Appleのスリムノートブック、MacBook AirがMacworldで発表されてから10年が経過した。
iPhoneを発表した翌年にあたる2008年1月15日、同じサンフランシスコのステージで、Steve Jobs氏によって茶封筒から取り出されたノート型パソコンは、Appleが「モバイル」企業としての歩みを進めることを印象づける瞬間でもあった。
初代MacBook Airは、非常に魅力的なデザインで登場した。
Jobs氏は壇上で、引き合いに出したソニーVAIOノートTZよりも大幅に薄いことを強調していたが、それ以上にデザインの巧妙さに目を引かれたことは、今でも覚えている。
MacBook Airをテーブルに置くと、エッジに向かって丸みを帯びながら厚さが絞られており、まるでテーブルの上に浮かんで影を落としているような演出が行われていた。まさに「Air」という名にふさわしい存在だった。
2010年に施されたフルモデルチェンジで、よりソリッドなデザインが変更され、オリジナルの13インチモデルに加え、11インチモデルが追加された。この11インチモデルは、仕事がこなせるスリムノートとして、Mac・Windowsプラットホームの垣根を越えて支持される存在となった。
米国でのBYODやクラウド化のトレンドに乗って、Windows一極支配だったオフィスへのMacの進出にも一躍買った。
Macの売上高の推移を見てみると、MacBook Airの功績がいかに大きかったかが分かる。
Macの年間販売台数は2003年にわずか301万台まで落ち込んでいたが、MacBook Airを出荷し始めた2008年には972万台、2010年のモデルチェンジで1366万台、そして2015年には2059万台にまで成長を遂げ、過去最高を記録した。
Appleは2007年のiPhone発表で、「Apple Computer」という社名を「Apple」に変更し、コンピュータ製品であるMacからiPhoneへとそのビジネスの軸を移す方針を明確にしていた。
実際、現在iPhoneはApple全体の60%の売上高を占める主力事業へと成長した。その方針へと転換したあとでも、Macを華麗に復活させるだけの製品力を、MacBook Airが示したのだ。
MacBook Airの成功の最大の功労者は誰か。他のPCメーカーではできなかった光学ディスクやポート類の切り捨てを良しとしたSteve Jobsだっただろうか。あるいはAppleを救う製品をデザインしてきたJony Iveだっただろうか。
いずれも欠かせない要素かもしれないが、MacBook Airを成立させる上で最も重要だったのは、2006年にAppleが下した「Intelチップへの移行」だったと考えられる。
Appleはこれまで、同社とIBM、モトローラのいわゆるAIM連合のPowerPCをMacに採用してきた。Appleが採用した最終的なチップは64ビットのPowerPC G5で、同じ消費電力では当時のIntel Pentium 4を凌駕していた。
しかしノートブック型に採用するとなると、100Wという大消費電力とこれに見合った放熱対策を施す必要がある。言い換えれば、5cm以上の分厚い筐体と轟音のファンを用意しなければならない、ということだ。
この要件は、厚さ2.6cmだった金属ボディの17インチPowerBook G4や、厚さ3cmのポリカーボネイトボディのiBook G4について、より高速なプロセッサと引き換えに大型化することを意味する。Appleにとって、大型化や厚みの増加は、「次世代モデル」として受け入れることができなかった。
Appleが壁にぶつかっていたノートブック型Macの進化には、Intel採用が不可欠だった。そこで2005年の世界開発者会議WWDCで、今後の消費電力あたりの性能向上が著しいことを理由に、Intel採用を発表、2006年1月にIntel Core Duoを採用したiMacとMacBook Proを登場させた。
AppleがIntel採用を決断しなければ、MacBook Airを成立させることはできず、この象徴的な製品の最大の功労者はIntelだったのだ。
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