ANAの賞金レースと「アバター」への挑戦(後編)--飛行機を“使わない”移動を生み出す

 賞金1000万ドルの世界的な賞金レース「XPRIZE」で、ANAホールディングスの提案した「アバター」をテーマにした「ANA AVATAR XPRIZE」がスタートしている。前編ではXPRIZEでグランプリを獲得し、賞金レースの運営を決定するまでの裏側を、同社グループ経営戦略室 アバター準備室の深掘昂氏に聞いた。

 ANAではこのXPRIZEのスポンサードをきっかけに、「テレポーテーション(瞬間移動)」を可能にするプラットフォーム「avatar-in」と、それを採用したアバターロボット「newme(ニューミー)」を開発し、2019年10月の「CEATEC 2019」で発表した。

中央と右がANAが開発したアバター「newme」。左端はこれまでの実証で活用してきた旧式のアバター。
中央と右がANAが開発したアバター「newme」。左端はこれまでの実証で活用してきた旧式のアバター。

 このnewmeは、遠隔からアクセスして画面に自分の顔を映し出しながら、車輪により前後左右に移動できるもの。シンプルな見た目ながら、newmeのそばにいる人にとっては、まるで離れた場所にいる人がそこにいるかのように感じられることが特徴だ。

 後編では、ANAが提案するアバターの役割と、目指している未来、そしてANA AVATAR XPRIZEがANAにとってどのような意味をもつのかについて話を聞いた。

「飛行機を使わない移動」も提案すべき

——ANA AVATAR XPRIZEで見事グランプリを獲得し、ANA自身としてもアバターロボットのnewmeを開発しました。このnewmeは何を目指しているものなのでしょうか。

 我々が作っているnewmeはロボットではなくて、誰もが使えてシェアできるような体であり、究極のモビリティと言えるものです。私は「次世代モビリティ×人間拡張」と言っているのですが、これはラスト1マイルではなく、ラスト1メートルを担うもの。バラまくことに意味があるんですよ。

 コストのかかる高性能のロボット開発はANA AVATAR XPRIZEの賞金レースで競い合いながらやっているのですが、newmeは安価に作ってたくさんデプロイ(設置)する。これまでのロボットって、使う人や用途が決まっていたんですよね。受付とか警備とか。でも、newmeのようなアバターは何に使ってもいいんです。

 アバターを使うときに必要なのはネットだけですから、アフリカの山岳部にいたとしても、道のないその先に住んでいたとしても、スマートフォンやPCなどから汐留のアバターに入れる。汐留あたりに1000体くらい置いて、みんなが汐留にあるアバターを検索して、オフィス近くにあるアバターに接続して会議に出るとか、終わった後はショッピングに行くとか。不特定多数の人が、好きなときに好きなように使えるというのがコンセプトなんです。

——newmeは、ANA AVATAR XPRIZEでコンセプトにしているロボットの方向性とは少し違うのでしょうか。

 ANA AVATAR XPRIZEでどんなアバターが誕生するかというと、おそらくすごく高性能で、介護のオムツ替えとかも可能なものになります。でも、それはきっと1体3億円はするようなロボットです。newmeの実証実験はすでに実施していますが、そういうものとnewmeはターゲットにしている市場が全然違うんですよね。普通の家で必要とされているアバターは、3億円するようなものではありません。

ANAホールディングス株式会社 グループ経営戦略室 アバター準備室 ディレクターの深掘昂氏
ANAホールディングス グループ経営戦略室 アバター準備室 ディレクターの深掘昂氏

——実証実験ではどのような使われ方が多かったのでしょう。

 たとえば、高齢者が暮らす自宅に置かせてもらったところでは、そもそもその高齢者の方がスマートスピーカーすら全然使いこなせないレベルでした。ですがアバターだと、高齢者の方が何もしなくても、遠隔にいる息子さんがアバターに入って、顔を見せてくれるので毎日使うことができます。

 ほかにも、娘さんで、旦那さんの帰りが遅く、1人でご飯を食べるが嫌なので、実家のアバターに入って、親と会話しながらご飯を食べたりしている。そういう方に言われたのは、「価格を安くしてほしい」とか「首振りしてほしい」といった程度でした。2足歩行してほしいとか、手が欲しいといった要望はないんですよ。

 実験期間が終わったときには「持って帰らないでほしい」と言われましたね。しかも高齢者の方の場合、ほとんどの人がアバターをロボットと呼ばないんですよね。そこに入ってきた「息子」や「娘」とそのまま呼ぶんです。

——そこまで離れがたい、身近な感じの存在になるというのは驚きですね。

 家庭用のアバターにおいては、顔を画面に表示することと、車輪が付いていて動き回れることが、めちゃめちゃ重要なんです。顔の表情を出して動き回ると、人間はその存在をはっきりと認識するんですね。相手がペットでも、小さな子どもでも。

 海外に単身赴任している父親が、2歳の子どもがいる日本の自宅のアバターに入ると、きちんと父親だと認識するんです。しかも、その父親が言うには、アバターの良いところは、離れていても自分で子どもを叱ることができて、子どもがその言うことをきくことだと。固定されたテレビ電話だと子どもはその前から一瞬でいなくなりますし、子どもを追いかけて様子を見ることもできないので叱れない。叱ったとしても意に介さなかったりする。存在感がないとダメなんですね。

 脳科学者の方の話では、目玉が付いていて表情が出て動くものは、人間は動物として捉えるだそうです。獲物に狙われているように、本能的に無意識ではいられないらしいんですね。だから、ビデオ会議で動かない端末に顔を映していても存在感がないので、それに対して意識的に話しかけたりできない。ところが、newmeは顔があって動き回るのでどうしても意識して、人間を相手に話しているかのように振る舞ってしまう。

——たしかに、それはわかるような気がします。

 また、私が仮に不慮の事故で義手義足をつけることになったとしても、みなさんは「深堀さん」と呼んでくれると思います。でも、これが外見が同じまま、今インタビューしていただいている藤井さんと脳が入れ替わると、私の姿をした人間は「藤井さん」と呼ばれるようになるらしいんですね。

 ということは、人間の部位の中で、たった1つだけ主語「私」をもつ部位があるとすれば、それは脳なんだと。体や見た目が何であるかは関係ないんです。アバターは、遠隔にいる人間の意識を光(通信)で送るわけですが、その人が動かしている限りはアバターにもその人の特徴が出る。だから、そこには本人がすでに存在しているんですよ、とその脳科学者の方と話したりしました。

newmeとコミュニケーションをとる深堀氏
newmeとコミュニケーションをとる深堀氏

——ある意味そこで瞬間移動ができているわけですね。

 とある著名な研究者にお会いした際に、学会が海外である時にはエアラインをビジネスクラスで利用されることが多いそうなのですが、それでも「出張なんて行きたくないんですよ」って真顔で言われました。人生は時間が限られているし、できることなら研究に没頭したい。学会に行くのはいいとしても、移動の過程が嫌なんだと。それを言われた瞬間に、ANAの社員として考え直さないといけないと思いました。

 自動運転の車が迎えに来て、目的地まで送り届けてくれたとしても、そもそも移動をしたくない。移動するにしても、楽しい移動であるべきです。今は何を使ってもずっと苦しい移動で、全然楽しくない。なので、これからは「したくない移動」と「できない移動」っていうのはアバターに置き換えて、移動するとしても健康のための散歩とかランニングとか、家族旅行だけになっていくべきだと思いますね。

——「飛行機を使わない移動にする」とエアラインの会社が言ってしまうのは驚きです。

 仮に1週間で5カ国を巡るような移動ばかりの出張があったとして、エアラインの会社としては、やはりそれに対して飛行機ではない別の提案をするべきですよね。アバターで行ってくださいと。でも、思い出作りに家族でハワイに行きませんか、という旅行はエアラインを使っていただきたいです。

 結局、移動を提供する我々としては「辛くてもとにかくANAに乗ってください」だけだとダメだと思っていて、移動したくないのならアバターを提案する。これからはそういう時代になると思うんです。交通機関がストップするような台風のときも、みんな出社しようとしていましたけど、アバターがあればそれで会議をすればいい。避難所の状況を確認する際にも、自治体の方が電話で細かく聞くんじゃなくて、避難所にあるアバターに入って動きながら避難所の様子を見て、必要なことだけ聞けばいいんです。

 アバターが普及すればどこに住んでいてもいいし、どんな身体的制約を持っていても大丈夫になります。これはもはや、ANAの新規事業を普通に超えている。スタートアップの事業と言った方がまだ近いんじゃなかなと思います(笑)。

——そういう地球規模で社会を変えるような動きが日本の企業から出てきたのはすごくうれしく感じます。

 もともと、私個人の思いから進んで協力してくれる仲間を集めて、エンドーサーを集めて、会社を説得しました。技術的にも、通信の低遅延を実現するハードウェアとソフトウェアを内製化して持っていますし、ロボティクスに関して本当にスタートアップの人たちと同等以上に深く考えてやっていると思います。

 (Googleに買収された)英国のAI企業であるDeepMindのエンジニアなどが、参画してくれたりするんです。給与はそれほど出せないのに。それでも日本にやってきてくれて、なぜかみんな「ありがとう」って言ってくれるんですよね。

 彼らは、これまでずっといろいろなところでロボティクスをやってきて、卓越した技術を駆使してきたわけだけれど、結局一般の人が手にする商品として日の目を見ることがなかったんです。でも、ANAのアバターなら自分の技術を使って、世に出るロボティクスを実現できる。だから「ありがとう」と。

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