もし、「ドラえもん」に登場するたくさんのひみつ道具の中から、どれでも1つだけ手に入るとしたら、読者の皆さんは何を選ぶだろうか。私なら迷わず「どこでもドア」を選ぶ。自宅にいながら、世界中の好きな場所に一瞬で行くことができる。そんな夢のような道具があったら、限られた時間の中でどれだけ人生を豊かにできるだろう。考えるだけでワクワクする。
そんな“どこでもドア”の窓バージョンとも言える、“どこでも窓”を本当に作ってしまったのが、元任天堂社員であるアトモフの姜京日氏と中野恭兵氏の2人。世界中の景色を切り替えながら楽しめるスマートなデジタル窓「Atmoph Window(アトモフウィンドウ)」を開発し、2015年に初代モデルを発売した。
現在はそこから改良を重ね、機能を大幅に追加した新モデル「Atmoph Window 2」を開発中。まずはクラウドファンディングサービス「Indiegogo」の支援者のもとに、2019年9月に届ける予定だ(支援募集は5月20日16時まで)。
このアート作品ともデジタルサイネージとも異なる窓型のデバイスは、どのようにして生まれたのか。そして、その先で描く世界とはーー。京都にある同社のオフィスで創業者の2人に思いを聞いた。
Atmoph Windowは、“デジタル窓”という呼び名の通り、日本の美しい風景や、ニューヨークの町並み、ハワイのエメラルドグリーンの海など、世界中の景色を画面上に映し出すシンプルなデバイスだ。
それも静止画ではなく定点動画で映し続けることで、あたかも窓の外にその景色が広がっているかのように感じることができる。たとえば、「世界遺産のマチュ・ピチュは高度が高いため、雲が目の前をゆっくりと流れている」といった、現地に行かなければ味わえない空気感を疑似体験できる。
映像は、同じ場所から撮影した15分間の動画が、違和感のないようにループ再生され続ける仕組み。デバイスを3枚連動させて、パノラマ写真のように横に広い1つの映像を表示することも可能だ。表示内容はタイマー設定ができ、たとえば昼はハワイの海、夕方はサンフランシスコの夕日、夜はニューヨークの夜景を映し出すこともできる。
当初は10本の動画がプリインストールされており、追加で見たい場合には1本590円で購入する。同社が契約するカメラマンが日々、世界の人気観光スポットを中心に撮影している。現在は3000本以上の景色を眺めることができ、中には暖炉で薪が燃えている動画や、猫が眠っている動画といったユニークな映像もある。
「Atmoph Windowは『映像の地図』だと思っている。旅行会社のテレビCMなどのように、突然観光スポットを紹介するのではなく、日々の暮らしの中で世界各国の景色を楽しみながら、『いつか実際にこの風景を見てみたい』と思うような旅行のきっかけになる」と、姜氏は同デバイスのコンセプトを説明する。実際、日本の花火の映像を好んで見ているオーストリア人がいたりと、異文化交流のきっかけ作りにも一役買っているという。
映像を流すだけでなく、スマートディスプレイ機能も備えており、日付や時刻、天気予報、「Goole カレンダー」に登録した情報なども表示する。さらにスマートスピーカー「Google Home」「Amazon Alexa」に対応しており、音声で映像を切り替えることも可能だ。
初代モデルは約7万円で、これまでに約2000台売れており、購入者は個人が7割、法人が3割。個人では寝室、法人では会議室などに飾られることが多く、JAXAなどの企業にも導入されているそうだ。
Atmoph Windowのアイデアが生まれたきっかけは、共同創業者の姜氏が南カリフォルニア大学に留学中に、米国ロサンゼルスで暮らしていた2004年に遡る。慣れない環境の中でストレスが溜まる中、「部屋の窓から見える変わり映えのない景色に閉塞感を感じていた」という姜氏。仕方ないので、PCのデスクトップ画面を南国に変えてみたり、DVDを流してみたりしたが、しっくりとこなかったと振り返る。
日本に帰国後は、ゲームなどを手掛けるNHN JapanでUser Interface Technology室に所属し、その後は任天堂でゲーム機のオンライン関連のユーザーインターフェースを開発していたが、並行して10年近く“窓の閉塞感”を解決するアイデアを考え続けていたという。その中で導き出した1つの答えが、壁にかけるだけで世界中の美しい景色を楽しめる「デジタル窓」だったと姜氏は話す。
もう1人の共同創業者である中野氏は、IPA未踏2008年度スーパークリエイターに選ばれた経験をもつソフトウェアエンジニアで、ヤフーでのYahoo!Sportsのサーバー開発や、ミクシィでの課金システム開発などを経て、任天堂に転職した。任天堂では、ゲーム機本体の通信機能やNintendo eShopのシステム開発などに携わったという。
任天堂の同僚だった2013年のある日、中野氏は姜氏に呼び出された。そこで見せられたのが、姜氏が業務時間外に密かに開発を続けていた、Atmoph Windowのプロトタイプだったという。ヤフーやミクシィなどのIT企業を経験してきた中野氏も、「スマホなど“画面”にばかり人々を惹きつけるビジネスに疑問を感じていた」ことから、暮らしの中で自然とテクノロジーを感じられるデジタル窓に可能性を感じ、2人で任天堂を退職し、2014年にアトモフを創業した。
任天堂という世界有数のエンタメ企業を退職することにためらいはなかったのか。この質問に対して姜氏は、「正直少しあった(笑)。ただ、どうしてもこのデジタル窓を作りたかったし、当時は4Kカメラが出てきたり、パネルも薄型になってきたタイミングで、試作機も作りやすくなっていたので、このアイデアを実現するなら今しかないと思った」と、創業時の思いを話す。
ただし、初代Atmoph Windowが完成するまでの道のりは順風満帆ではなかったという。まず、開発に向けた採用資金の調達のため、3社のベンチャーキャピタル(VC)にコンタクトしたところ、いずれも理解を得られず全滅。いきなり大きな壁にぶつかった。
そこで、望みをかけてクラウドファンディングのIndiegogoで支援を募集したところ、500人近い人々から支援が集まり、目標額の160%となる2000万円を達成。さらに、Makuake!でも80人近くから追加で700万円を調達した。「消費者のニーズはある」と確信し、この実績を携えて再度VCに挑んだところ、環境エネルギー投資からも1億円の調達に成功した。
合計1億3000万円近い資金を集め開発を始めたが、ソフトウェア開発しか経験してこなかった2人にとって、ハードウェア、それもまだ世の中にないデバイスの開発は容易ではなかったという。試行錯誤を繰り返しながら、完成までに2年もの歳月を費やした。
「製造でも工場から門前払いされたり、金型作成など初期投資に想像以上にお金がかかったりと、物作りの大変さを身をもって知った。ただ、もしハードウェア開発の経験があったら、始める前から諦めてしまっていたかもしれないので、ソフトウェアしか知らなかったことが逆に良かったのかもしれない」(中野氏)。
デジタル窓のキモとなる映像の調達にも苦労したという。風景をテーマにした定点かつ縦型の高画質映像は、世界のどこを探しても販売されていなかったため、自ら世界中にカメラマンのネットワークを構築したそうだ。「15分間の映像を撮り終わる直前に人や車が映り込んで、撮り直すことはしょっちゅうある(笑)」(姜氏)。現在も毎日のように撮影された映像が届き、同社内で編集をし続けているという。
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