も音がいいのは、オープンリールのアナログテープだが、使いにくい。カセットテープの音はそこそこだけれど使いやすい。現代ではストリーミングはたいへん便利だが、音が悪い。つまり音楽を聴く音質と利便性は常に反比例してきた。利便性の高いものは音が悪いという課題を解消し、音が良く、同時に便利を目指したのがMQA」だと言う。
高音質ファイルとしては、これまでリニアPCMやDSDなどが登場しているが、Stuart氏が目指したのは「はるかに音がよいもの」。その時に着目したのが「時間軸解像度」だ。時間軸とは、どのくらい細かな単位で音を認識できるかという尺度。最新の研究によると、人間は1ミリに10マイクロ秒の単位で時間軸の変化が認識できるという。CDの時間軸解像度は4000マイクロ秒とされ、人間に比べると400倍も鈍い。CDの音にいまひとつリアリティが少ないのは、時間軸解像度が低いので、実際の音の変化に追随できないことが大きい。
そもそも、なぜ人間はここまで音を時間的に細かく聞き取れるのか。それは狩猟により食料などを得ていた時代に遡る。灯りもない暗闇の中、動物などがどの方向から、どれぐらいの速さで近づいてくるのかを感知できるのは音情報だけ。人間の耳の良さはその頃からの名残なのだ。
そのため、生の音楽を聴くと感動するが、CDで聴くとその感動が薄まる。生の音は人間の耳が10マイクロ秒単位で分解して聞いているが、CDではそこまで分解していないので、現実の音変化に追随できない。MQAは、時間軸解像度を人の感覚のレベルまだ上げることで、生の音でなくても人が感動する音が再現できるというわけだ。
初めて聴いたのは2014年。音響設計施工やコンサルタントを請け負うソナのスタジオで聞かせてもらった。コンテンツは192kHz/24bitのリニアPCMファイルで聞いていた内田光子さんの「モーツァルト:ピアノ協奏曲」。その時の感動はすごくて、今までなにを聞いていたんだろうと思うくらいだった。
まず、音が生き生きしている。コンサート会場にて音が現実的に広がるような感覚を味わった。バイオリンの位置は右、ピアノは奥など、現場感も伝わってくる。今までのハイレゾファイルとの違いは臨場感。音楽全体が勢いとワクワク感に溢れ、感動の量が全然違うという感じがした。
これだけの臨場感を再現しながらMQAは利便性にも優れる。今まで、音質が良いものはサイズが大きい、重たいというのが常識だったが、Stuart氏は「それではだめ」と判断し、軽量化を試みた。
その際、大きく寄与したのが「オーディオ折り紙」技術だ。これはハイレゾの高音質ファイルを小さな容量のまま保存できる特性を持ち、折りたたむとCD同様の容量になり、通常のCDプレーヤーで音楽を聴くことが可能になる。さらにMQAデコーダーを通すと折り紙が広がり、元のハイレゾ帯域で再生できるという簡便性を実現した。
当初は、ハイレゾダウンロード配信サービス「e-onkyo」でのダウンロード販売から始まったが、2018年には日本のレコード・レーベルUNAMASと録音機材を取り扱う独RMEの代理店であるシンタックスジャパンがCDに折りたたんだMQA信号を収載した「MQA-CD」を開発。パッケージメディアとしてのMQAの可能性は日本人の発想になるものだ。
MQA-CDは、MQAデコーダーを通して聴くことで折り紙を広げ、本来の高音質再生ができるが、驚くべきは通常のCDプレーヤーで聴いても高音質化が図られていることだ。これは2年前の放送機器展InterBEEで実際に試聴してわかったことだが、通常のCDプレーヤーで再生しても、音がかなり違う。ふくよかでしなやかになり、音の表面がきれいになったような印象を持った。この時使ったCDプレーヤーは3万円程度のエントリーモデル。それでも音は格段に違った。プレーヤーの性能に左右されない高音質再現が証明された。
MQAが次に向かったのはストリーミングだ。2018年InterBEEでロンドンからのライブストリーミングデモ「MQA Live streaming」を実施したが、その音はまさにライブ。臨場感に溢れ、楽器の生々しさが伝わってくる。ハートが感じられた。
ダウンロード、MQA-CD、ストリーミングと進化を遂げてきたMQAの最新の取り組みが、ネットによる映像配信とのコラボレーションだ。2019年10月にWOWOWがMQAのオーディオ技術とHDビデオ映像と組み合わせて伝送することに成功。4月には、UNAMASの収録映像をMQA音声とHD/4K動画での「SCHUBERT - DEATH AND THE MAIDEN」を公開した。
このコンテンツの素晴らしさは、映像が加わることによってコンサート会場にいるような豊かな臨場感を自宅で味わえることだ。もともとMQAは非常に臨場感豊かな音を再生するフォーマットだ。映像がなくても、その場の絵が見えてくるようだ。それに現実に映像が加わったわけだ。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、コンサートやライブが軒並み中止、延期となっている昨今にはうってつけの楽しみ方といえるだろう。
MQAの音は音楽に限らず、人の心を落ち着け、癒やし効果がある。今後はその活躍の舞台が音楽産業に限らず、社会領域に入っていくだろう。MQAの音の良さが音楽に限らず求められるに違いない。例えば、駅の発車音として流れたり、空港のアナウンスがMQA化されたりと、今後の音の社会基盤になる方向が考えられる。これからもMQAの進撃から目を離せない。
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