1月23日深夜から24日未明にかけ、Twitterでも、Facebookでも、僕のつないでいるSNSタイムラインが騒がしくなっていた。
騒がしいと言っても、コロナ感染者数の話題でも、東京五輪でもない。それまで聞いたこともなかったClubhouseというサービスだ。
あまりに頻繁に登場するものだから「何?それ?」と書いてみたら「昔、Gmailが始まった時、真っ先にアカウントをもらったから」という、実に20年以上も前の縁を覚えていた律儀な友人から招待状が届いた。
招待状が届く頃には、僕の耳にもClubhouseとはなんぞやという情報が入り始めていたけれど、中でも印象的だったのは”声のSNS”という言葉と、”招待された少数のインターネット老人や意識高い系が集うイケすかない奴らの集まり”という評判だった。
ところが、実際に使ってみると、その印象はガラリと変わった。
Clubhouseの基本は、米国人が好みそうなディベートやパネルディスカッションを円滑に行うための道具だ。トークルームのテーマを決め、場を仕切る”モデレーター”が発言権を持つ”スピーカー”を任命。スピーカーのマイクをオン/ミュートにしたり、新しいスピーカーを任命、あるいはスピーカーを聴衆(リスナー)へと役割変更するしたりなど、モデレーターには積極的に場を仕切る機能が与えられている。
一方で一般的なSNSの仕掛けは少なく、人と人とのつながりよりも”ディベートの質”を高め、手軽に参加、あるいは参加するトークルームを探しやすくするための機能に集中する設計に感じられた。
確かに明確なテーマを持って議論をする機能を備えているため、いわゆる”意識高い系”のトークルームを開催することは容易。とはいえ、必ずしもそうした使い方だけで広がっているわけではなく、”ディベートの質”を高めるために磨きまれたトークルームの品質が、会話の質を高めてコロナ禍の中でコミュニケーションの飢えている人たちを吸引したことで、急速に日本での利用が広がっていた。
一方で、招待制サービスという部分にある種の“選民意識“を感じて、利用する側も、気になりつつも招待状を持たない人たちの間で“意識高い系“という虚像が生まれたのかもしれない。しかし、Clubhouseはまだ始まったばかりのサービス。実際、日本で急速に利用者が増えた時には、サーバーが負荷の限界を超えていたように、利用者の急増に耐えられる体制にはなかっただけなのだろう。
また、まったく新しいサービスだけに、”どのようなサービスに仕上げていくか”を完全にはイメージできていないものだ。ゴールを目指して走りながら開発し、将来像を固めていこうとしているのに、今の姿をみただけで”あいつらのサービスはこういうもの”と決めつけられることを避けたかったのではないだろうか。
さて、導入だけでずいぶん面倒臭い説明になったが、使い始めて次に感じ、疑問として大きくなっていったのは前述した”声のSNS?”という分類に対する疑問だ。
相互フォローで緩やかにつながっていることは間違いないものの、Clubhouseの本質はトークルームを通じ、会話を通じて価値観や物事の認識などの微妙なニュアンス、空気感を共有することだと思うからだ。
ClubhouseはSNSとしての機能は最低限しか持たず、ユーザー同士の声以外の交流は外郭にTwitterとInstagramとの連携機能を持たている。”つながり”は外部サービスに任せ、Clubhouseでのフォローは、好みのトークルームを探すための目印のようなものだ。
しかし、この”声のSNS”という誤解はClubhouse内にさまざまな悲劇と喜劇をもたらしていた。
執筆時点、すなわちClubhouseの日本における黎明期においては、Twitterなどの枠組みと同じように捉えて”フォロワーを増やそうぜ”という謎の価値観が横行し、悲劇と喜劇(喜劇の方が多いが)が繰り返されていた。
フォロワーを増やすことで告知効果を高め、将来、きっと投げ銭や有料セミナーなどのマネタイズ機能が追加されるだろうという期待の中で、黎明期の今のうちにClubhouseでフォロワー数を増やし、存在感を高めておこう!という野心があるのだろう。
でも、少しClubhouseをやり込んでみるとフォロワー獲得合戦が実に滑稽に思えてくる。
というのも、Clubhouseにおける”フォロー”とは、一般的なSNSのフォローとは少しばかり意味合いが異なるからだ。
TwitterやInstagramで多くのフォロワーを抱えることは、自分の言葉や写真などを受け取る相手、直接のメッセージを発信できる相手が増えることでもあり、何らかのビジネス的価値は生まれるケースもあるだろう。
ところがClubhouseのフォローは少しばかり意味が違う。Clubhouseで誰かをフォローすると、タイムラインに見えてくるトークルーム一覧が大きく変化する。フォローしている相手が主催、あるいは参加しているトークルームが表示されるようになるからだ。詳細な仕組みは不明だが、フォロー相手の行動や自分の行動が、どうやら一覧表示の優先順位を変えているようだ。
言い換えれば”興味を持っていない人をフォローする”行為は、自分で自分の首を絞める行為に近い。興味深いテーマをわざわざ見つけにくくしているようなものだからだ。
そもそも、Clubhouseのトークルームは”その場限りのおしゃべり”が主たるコンテンツ。テキストデータとは異なり、その場限りで消えてしまう儚いものだ。
そうした中にあって、興味のないトークルームが大量に出てくることほど苦痛なことはない。そうした”毒”とも言える要素がClubhouseの相互フォローにあるにもかかわらず、”無言フォロー部屋”と呼ばれる、実に滑稽な喜劇部屋に集う例が後を絶たない。
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