調査会社Creative Strategiesの社長であるTim Bajarin氏は次のように分析する。「最もロジカルな後継者はSundarだろう。政府による調査に対応してきたSundarとそのチームなら恐らく、こうした問題によりうまく対処できる」
新たな役職に就けば、Pichai氏はさらに多忙になるだろう。GoogleとAlphabetはいたるところで火消しに走っている。連邦政府および州政府の規制当局が同社を独占禁止法違反の疑いで調査しており、一方で同社は企業文化に関連する複数の重大な問題と格闘している。同社の従業員は1年前、セクハラの申し立てへの経営陣の不十分な対応に抗議するストライキを決行した。また、Googleが米国防総省と締結したAI開発契約と、「Project Dragonfly」として知られる中国向けの検索エンジンのプロジェクトにも抗議した。
Googleのオープンな企業文化をめぐる対立の深まりを強調するかのように、Brin氏とPage氏が退任を発表したのと同じ日に、4人の元従業員がGoogleを不当な労働慣行で提訴すると発表した。11月に解雇された元従業員らは、Googleが彼らを「従業員の権利として守られるはずの組織化運動に従事した」ことを理由に解雇したと非難している。一方Googleは、解雇の理由は組織化運動ではなく、データセキュリティポリシーの違反だとした。
穏やかな人物として知られるPichai氏は、インドのチェンナイで生まれた。同氏はインドの名門校の1つであるインド工科大学カラグプール校に入学し、その後スタンフォード大学とペンシルベニア大学ウォートン校で修士号を取得した。2004年にGoogleに入社する前に、大手半導体製造装置メーカーのApplied Materialsと大手コンサルティング企業のMcKinsey & Co.で働いた。同氏がGoogleの入社面接を受けたのは2004年の4月1日のことで、Googleはこの日、「Gmail」を立ち上げた。Pichai氏はこのサービスをエイプリルフールの冗談だと思ったそうだ。
Pichai氏が最初に手掛けた大きな仕事は、Chrome開発に向けたウェブブラウザーの検索バーの管理だった。同氏がChromeと「Chrome OS」にかける情熱は並々ならぬもので、Chrome OSのテストのために家族に協力させた。娘に「Chromebook」で宿題をさせ、妻にも別のChromebookを仕事で使わせた。
静かな成功に助けられ、同氏はGoogleでの出世の階段を着実に登った。2013年には世界で最も広く使われているモバイルOS「Android」の責任者の座を、その生みの親であるAndy Rubin氏から引き継いだ(Rubin氏はその後Googleを退社し、退社後にGoogleでのセクハラ問題で非難された)。
2014年、Page氏はPichai氏にGoogleの最も重要な事業であるリサーチ、検索、マップ、広告、そして今はなきソーシャルサービス「Google+」の責任者に指名することで、同氏の地位を引き上げた。そして1年後、Page氏がAlphabetの立ち上げを発表した際、Pichai氏はGoogle全体の責任者になった。
Pichai氏は長年にわたりPage氏の後継者と考えられてきたものの、自身がいずれGoogleを率いることになると認識した具体的な瞬間を覚えていないと、2016年のインタビューで米CNETに語っていた。Page氏が自分に王国の鍵を手渡したことを示すような会話はなかったと、Pichai氏は冗談めかして語った。「そういうことが起きるのは映画の中だけだ」
Pichai氏は今や、さらに巨大なものを手にしたことになる。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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