近年、「eスポーツ」(エレクトロニック・スポーツ)という言葉を聞く機会が日本でも増えてきた。米国では2019年夏に16歳の少年がバトルロイヤルゲーム「フォートナイト」のチャンピオンになり、300万ドル(約3億3000万円)もの大金を手に入れたことも記憶に新しい。
このeスポーツに力を入れ始めている日本の大企業がNTT西日本だ。eスポーツを“ゲーマー以外”の人々にも広げていくため、日々、子どもや高齢者、引きこもりの人などに向けて、eスポーツ大会を開催しているという。
大手通信会社であるNTT西日本が、まだ発展途上にある国内のeスポーツ市場に打って出るきっかけとなった1つに、ある筋金入りのゲーマーの存在があることは、あまり知られていない。
その人の名は、中島賢一氏。かつて民間企業でエンジニアとして働いた後、一転して福岡県庁と福岡市役所を渡り歩き、2019年にNTT西日本に転職するという異色の経歴の人物だ。一方で、福岡eスポーツ協会の会長を務め、個人でオンラインゲームを開発するほどのゲーム好きという顔も持つ。
なぜ、NTT西日本がeスポーツ分野へチャレンジするのか。また、中島氏はeスポーツを通じてどのような世界を目指しているのか。前編では中島氏が福岡県庁の職員からNTT西日本へと転職した経緯を、後編では福岡eスポーツ協会の会長として、日本を取り巻くeスポーツ環境をどう考えているのかについて話を聞いた。
——中島さんは、民間企業から官公庁へと転職し、そこからさらにNTT西日本に転職と、珍しい経歴の持ち主ですが、そのようなキャリアを歩むことになった経緯を教えていただけますか。
大学院の修士課程のときに、インターネットに初めて触れたんです。Mosaicというウェブブラウザで海外の文献にもアクセスできて、「インターネットってやつはすげえな」と。私は小学生のときからの根っからのゲーマーで、その頃は日本でもトッププレーヤーに数えられるほどのレベルになっていたので、「インターネットとゲームって親和性が高いのでは」と思っていました。
ところが、インターネットに関係していると思って大学卒業後に就職した会社は、ソフトウェア会社だったけれど、インターネットに関連することは実際にはやっていませんでした。当時は失敗したなと思ったのですが、そこで交通の基幹系システムを作って、それなりに成功して会社でも評価されていたので、次のステップではもっと報酬がたくさんもらえるところで活躍しようと考えていました。
そんなところへ福岡出身の妻が、福岡県庁の職員を募集する新聞の切り抜きを持ってきたのですが、私は別でお声がけいただいていた大手コンサル企業に転職する話を進めていました。それでも妻が福岡県庁を「どうしても受けてくれ」と言うものだから、とりあえず一次の筆記試験に行って、解答用紙に「インターネットで検索したらこんなの全部わかります」とか書いたんですね。論文は真面目に書きましたけど。
——いきなりすごいエピソードですね(笑)。
それでも一次試験は通過したので二次試験を受験したら、副知事が面接にいらっしゃったんです。そこで「福岡のために何をされたいですか」と聞かれたのですが、よく考えたら、前職で交通系システムを手がけていたこともあり、世の中のためになるインフラを作ってきた自負はありました。
なので、世の中にあるものを変えて便利にしていきたいですと答えたんです。たとえば、子育てをしている人たちの暮らしが豊かになるようなものをテクノロジーで支えていきたいというお話をしたら合格の連絡が来ました。後から聞くと、千数百人中4人しか合格しなかった狭き門だったらしいのですが、一方で翌月から大手コンサル企業に行く話が進んでいたんです。
しかし妻は「これは絶対に福岡県庁に行った方がいい」と。何がいいのと聞いたら、妻は「あなたのお客さんのクライアントって何人いるの?」と。1万人はいると答えたら、「福岡県民は500万人よ、それがクライアントなのよ。その人たち全員を満足させられるのかしら?」みたいに煽られたので、「いや、できるよ」と返してしまった。それで福岡県庁に転職することになったんです(笑)。
——売り言葉に買い言葉ですね(笑)。実際に福岡県庁に勤めてみて、いかがでしたか。
やはり堅かったですし、民間企業とのギャップも感じましたが、それでも真面目に税務課で仕事をしていました。e-Taxの地方版のeLTAXで、地方税の電子化の担当をしていて、そのときは世の中をテクノロジーで便利にすることがいいことなんだと思っていました。
そうやって4年間、税務課にいました。4年勤めると好きな部署に異動していいことになっていたので、探してみたら「コンテンツ産業の振興」っていうのがあったんですよ。どうやらゲームとかアニメとかの産業振興をしていると。
実は、サラリーマン時代にこっそりオンラインゲームを作っていて、2万人くらい会員がいたんです。ゲーマーでもあったし、そういうオンラインゲーム開発の経験もあったので、仲良くしているクリエイターの人もいた。なので、そこに行きますと。
——趣味をそのまま仕事にできたんですね。コンテンツ産業の振興部署ではどのような活動をしていたのですか。
ゲームやアニメの会社とビジネスを一緒にできると思って行ったのですが、確かにそういうことをやってはいたものの、補助金をつけたりする部署で「これじゃない感」がありました。そのときにふと思ったんです。自分は社会をテクノロジーで便利にするような仕事ばかりしてきたけれど、(ゲーム会社の人たちは)なぜゲームを作っているんだろうと。
それは、みんなに楽しんでもらうためにやってるわけですけど、ゲーム・アニメの産業振興をしているうちに、テクノロジーで世の中を便利にするよりも、楽しくした方が実は社会は豊かになるんじゃないのかな、と感じたんです。それを行政の中でやれば面白いんじゃないか、という気持ちが芽生えたんですよね。
それまではビジネスライクな考え方だったんですよ。効率的にタスクを回して、業務分析をして、便利にしてきたわけですけど、多少遊んでもいいから豊かになる、面白いことをしようと思うようになった。ゲーム産業を応援するんじゃなくて、ゲーム産業を通じて県民・市民の人たちが楽しめる空間を作ろうということにした。そこから自分のマインドが変わってきたんですね。
——ゲームを作っていた頃の自分を思い出したわけですね。
そういえば、めちゃくちゃゲーム好きだったなぁと。ゲームを何のために作ってたんだろうということも思い出しながら、人を楽しませることをやろうと思い始めましたね。
たしかに行政は利益を上げる集団ではありません。定性的な面では市民が幸せになること、定量的な面では税収を上げるという目的はありますが、自分としては前者の定性的な、人々がここに住んで良かったと感じられるようなものを作ろうと思いました。
その考えが芽生え始めたときに、それまで「お金お金」ばかりが頭にあったのが、ポロッとなくなり、数字だけで語る冷酷な男ではなくなって、すごく気が楽になったんですよね。元々自分はこうだったなって。そこから、人々を笑顔にしようというマインドになって、福岡県でエンタメをベースに仕事をするようになりました。
福岡県庁には9年いましたが、その仕事を見た福岡市役所の人たちが、福岡市こそエンターテイメントシティを目指しているので、あの人(自分)にぜひ来てほしいということになった。それで福岡市役所に用意されたのがゲーム映像係長というポストでした。
日本の行政に「ゲーム」の名を冠した部署はそこにしかなかったのですが、それをあなたにあげますと言われたので、これはもう行くしかないでしょうと。それで県から市に移りました。
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